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第3章 洋館の魔神たち 13

 血が流れ出ている。左の手首から。

 どうやら公爵から逃げるときに、腕が日本刀の刃に触れてしまったらしい。

 刃に接触した感覚は、まるでなかった。 けれども、血はだらだらと傷口から流れ出る。

 傷口は赤い線のようなのに、そこからこぼれる血は、幾筋もの小さな川を作っていた。

 向こうの世界で自分の血を見たときは、どこか夢か幻であるかのような気がした。

 だが、これは現実だ。

 七都は、呆然と自分の腕を眺める。

 血の赤が、目に突き刺さるくらいに鮮やかだった。

 そしてその赤色が、向こうの魔神族の自分の血とほぼ同じ色であることも、新鮮な驚きだった。


(ナナト、だいじょうぶ? ナナトっ!!!)


 今にも泣きそうな母の声が、頭の中にがんがんと響く。

 その声を聞いて、七都は冷静さを取り戻した。


(だいじょうぶだよ。静かにして、お母さん。お母さんがうろたえると、私まで不安になるでしょ?)


(あ、そ、そう? ごめんなさい。でも、ナナト……)


(お母さんったら。向こうの世界では、私が死にそうになってても落ち着いていたじゃない。あのクールで動じないお母さんは、どこに行ったの?)


(だ、だって、あっちは私の体内のようなものだもの。でも、ここでは、私はあなたを守ってあげることは出来ないの。とても無力なのよ。この世界では私は、あなたが病気になっても、事故に遭っても、誰かに殺されそうになっても、何も出来ないのよ!)


 ストーフィが、思いつめたような目をして、七都を見上げる。

 もちろんその目は無表情な機械の目だったが、七都には中にいる母の感情は充分すぎるくらいに伝わった。


(大丈夫だよ。ここでは、自分で自分のことを守るから)


(守れてないじゃないのよ!)


 母が、七都の頭の中で叫んだ。


(今回は少し失敗したかな。でも、大したことないよ、ちょっとかすっただけだ。血なんて、すぐに止まるから)


(止まる気配なんて、全然ないじゃない!)


(そのうち止まるってば)


 七都は、怪我をした腕の少し上――脇の下あたりを掴んだ。

 確か、保健の時間に習った止血の位置って、ここだったっけ……。

 あまり自信がなかったが、七都は取りあえずそこを押さえる。


(それより、お母さん。ユードとずっと一緒だったんでしょ? 正体バレてないよね?)


 七都は、母に訊ねてみる。


(私が、そんなヘマすると思う?)


(そうだね、お母さんは元魔王さまだもんね。でも、ちょっとどこか抜けてそうだから……)


(何ですってえ!? 今、抜けてそう、とか言った!? )


 母の怒鳴り声が、七都の頭の中に過剰に大きく響く。

 その声が傷に響くような気がして、七都は思わず顔をしかめ、苦笑した。


(ごめん、訂正。子供っぽいけど、結構、抜け目ないよね。っていうか、今、そんな親子間の小競り合いしてる場合じゃないよね)


(私もそう思うわ)


  と言って、母は黙った。


「では、魔貴族の公爵さまとやら。そのアヌヴィムの体から出ていただこうか」


 ユードが、公爵にエヴァンレットの剣を突きつけて、言った。


「どちらの公爵さまなのかな。我々が把握できていない公爵か」


「ふ。そなたたち魔神狩人が、私を知っているわけがなかろう?」


 公爵が、ユードを小馬鹿にしたように笑う。


「そうだよね。だって、私だって知らないんだものね」


 七都は振り返り、公爵の言葉に付け足した。


「でも、ルーアンはあなたのことをきっと知ってるはずだし、ゼフィーアだって知ってるよね。あなたの正体は、あなたが教えてくれなくったって、いずれ近いうちにわかるよ」


「ルーアンはともかく、あのアヌヴィムの魔女は、私のことは簡単には喋らぬだろうよ」


 公爵が七都に言った。 


 ゼフィーアはこの公爵に、どんな感情を持っているのだろう。

 前は? 今は? さらにはこの先、彼とどう関わっていこうと思っているのだろう。

 セレウスの出生を秘密にしていたということは、関わる意思は持っていないとも読み取れるのだが……。

 七都はふと思ったが、もちろんそれは、彼女に聞いてみなければわからないことだ。

 そしてそれは、公爵が言ったとおり、彼女が素直に話してくれる話でもないだろう。 


 ユードは、公爵に突きつけた剣を、公爵の胸に直接当てた。

 公爵は顔を歪めたが、すぐに不適な笑みを浮かべる。

 剣は、淡い銀色の光を放っていた。


「その剣でどれだけこの男を脅そうと、私には関係はない。私の本体は、遠い世界に存在するのだ。この男に剣を使っても、そなたは単にアヌヴィムを一人傷つけるだけにすぎぬ。まあ、この男は間もなく事切れるだろうから、早かれ遅かれ、私は出ては行くがな」


 公爵は笑みを浮かべたまま、ユードに言った。


「だが、公爵殿。おまえの意識は今、この男の中にあるのだからな。剣でこのアヌヴィムの体を突き刺せば、おまえの意識はこの体の中に封じ込められる。このアヌヴィムがもうすぐ死ぬというなら、おまえも共に滅びることになるだろう」


 ユードが、静かに告げる。


「何!」


 公爵が顔色を変えて叫んだ。


(エヴァンレットと同じだ……)


 七都は、思った。


 暴走した風の魔王エヴァンレットは、ルーアンによって、剣で自らの体の中に封じ込められた。

 魔神族の体を灰にしてしまう剣は、魔王に対しては、そういう力を持つ。

 人間の体に乗り移った魔神族にも、似たような作用が及ぼされるのだろう。

 剣は魔力を奪い、魔神族の意識を本体から分断する。意識はもう元の体に戻ることは叶わない。魔力を使えなくなった魔神族は、乗っ取った体が滅びるならば、その体ごと共に滅びるしかない――。

 魔神狩人たちは、風の魔王だったエヴァンレットのことは知らずとも、エヴァンレットという名前を持つ剣の力は知っている。


「このアヌヴィムと心中したくないのならば、さっさとこの体から出て、元の世界に帰ることだ」


「くっ……」


 公爵が、ユードを睨んだ。

 けれども、その険しい形相は、次の瞬間には突然消えてしまった。

 彼の顔は人形のように、ただ虚ろに宙を眺めているだけになる。

 

 バタン!!!


 開いていた衣装ダンスの扉が、いきなり閉まった。

 奥に垣間見えていた異世界の風景も、扉によって閉ざされてしまう。

 たとえ衣装ダンスをもう一度開けても、あのコバルトブルーの風景を見ることは、もう出来ないだろう。

 向こうの世界との通路は、絶たれたのだ。


「出て行ったな。何と、かしましい公爵さまだ」


 ユードが皮肉っぽく呟いた。

 彼はエヴァンレットの剣を見惚れるくらいに優雅にくるりと回転させ、鞘に収める。


 突っ立っていたディートリヒの体が、ゆっくりと絨毯の上にくず折れた。


「ディートリヒさん!」


 七都は、彼の元に駆け寄った。

 ディートリヒは固く目を閉じ、動かなかった。けれども、胸は大きく上下している。


「おい……」


 ユードが、あきれたような顔をして、七都を見下ろす。

 七都は怪我をした左腕を押さえていたが、押さえている指の間からも、血が流れ落ちていた。


「あんた、この世界では生身の人間だということを、完全に忘れているようだな」

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