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第3章 洋館の魔神たち 19

「え? そ、そうだっけ?」


 七都はとぼけて見せたが、由惟子を誤魔化すことは無理そうだった。

 ユードと話す言葉がわからないにしても、『お母さん』は日本語だ。

 しかも七都は、何度もその言葉を発している。

 全く知らない言語の中にぽつぽつと混じる、明らかな日本語の言葉。由惟子が聞き取れないはずもなかった。

 やはり常識的に考えて、機械である猫ロボットを『お母さん』と呼ぶのはおかしい。

 けれども、由惟子が怖い顔をして七都を睨んだのは、別の理由があったようだ。


「あなたね、果林さんのことは名前で呼んでるのに、ロボットにわざわざ、これみよがしというか当てつけがましく、『お母さん』なんて名前を付けて呼んでるの? あなたがその名前で呼ばなきゃならないのは、果林さんじゃない」


「う……」


 七都は、詰まる。

 由惟子が言いたかったのは、つまりこうだ。

 育ての親である果林さんのことは名前で呼びながら、本来、果林さんを呼ぶべき尊称を平然と機械に付けて、機械のことをそう呼んでるってわけ? どういう神経をしてるんだか!


 以前、由惟子が七都の家に遊びに来た時、七都が果林さんのことを名前で呼んでいることを知った由惟子は、いきなり七都にお説教めいたものをし始めた。


「だって、お父さんの方針なんだよ。果林さんのことは名前で呼ぶようにって。果林さんも納得して、お父さんと結婚したんだから」


「お父さんの、でしょ。七都はもう高校生なんだし、お父さんの方針に従うことないよ。七都が彼女のことをお母さんだと思ってるのなら、そう呼びなよ」


 明らかにおせっかいを通り越した言動だ。他人の家庭事情を無視して自分の考えを押し付けること甚だしい。

 だが、七都はちょっぴり嬉しかった。

 果林さんが七都の家にいる存在理由みたいなことを由惟子が代弁してくれたような気がした。

 女子高生のストレートな純粋さと正義感もまた、素晴らしい。ただ、それに対する弁解と説明が、やっかいで面倒だが。


 じろりとストーフィが、由惟子を見上げる。

 ストーフィは相変わらずどこまでも無表情だが、少し怒っているような感じが七都にはした。

 目の中に灯る青い光の奥に、黄色の淡い光も見える。

 銀色の体全体も心なしか、ふるふると震えているような気もする。もちろん、『気がする』だけだが。


 お母さんったら、由惟子にガン付けてる……。


 七都は、頭を抱えたくなった。

 それはそうだろう。七都が果林さんのことを『お母さん』などと呼んだら、母の美羽は平常心でいられるわけもない。

 育てられなかったとはいえ、産みの母である自分こそが七都の母親であり、七都に『お母さん』と呼んでもらえるのは自分だけだと思っているに違いないのだ。というより、七都は現に、異世界で出会った時から母のことをそう呼んでいる。

 果林さんを母親の尊称で呼ばせようとする人間は、たとえ七都の友人とはいえ、敵とみなしてしまうかもしれない。

 何しろ、母は元魔王なのだ。この世界の人間に対してどんなバトルを仕掛けてくるのか、想像もつかない。


 何て言い訳しよう。

 由惟子に『これみよがし』とか『当てつけがましく』なんて言われてしまった。

 もちろん、七都にはそんなつもりは全然ない。ストーフィの中に産みの母がいるから、『お母さん』と呼んだだけなのだが。

 けれども、事情を知らない由惟子にとっては、奇妙に思えるのだろう。もちろん、事情を説明するわけにもいかない。

 どう言い繕うべきか。適当な理由を思いつけない。

 そして、言い繕うにしても、また由惟子に嘘をついてしまうのか。


「えーとね。違うんだよ。この猫ロボットのことを『お母さん』って呼んだのは……」


 七都は困り果てて、視線をさまよわす。

 ユードと目が合った。


「そ、そうだ、この外人さんが、そう呼んでたからだよ。この猫ロボットを『お母さん』って」


 ユードが、思いっきり顔をしかめた。

 言葉がわからなくても、自分のことを言われたということは、何となく理解できたらしい。


「え」


 由惟子も、ユードに負けず劣らず、妙な顔をする。

 確かに、その理由では苦しかった。不自然この上ない。

 だが、もう上手に嘘はつけそうもなかった。今までの嘘で、もう十分疲れ果てている。

 本当のことを説明できたら、どんなに楽だろう。すっきりするだろう。


 この猫ロボットは、異世界の魔王さまが、恋人の魔王さまのために作ったんだよ。

 そして、このロボットの中には、わたしを生んでくれたお母さんの意識が入ってるの。

 生んでくれたお母さんって、元魔王さまなんだよ。異世界のどこかに体はあるらしいんだけど、意識だけが幽体離脱して、あっちこっちうろうろしてるの――。


 絶対に無理だ。


「おかしなネーミングセンス」


 由惟子が、呆れたような顔をして、ユードを眺めた。

 ユードはむろん怪訝そうに由惟子を見つめ返す。


「ネーミングのセンスは、個性の問題だから」


 七都は、にっこりと笑って見せた。確かに心底そうだと思う。それは嘘ではない。


「このロボット、あの外人さんのお母さんに似てるのかな?」


 由惟子が、素直すぎる疑問を口にした。

 

「彼のお母さん、こういう雰囲気なのかもね」


 七都は、そう言っておく。


 そういえば、ユードのご両親ってどんな人たちなんだろう。

 七都は、ふと思った。

 彼の家は貴族……確か公爵らしいから、当然両親は、公爵と公爵夫人。

 彼自身が美形だし、母親も美人であるということは推測できる。

 ということは、少なくとも外見は、ストーフィに似ているはずもない。

 なぜ公爵家の御曹司が、魔神狩人なんかしているのか。

 向こうの世界で初めて会ったとき、七都を金持ちのお嬢様扱いした彼だが、彼自身も金持ちの、それも将来は公爵という身分を保証された御曹司だ。


(きっと何か、フクザツな事情があるんだろうな)


 七都が再びユードを眺めると、ますますユードは怪訝そうな表情をして、七都を見返した。

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