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第1章 向こう側からの来訪者 2

「え……?」


 七都は部屋の真ん中で、思わず体の動きを止めた。


 注意深く、部屋の中を見渡す。

 明るい真夏の太陽の光。ポップな色と柄のカーテン。自分で選んで買ってもらった家具。

 ポスターの中ではマンガのキャラが微笑み、チェストの上には愛くるしいぬいぐるみたちが積まれている。

 動く物は何もない。

 音をたてるものは、壁に掛けてある平たい時計の秒針。そして、低く唸りながら涼しい風を吹き出すエアコンの音。


「今、何か聞こえたような……」


 もう一度部屋の中を見回したが、何の変化もなかった。

 七都は、ほうっと溜め息をつく。


「やっぱ空耳か。まだ起きたばかりだものね。疲れが残ってるんだ。疲れというか、向こうの世界の余韻、かな」


 七都は、枕元に置いてあったガラスコップを見下ろした。

 遺跡の地下から持ってきたコップ。ナイジェルが七都の涙を入れて、持たせてくれたコップだ。

 そのコップには水が入れられ、よい香りのするハーブが何種類か差し込まれていた。

 もちろん、果林さんがそうしてくれたのだろう。眠っている七都のために。


「果林さんを探さなくちゃ。お父さんったら、きっとおざなりで適当に電話かけただけだろうし」


 七都はパジャマを脱ぎ、やはり枕元にきちんとたたんで置かれてあった服一式に手を伸ばした。


「お父さん、ちゃんと着替えて下に降りろって言ってたけど、誰もいないんだし、別にパジャマでもいいじゃない?」


 七都はTシャツに頭を通した。

 綿のひんやりした感覚が心地よい。


「そういえば、さっきの空耳、何だかお母さんの声に似てたような……。あやまられたような……」


「だって、ヒロトがいきなり目の前に現れるんだもの。我慢できなかったの」


 再び、その声が聞こえた。

 まだ着替えの真っ最中だった七都はバランスを崩し、床の上にどすんと尻餅をつく。


「痛っ!!」


「ほらほら、気をつけなきゃ。人間に戻ったら、痛みもまた感じるようになるんだから」


 その声が言った。


 空耳ではない。

 確実に耳を通して聞こえてくる声だった。

 それも、部屋の中のどこかから、だ。


「お母……さん?」


 七都は部屋の中を見回しながら、おそるおそる声をかけてみる。


「まさか、ね? でも、お母さんの声……だったような」


「まさかじゃなくて、紛れもなく私の声だわ」


 その声が言う。

 少しくぐもったようにも聞こえる、けれども間違いなく母の声。

 向こうの世界での本名はミウゼリル、こちらでは美羽、そして風の魔神族の元魔王リュシフィンである、七都の母の声だ。


「え? お母さん? どこにいるの? 生霊だから、やっぱり見えないのかな」


 七都は部屋の中をきょろきょろしてみるが、母の姿はなかった。

 とはいえ、向こうの世界でも母の姿を見ることは叶わないのだ。


「今回は生霊じゃないのよね。依り代がないと、さすがの私でも、こちらの世界には来られないの」


「ヨリシロ?」


 ふと七都の視線が、ベッドの足元で止まる。

 

