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第3章 洋館の魔神たち 14

「そんなことないよ。この体でいるほうが長いんだし、第一、わたしはこの世界で、この体で生まれてきたんだもの。そ、そりゃまあ、まだこちらに戻ってきて間もないから、完全に感覚が戻ってないかもしれないけどね」


「無駄口がたたけるなら、大丈夫そうだが」


 ユードは、ディートリヒを抱きかかえた。

 そして、彼をベッドの上に静かに横たえ、七都に向き直る。

 

「その方法ではだめだな」


 彼が言った。


「え?」


「手で押さえるだけでは、血は止まらん」


 ユードは、マントの中から、たたんだ黒い布を取り出した。

 それをバサッと広げ、七都の隣にかがみこむ。

 

「ちょ……! なに、近……っ」


「ほら、腕を出して、じっとしてろ」


 彼は、七都が止血をしていた手を邪魔そうにはずした。そして、怪我をしているほうの腕の下に、その黒い布をするりと通す。

 傷の上には、血も一緒に包み込むように、布が丁寧に巻かれていった。

 七都は固まったまま、止血をしているユードの顔を正面から眺める。

 真剣で、真面目な表情だった。

 思えばユードがこちらに来てからは、彼が向こう側の世界では見せてくれなかった表情を幾つも見ているような気がする。

 アイスクリームを食べるユード。七都に微笑むユード。七都をおちょくるユード。

 そして、今見せてくれている、七都の怪我の手当てをするユード。そのぴりっとした真剣な表情。


(魔神狩人じゃなかったら……とても素敵な人なのに。わたしが今人間だから、余計にそう思えるのかな)


 整った横顔。透明な灰色の目。旅をしている割に肌も綺麗で、睫毛も意外と長い。

 子供の頃は相当な美少年、いや、どちらかといえば美少女のようだったかもしれない。

 見た目は少し怖いが、おせっかいなくらいに優しい心をもつ若者。しかも育ちがよく、性格も素直。

 七都と初めて会った時も、何だかんだ言いながらも、おせっかいなくらいに七都のことを心配してくれた。


 けれども、どれだけ素敵であろうとも、この人物は異世界の魔神狩人。

 七都に親切なのは、七都がこの世界では人間だからだ。

 向こうの世界では、敵同士。出会えば戦わねばならぬ立場だ。


(残念だな……。仲良くしたくても、出来ないんだよね……。そういう運命)


「やっぱり、人間なんだな」


 ユードが、布を巻きながら呟いた。

 いつの間にかストーフィが七都の隣に立っていて、ユードの作業を大人しく見守っている。


「え……?」


「あんたの腕からは血が出ている。怪我をすると血が流れる。魔神族はそうはならない。不気味な穴が開くだけだ」


「だって、わたしは人間だもん、この世界では。知ってるでしょ。何を突然、改めて」


 七都は、肩をすくめた。


「妙な気分だ。あんたは魔神族なのにな。だが、今は人間で、手当てをするはめになっている」


「私も変な気分だよ。あなたに怪我の手当てをしてもらってるなんて。でもね、魔神族だって血を流すの。ある場所ではね」


「ある場所とは?」


 ユードが、手当てを続けながら訊ねた。


「言うわけないでしょ、魔神狩人なんかに、魔神族の弱みを」


 七都は、彼の横顔にアッカンベーをして見せた。


「それもそうだな。賢明だ、魔神族のお嬢さま。そら、済んだぞ」


 黒い布は、七都の腕に巻かれて縛られていた。見事な手際よさだった。

 七都の腕は、布によって強く圧迫されている。これで血は止まりそうだ。


「ありがとう。用意がいいね」


 七都がお礼を言うと、ユードは不機嫌そうに答える。


「生傷の絶えない商売なんでね。基本的な常備品ということだ」


「でも、この三角巾、まっ黒……」


 七都は、ワンピースとは対照的な黒い包帯を見下ろした。


「残念ながら、色の指定は出来ない。黒で我慢するんだな。血が目立たない」


 ユードが、素っ気なく言う。


(今の、冗談かな? 色の指定何とかってとこは。ちょっとおもしろかったけど)


 七都は思わず彼を見たが、その顔はいつもの苦虫を噛み潰したような表情だった。


 ピシ!


