第4章 三人の公爵 2
ユードがすっと柄に指を絡めると、剣身の光が鞘からこぼれ出た。
暗闇の中で放射状に輝く、異質な光。見た目は暖色なのに、いつ見てもぞっとする冷たい光だ。
今は人間の体のはずの七都も、一瞬身震いする。
「やはり……あなたは魔神なのか、デルシラ」
ユードは、エヴァンレットの剣を鞘から少し抜いたまま、サラを見た。
もちろん剣は、サラに対して反応していた。
ユードは、鞘から数センチ剣を抜いただけだったが、確認するにはそれで十分だ。それは、サラの正体を大袈裟すぎるくらいに告発していた。
サラは、ふっと寂しそうに笑った。
(デルシラ? それが、サラの本当の名前?)
七都は、二人を見守った。こういう場合、黙ってそうする以外に仕方がない。
七都の知らないユードとサラが、今、目の前にいる。こうなったら、じっくり観察しよう。
二人の関係も、もちろん知りたい。
けれども、ユードがエヴァンレットの剣に手をかけているのは、まずい。それは収めさせなければ。
サラは顔をめいっぱい上げて、ユードをしげしげと眺めた。
「あなたは……魔神狩人になったの……? 意外だわ。でも、とても素敵な男性になったわね、ユード」
「……そもそもは、あなたを探すためだった」
ユードが言った。
「あなたを探し、取り戻すためだ。あなたの仇を討つために、私は……」
「そう……。そうだったんだ。……ありがとう。そして、ごめんなさい……」
サラは、きゅっと唇を噛み、悲しげにユードを見つめる。
人間の少女だったら、次の瞬間には、間違いなく目から涙があふれるかもしれない。
だが、魔神族である彼女の目から、涙がこぼれることはなかった。
その代わりに彼女は、ゆらゆらと青い火が灯った水晶のような目で、ユードを見つめ返す。
「あのまま時間が止まればよかったのに。幼く、楽しい時間のまま。でも、それは愚かな夢だ。所詮、あなたとは住む世界が違った」
サラが呟いた。
「えーと。取りあえず、ユード、その剣をしまってくれない? こんなところで、その光を出さないでほしいんだけど」
七都は、ユードに向かって言った。
これからどういう展開になるのかはわからないが、またいきなり、魔神VS魔神狩人の戦いだなんて真っ平だ。
第一、さっきとは状況が違う。
ここは魔神族が巣食う洋館の中ではない。路地だ。この世界の人々がごく普通に、平和に歩く、住宅街の道なのだ。
妙な武器を振り回して、警察に通報されでもしたら……。
「あなたも、ユードを挑発するような行為はやめてよね。事情はよく知らないけど」
七都は、サラにも注意する。サラは、頷いた。
「ナナトの言うとおりだわ、ユード。ここは私たちの世界じゃない。おとなしくしておいたほうが、お互いの身のためよ」
サラが言った。
「そうだったな……」
ユードは、素直に剣を戻す。光は鞘の中に飲み込まれ、あたりには再び闇が戻った。
「では、元の世界では会えるということか?」
ユードがサラに訊ねた。
サラが、笑う。両眼が妖しい青色に光り、髪がふわりと膨らんで、宙に舞ったまま止まる。
魔神の微笑み。向こう側の人間の多くが恐れ、ほんの一握りは魅入られる微笑だった。
七都がはっと気づいたとき、サラはユードの前にいた。
1メートルもない至近距離だ。小さな少女は、目の前にいる長身の男性と対峙する。彼をはるかに凌ぐくらいの巨大な存在感を持って。
「会いたいわ……」
サラが囁く。
ユードに向かって伸ばされた小さな手が、すうっと伸びた。
伸びたのではなく、大きくなったのだ。
ユードの肩に回されたのは、ほっそりとしたしなやかな腕。まだ大人の少し前の時期にいる少女の手だった。
手や腕だけではない。顔も、体も、背の高さも。
幼女だったサラは、瞬く間に七都と同年齢くらいの少女へと成長を遂げていた。
もちろん、本当に成長したわけではなく、魔神族であるサラが、魔力を使って見た目の年齢を変えただけだ。
そして、外見の年齢だけではなく、髪の色も目の色も、それまでとは全く違っている。
髪は真っ直ぐに長く伸び、眩いばかりの金髪に。青かった目は、カーネリアンのような、透明な赤味がかった黄色に。
その姿を見た途端、七都は、あっと声をあげた。
(この人は……!!)
(いやあね、ナナト。やっとわかったの?)
変身した彼女は真っ直ぐユードを見つめていたが、そのいたずらっぽい声は、七都の頭の中にはっきりと届いてきた。
サラが新しくとった、その姿。
それを七都は目にしたことがあった。
光の魔王ジエルフォートの研究室の水槽に入れられ、七都が幽体離脱したとき。
七都の意識はあちらこちらへさまよい、風の都へ、それから、時の都らしき場所へも降り立った。
そして、そこで母にも会ったわけだが――。
その母の隣にいた人物。母と並んで回廊を歩いてきた、金色の髪とオレンジ色の目の少女。
母とそっくりな、また七都にもよく似た、あの謎の美少女。
その少女が、今七都の目の前にいて、ユードに両腕を回していたのだ。
(あなたは……あの宮殿で、お母さんと一緒にいた女の人? サラが、あの人だったの?)