 そこにはストーフィが足を投げ出して座っていた。最初見たときと同じように。

 ただ、最初見たときと大きく違うところが一箇所あった。

 目だ。

 オパール色の目の中にブルーの光が薄っすらと灯り、それがふわりふわりと影のように動いている。

 その光り方は、どこかいたずらっぽく、くすっと笑っているようにも見えた。


「ストーフィ!?」


 七都は、叫んだ。

 ストーフィの目は、返事をするように瞬いた。


「待って。お母さん? ストーフィが、まさか、お母さん!?」


「ナナトったら、全然気づかないんだから」


 母の笑い声が聞こえた。ストーフィの中から。


「そんなあ!!!」


 七都は、転がるようにベッドに座った。

 そして、にらめっこが出来るくらいの至近距離から、ストーフィの顔を覗き込む。

 その銀色の顔は相変わらず無表情だったが、やはり青い光がちらちらと瞬いた。


「お母さんんんん!!!! この中にいるのっ!!?」


 七都はストーフィの肩あたりを両手でつかみ、がくがくと揺さぶってみる。


「いるわよ。乱暴に扱わないでよ。精密機械なんだから。エルフルドにも注意されたでしょ」


 母が、やはり笑いながら答える。

 その声は、確かにストーフィの中から聞こえた。

 それも、向こう側の世界で聞いた母の声よりも現実的だ。

 頭の中に聞こえるのではなく、やはり耳から聞こえる生の声だった。

 もちろん、ストーフィの機械の体を通しているせいか、くぐもった声だったが。

 七都は、あんぐりと口を開ける。


「そ、そしたら、何!? ずっと……ずっとこの中にいたの? このストーフィの中に!? いつから!?」


「いつからだったかしらねえ。砂漠でお茶会やってたときくらいからかしらね。ああ、でも、ずっと入ってたわけじゃないわよ。出たり入ったり。気ままにね」


 母が、のんびりと答えた。


 七都は、ざっとストーフィの行動を思い出してみる。

 七都になついた、唯一のストーフィ。

 アヌヴィムの輪っかをはめたり、七都の服をまとったりしたストーフィ。

 そして、いつも七都を気遣い、心配しているようにも見えたストーフィ――。


 では、ストーフィが一体だけそういうおかしな動きをしたのは、母がその中に入っていたせいなのか?

 ストーフィの作り主のジエルフォートが設定していなかった行動を取ったのも。こちらの世界に来たがったのも。

 母がストーフィの中に入って、その体を操っていたせい……!?


「ちょっと待ってよ。じゃあ、私の薬を飲み込んだのも、お母さんなの?」


 七都は、ストーフィを睨んだ。

 かなりの迫力だったらしく、ストーフィは、たじたじと後ずさる。

 ストーフィの目の中を薄赤の光がさざなみのように横切った。


「ち、違うわよ。何かを飲み込むのは、ストーフィの習性。文句を言うならジエルフォートに言いなさいな。エルフルドが興奮したとき、あなたに指輪を差し出したのは私だけどね」


 母が言った。


「じゃあ、何で薬を出してくれなかったんだよ。私、大量出血を起こして死にそうだったんだよ。知ってると思うけど」


「あなたが頑固だから。まさかあんなに早く大量出血になっちゃうなんてね。想定外だったわねえ」


 母が、相変わらずのんびりと答えた。

 七都の苛立ちを直ちに分解して消滅させてしまうくらいに。


「魔の領域は、私の胎内のようなもの。あなたがどんなに危ない目に遭っても、助ける自信はあるわ。でも、エルフルドとジエルフォートにはイラッとしたわね。最初からあなたが助からないって決め付けて、何もしようとしなかったから。だから、ちょっとクレームつけちゃった」


 母はそう言った後、うふふと笑う。


「もう、お母さんったら。魔王さまたちにクレーム言うなんて。でも、お母さん、元魔王さまだものね。クレーム言える立場だよね」


「あら、私はあの二人よりも位は上なのよ。元とか、付けないでほしいわ」


 母が、少し不満そうに言った。


「位? ああ、時の都にいるから?」


 母は答えなかった。ただストーフィの目が、青と黄色の混ざったような、複雑な光を放った。


「とにかく、あなたが無事に戻ってこられてよかったわ。夏休みの宿題、たまってるんでしょ。頑張らなくちゃね」


 母が、場違いにも思えるセリフを言う。

 異世界の機械猫の中に入った元魔王の母が、夏休みの宿題の心配をするなんて。

 七都は、さらに呆れ果てて、苦笑した。


「シュールだ、お母さん。ストーフィに向かって『お母さん』なんて呼んでるのもシュールだ」


「でも、現実だもの。私、こちらに来ちゃったんだから」


「来ちゃったって、簡単に言うけどね。すぐ帰ってくれるよね? お母さんのおかげで、ちょっと複雑なことになってるんだよ。果林さん、出て行っちゃったし……」


「『果林さん』って誰よ?」


 母が、怒ったように言った。

 ストーフィの目の中が赤くなる。

 

「えーと。その、お父さんの……今の奥さん……」


 七都は正直に答えた。

 嘘をついても仕方がない。事実なのだ。

 戸籍上でも、彼女は父の妻になっている。


「お父さんのお嫁さんだよ。この家の主婦だよ。もう、お母さんがこっち側に来たから、もっと複雑になっちゃうじゃない。さっさと帰ってよ!」


「帰れですって? せっかく久し振りにこちらに来たのに……。帰れって……。ナナト、そんな悲しいこと言うんだ……」


 ストーフィが、がっくりとうなだれた。

 目の中には、黄色い光が薄く灯るだけになり、頭にも耳にもそして体の輪郭いっぱいにも、哀愁がにじみ出ているようだった。


「どうせ私は、家事なんて出来ないわよ」


 母が、さらにこぼす。


「料理だって、掃除だって、うまくはないわよ」


「お母さん、何いじけてるんだよ」


「こちらにずっといたとしても、あなたをちゃんと育てられるかどうかわからなかったわよ……」


「お母さんったら。仕方ないよ。お母さんはお姫さまなんだから、家事できなくって当然だし。お母さんが家事できなくったって、私は、きっとちゃんと育ったよ……」


 七都は言葉を探して母を慰めた。

 けれども、やはりストーフィを慰めているのはおかしな気分だった。

 中に母がいること自体が、まだ信じられない。


「でもね。今、この家の女主人は果林さんなんだ。お母さんが出てきたら、ややこしくなるんだよ」


「出ないわよ。この機械猫の中から、一歩たりと! だからナナト、もう少しこちらにいてもいいでしょ? すぐ帰るから」


「だめだよ。今すぐ帰って! お母さん、私の体を乗っ取ったじゃない。我慢できなくて、自分を抑えられなかったってことでしょ。これからもそういうことが起こらないとは限らない」