 部屋のどこかで妙な音がする。

 

 ピシッ。ピシッ。


 今度は連続だった。

 何か硬いものが、突然裂けるような音だった。


「何、今の音?」


「この家が崩壊するのですよ……。その前兆の音でしょう」


 ベッドから声がした。ディートリヒだった。


「え?」


 七都とユードは、ベッドの上に横たわっているディートリヒのほうを同時に見る。

 ディートリヒは目を虚ろに開けたまま、天井を眺めていた。


「本当なら、この家はずっと前に壊れていたはすなのです。そして、私も……」


 ディートリヒが呟く。


「この異人館が崩れるの? 大変! すぐにここから出なきゃ!」


「早く行ってください、お二人とも……」


「何言ってるの! あなたも一緒に出るんだよ!」


 七都はディートリヒの肩に手をかけて起こそうとしたが、彼は首を横に振った。


「公爵さまの魔法は消えました。家も私も、本来の姿に戻らねばなりません」


「本来の姿……?」


「アヌヴィムの定めだ。あんたも知っているだろう。魔神族と縁が切れれば、ただの人間に戻るということをな」


 ユードが言った。七都の背後に立って、ディートリヒを眺めながら。

 ユードの肩には、ストーフィがしっかりとつかまっていた。

 

(一緒なんだ……)


 七都は、思った。

 アヌヴィムが若く美しい姿を保っていられるのは、魔神族と取り引きして得た魔力のおかげ。

 その魔力を失えば、アヌヴィムたちは元の姿に戻る。その本当の年齢の姿に。

 そして七都は、何度かその姿を見てきたのだ。シャルディンやサリア。彼らの本当の姿を。

 

「で、でも、ほっとけないよ。一緒に出よう、ディートリヒさん」


「崩壊したこの家から出ても、私は灰になって消えてしまうでしょう。私はこの家があるからこそ、生きていられるのです。そして、この家は私がいるからこそ、この姿を保っています。公爵さまも言っておられたでしょう。私は間もなく、事切れると」


「そんな……」


「どうかこのままに、姫君。私はこの家と共に眠ります。家族の思い出が詰まった、懐かしいこの家で……。眠らせてください」


 ディートリヒが言った。少し微笑んで。


「彼の最後の願いだ。叶えてやるべきだな、魔神族の姫君としては」と、ユード。


 七都は、ベッドの下に落ちていた写真立てを拾った。

 割れたガラスの中から古い写真を取り出し、写真に付いたガラスの粉を手のひらで丁寧に払う。

 それから、写真をディートリヒの重ねた手の上に置いた。

 その間にも、硬いものが弾ける不気味な音は、どんどん増えていった。

 壁の中に何かが潜んでいて、その音を楽しそうに奏でているように。


「ありがとうございます」


 ディートリヒは嬉しそうに微笑み、骨ばった手で写真を握りしめた。


「私の家族は、もう誰もいません。私の死と共に、私の一族も消滅を迎えます。家族の血も、家族の記憶も、私でおしまいです。私の不甲斐なさと野望のために、次に引き継ぐことは出来ませんでした。すべては時間の海の底に……」


「あなたの家族の血は、あなたで最後じゃないよ。あなたには息子さんがいるんだ……」


 七都は、ディートリヒに言った。

 言うべきか一瞬迷ったが、彼はもうすぐ死ぬのだ。

 やはり、そのことを伝えておくべきではないのか?