(気がつくのが遅いわよ、ナナト。どれだけかかってるの)
彼女の笑い声が七都の頭の中で、澄んだ鈴の音のように響いた。
(お母さん、この人、誰!? お母さんがお友達って言ってた人でしょ! わたし、この人が誰か知らなかったのに、今日の午後からずっと一緒にいたんだよ!!)
七都は、ストーフィに向かって怒鳴る。もちろん、頭の中でだが。
(え? だって今、そういうこと、のんびり答えられる状況じゃないもん……)
母のミウゼリルが、困ったように答える。
ストーフィの目の中に、黄色い光がちらっと瞬いた。
(それよりも……七都と彼女、一体いつの間にそんなに親しくなったのよ? 私を差し置いて!)
(わ、わかった。それも後で話そう、お母さん。全部あとだ!)
七都は、母が見当違いな嫉妬心を育まないうちに叫んだ。
変身したサラは、両手でユードの頭を抱きしめていた。
サラの金色の長い髪がなびいて、魔神狩人の黒いマントにうねうねと巻きついている。
サラは、猫がよくそうするように、自分の頬をユードの顎の下に、そっとこすりつけた。
ユードは、黙って突っ立っていた。その灰色の瞳を魔神の少女に静かに注ぎながら。
「ユード、私を探して。私に会いにきて。私はあなたを待っているわ、ユード」
サラが、ユードの耳元で言った。
「あなたを探し当てたとき……。私はあなたを殺さねばならぬ。この剣で……」
ユードが呟く。
「いいわよ。その前に、私があなたを殺してしまうかもしれないけどね……」
サラが微笑んだ。
「本望かもしれんな……」
七都は驚いて思わずユードを見たが、彼の顔は至って真面目だった。
「まあ、魔神狩人さんが、何てことを」
サラが、くすっと笑う。けれども七都には、その微笑の奥に泣き顔が垣間見えたような気がした。
「でも、会いにきて。いつまでも待ってるから……」
サラが、唇をユードに近づける。
それまで、ずっと突っ立っていただけだったユードが、サラの頭に手を回した。
ぐっと力を入れて彼女を抱き寄せ、サラの唇に自らの唇を重ねる。
それは、甘さや陶酔など欠片も存在しない口づけだった。
二人とも、眉を寄せ、顔をしかめ……そこには苦痛の表情しかない。
それは、魔神と魔神狩人の許されざる口付け。
食糧としてではなく、戯れでもない、お互いに強く思い合っている者同士の本気のキス。だからこその、苦しみに満ちたキスだった。
(うわあ……)
七都は、思わず目を逸らした。
魔神族と魔神狩人の禁断のキスというよりも、自分が別々に知っている人物――知り合った時期も知っている期間もそれぞれ違う人物たちが、自分の目の前でキスをしている。
そのことが奇妙であり、不思議であり、どこか非現実っぽく思えた。
あのユードとあのサラが?
この二人は恋人同士だったのか? 何という意表をつく、予想外の組み合わせ!
そして七都は、ふとある疑問を抱いてしまう。
かつてユードは、いきなり七都にキスをしたことがあったが、実はそれは、七都をよく似た練習台として、キスをしたのではないのか?
あれは、七都を試すためのキス。彼は、そうすることによって、七都が自分の中に持つ魔神族の属性を抑えられるかどうかを試した。七都も周囲もそう解釈したのだが……。
それは、ユードが自分自身を試すためのものだったのかもしれない。来るべき、魔神族の女性との逢瀬の用意。すべては、このため。この時のため。彼女に会う時のために。
(ユードったら、私を予行演習に使ったのか。でも、ってことは、初めて会ったときからユードが言ってた、彼がわたしの中に見ていたわたしによく似た人って……)
(ナナトったら、なに照れてるの。しっかり見ておきなさいよ)
母が言う。
ストーフィのまんまるの目は、口づけをしている二人に釘付けだった。
(やめてよ、お母さん。エルフルドさまみたいなこと言うのは!)
七都は、口を尖らせる。
(お母さんは、このこと知ってたの? 彼女とお友達なんでしょう?)
(知るわけないじゃない。彼女に魔神狩人の彼氏がいるなんて、聞いたこともなかったわよ。あ、でも、そういえば……)
(え?)
サラとユードは、口づけを終えた。二人は、名残惜しそうに見つめあう。
サラは、白く細い指でユードの髪を撫でた。
「デルシラ。あなたは……魔王のそばにいるのか?」
ユードがサラに訊ねる。
サラは、遠くの街灯の光よりも淡く微笑んだ。
その時――。
「もう、よろしいでしょうか? お取り込みのところ、非常に申し訳ないのですが……」
そこにいるメンバー以外の声が、暗い路地に響いた。
七都は、振り向く。
そこには見張り人たちが、集団で立っていた。