 七都は、うなだれているストーフィの背中に向かって言った。

 ストーフィの背中は、さらに小さくなる。


「どうせ扉は、まだ開かないわ。時間がくるまで。だったら、それまでいてもいいでしょ? 仕方ないじゃない」


 母が、ぼそぼそと言った。


「そりゃあ、そうだけど……」


「じゃあ、いる。絶対にこの機械猫の中から出ないし、喋らないから。ね」


 七都は、ストーフィの顔をずいと上から覗き込んだ。


「本当に? お父さんと会っても、平常心でいられる? 何もしないでいられるの?」


「いられる! 絶対だいじょうぶ。リビングのソファの上で、猫ロボットしてるから。ナナトが雑貨屋さんで買ってきた、猫ロボットね。電池が入ってるから、ちょっとだけ単純な動きをするの」


「信じられないよ」


 七都は腕組みをした。


「扉が開くまで、リビングじゃなくて、この部屋のチェストの上で猫ロボットでいるってわけにいかない?」


「いくわけないじゃない。退屈で死んじゃうわ。それとも、ナナト、ずううっと私の相手をしていてくれる? 宿題しなきゃならないんでしょう?」


 ストーフィが、じとっと七都を見上げる。


 七都は、はーっと溜め息をついた。

 母のほうが、たぶん一枚上だ。

 どれだけ言い合いっこをしてみても、結局七都のほうが折れるしかなくなってしまう。


「わかったよ。でも、約束だよ。喋らない。歩かない。複雑な動きはしない」


「ありがとう、ナナト。約束するから!」


 ストーフィの顔が、ぱっと輝いたように見えた。

 夏の太陽の光のせいかもしれなかったが。


(お母さん、実は扉開けられるんでしょ? 時間に関係なく。だって、あの扉を開けて頻繁にこちらとあちらを行き来してたはずなのに)


 七都は思ったが、言うのはやめておいた。

 母はともかく、しばらくこの家にいたいのだ。

 それで気が済んですんなり帰ってくれるなら、母の望み通りにしよう。


「じゃ、下におりましょ。ナナト、何か食べなきゃね。ああ、ちゃんと服を着なきゃだめよ」


 母が言った。

 七都は、まだ自分がパジャマのズボンをはいていたことに気づいて、枕もとのジーンズを取り上げた。


「それ、お父さんにも言われたけどね。この家には、お母さんとナチグロ=ロビンと私だけなんだし。別にパジャマでもいいじゃん」


「だめっ!」


 母が、きつめの口調で言った。


「親の言うことは、素直に聞きなさい」


「はいはい。にしても、二人して、何なんだよ」



 着替え終わった七都は、洗面所で顔を洗い、髪を梳かした。

 その間、棚に座らされたストーフィ=母は、じっといとおしげに七都を見ていた。


「そんなに見ないでよ。照れちゃうよ」


「あら、私は風の城にいるときも、ずっとあなたを見ていたのに」


「そうなの? お母さん、ストーカーだよ」


「『ストーカー』って何よ」


 母が訊ねる。


「そうか、お母さん、十五年前からこっちに来てないから、新しい言葉わかんないんだよね」


「そうね」


「ルーアンは、すごく勉強してるみたいだよ。ナチグロ=ロビンに、こっち側から資料持ってくるように頼んだりして」


「彼はオタクだから。この世界に関しての。あ、オタクくらいはわかるからね。十五年前にもあったから」


 母が、そっけなく言う。

 七都は、肩をすくめた。


「でも、お母さんが、扉が開くまでここにいるのなら、その間お話できるよね。それは嬉しいよ。お母さんといっぱい話したかったんだ」


「私も、ナナトと話したかったわ。私も嬉しい」


 母が機嫌よく言う。


「じゃ、下に降りるよ。お腹すいた」


 七都はストーフィ=母を抱き上げた。

 ストーフィ=母は、七都にぴったりとくっつく。

 七都は笑って、そのつるつるのひんやりした頭に手を回した。


「お父さん、目玉焼きとラーメン頑張って作れなんて、おかしなこと言ってたんだよね。冷凍した料理がたくさんあったはずなのに。探し方悪いんじゃないの」


 七都は、ゆっくりと階段を降りる。

 そして階段を降りきり、リビングに何げなく目を向けると――。

 ソファの上に、ユードが座っていた。

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