 ディートリヒは、七都を見上げる。

 明るい海を思わせる青い目。

 しかし、彼の息子は、この目の色を受け継いではいない。

 母親と同じ、木々の萌える緑色だ。


「ただ、その……。厳密にあなたの子供と言えるのかどうか、ちょっとわからないけど……」


 七都は、口を濁す。

 

「ああ……」


 ディートリヒは微笑み、それから、納得するように深く頷いた。


「あのアヌヴィムの少女ですね。赤い髪の……。そうですね。厳密には、私の子供ではないかもしれません。公爵さまの魔力の結果として、生まれた子供でしょうから……」


「でも、公爵は、あなたの体を使って……。だから、そのう……生物学的には、あなたの子供なんだと思うよ」


「あなたは……その子をご存知なのですね? そして、その母親も?」


 ディートリヒが訊ねる。七都は、こくんと首を縦に振った。


「彼女を見ていました。公爵さまの中から……」


 ディートリヒは、夢見るように目を閉じる。


「美しく、誇り高い少女でした。ほんの僅かな時間だったとはいえ……私は彼女が好きでした」


「じゃあ、その言葉、彼女に伝えるよ……」


「いいえ。伝えないほうがいいでしょう。伝えてはいけませんよ」


「何で? それは彼女の慰みにはならないの? 彼女が受けた忌まわしい出来事を少しでもやわらげるものにはならないの?」


「おやさしい魔神族の姫君。私は彼女にとって、単に『魔貴族に乗っ取られたアヌヴィムの体』でしかありません。私に対して、何らかの感情があったとは思いません。あるとするなら、公爵さまにでしょうから」


「そう……なの? あなたはそれでいいの?」


 ディートリヒは、微笑みながら、ゆっくりと頷いた。


「二人とも、幸せに暮らしているのでしょうか?」


 ディートリヒが訊ねる。


「うん……。幸せだと思うよ、人並みにはね」


「その幸せが、ずっと続きますように……」


 ディートリヒは呟き、それから再び七都を見つめる。


「あなたは、魔王さまに近しいお方なのですね。四人もの魔王さまの……」


「あ……」


 七都は、思わず額を押さえた。

 そこにあるのは、四人の魔王――リュシフィン、シルヴェリス、エルフルド、ジエルフォートがくれたキスのあと。口づけの印。

 だが、それをもらったのは向こうの世界なのだが。

 この世界の人間の体に戻っても、魔王たちの印はそのままなのだろうか?


「見えるの? あなたには?」


「今は見えません。あれが見えるのは、魔神族だけです。先ほど、公爵さまの目を通して拝見しました。とても綺麗に輝いていましたよ」


 それからディートリヒは、七都の後ろに立っているユードに視線を移す。


「あなたもそうなのですね。魔神狩人なのに、額に印がある。何か複雑なご事情がおありなのか……」


「何のことだ? 額に印だと?」


 ユードが、怪訝そうな顔をして眉を寄せた。


「知らないなら、知らないほうがいいと思うよ。魔神狩人としては屈辱だろうし」


「なぜ、私の知らない私に関することを、あんたが知っている? 非常に気分が悪い」


「だって、私にも見えたからだよ、向こうの世界でだけど。でも、知ったら、よけいに気分が悪くなると思うよ」


「たとえそうだとしても、知っておくべきことだな、それは。……魔神族に関することか?」


「そうだよ」


「教えろ」


「あなたって、見かけによらずMだよね」


 七都は、ユードの鋭い視線を見つめ返した。

 ストーフィが心配そうに、七都とユードを代わる代わる眺める。


「えむ? 何だ、それは。とにかく、教えていただこうか」


「姫君は、あなたを気遣っておいでなのですよ……」


 ディートリヒが、微笑みながら呟いた。


「気遣いなどいらん。遠慮なく言え」


「じゃあ、教えてあげるよ。向こうの世界に帰ったら、頭抱えて嘆いたらいい」


「頭を抱えて嘆くかどうかは、私の勝手だ。さっさと話せ」


 ユードの灰色の目が、七都を見据える。


「もう。じゃあ、言っちゃうけど。あなたの額には、魔王の口づけの印がある。七人のうちのどの魔王さまかはわからないけど。あなたはその魔王さまの、とても大切な人だってことだよ」


 ピシッ!!!


 壁に稲妻のような亀裂が入る。

 やがて天井から、ぱらぱらと壁の破片が落ち始めた。

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