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第3章 洋館の魔神たち 7

「わけがわからない? 私が申し上げた通りですよ。現在のリュシフィンさまはあなたの母上かもしれないが、次の代は私になるということです。あなたを王妃にしてね」


 『あなたを王妃に』のところで、七都は思わず身震いした。


「あのね。風の魔王リュシフィンの王位継承者は、今は二人しかいない。ルーアンとわたし。たった二人だ。血筋的にも、二人以外には存在しない。どれかの代のリュシフィンに隠し子でもいない限りはね」


 七都が言うと、彼は、ふっと笑う。


「しかし、お二人とも次期リュシフィンになるのがお嫌で、冠を押し付けあっているらしいですね。あなたの母上……現リュシフィン様も、心労が絶えませんな」


 七都は口をつぐみ、注意深く彼を眺めた。


(この人……ルーアンとわたしの事情を知ってるんだ? でも、お母さんが、まだ風の魔王リュシフィンだと思ってる。もうとうにリュシフィンををやめて、時の都に行っちゃったのに。そのことまでは知らないの? どういうことなんだろ。何で中途半端に知識があるんだろう?)


 七都とルーアンの王位継承に関する諍いは、ごく最近のことだ。

 それは、他の魔神族には閉ざされた風の都の中でのこと。しかも風の城、玉座の間が発端だ。

 そばには、ナチグロ=ロビンしかいなかった。

 そして、七都が、そのことをちらりとでも喋ったのは、風の城に住むアヌヴィムの女性たち、あとは七都の側近たち。

 なぜこのセレウスそっくりの人物は、自分のプライベートなことを知っているのか?


(セレウス……。そういえば、セレウスには言ったっけ。わたしが直接言ってなくても、話は自然と聞いたかもしれない。シャルディンやカーラジルトたちと何時間も一緒にいたわけだし、誰かからネタとして聞いちゃったかも。でも、似てるかもしれないけど、この人はセレウスじゃない!)


 ただ似ているというだけでセレウスを疑うのは、愚の骨頂というものだ。

 実直すぎるくらいに七都を敬愛している彼が、七都と敵対する者と通じているわけもない。

 ちらとでも彼を疑う気持ちに傾いてしまったことに、七都は言いようのない自己嫌悪を感じる。


「それは、わたしとルーアンとで決めることだ。二人のうち、どちらかが次のリュシフィンになる。それは間違いないよ。風の王族は、お母さんを除いては、ルーアンとわたししかいないんだもの」


「ふ、ルーアンは、そうは言わなかったからな」


 彼が言う。


「彼には煮え湯を飲まされた。彼のせいで、私は……」


「ルーアンの悪口は言わないで。そもそも、あなた、魔神族じゃないよね。ただの人間でしょう? やっぱりアヌヴィムなのかな? ルーアンとどういう関わりだったかは知らないけど、ルーアンは人間、特にアヌヴィムとは対等に付き合ったりはしない。誇り高い魔貴族だもの」


「私は、彼以上に誇り高く、気高い魔貴族だ」


 彼が呟いた。

 大仰な台詞の割には、自信が伴わぬ小さな声。


 七都は、彼の乱れた金色の髪をじっと見つめる。

 赤味がかった金色は、七都の眼前でたちまち消え去り、その下からは、濃い栗色の髪が現れた。

 彼は驚いた様子で、先だけが全く違う色となった自分の髪を握りしめる。


「あなたの金髪は、染めてるんだね。このガラスの中の魔神族の髪と同じ色に。だけど、あなたの髪の本当の色はその色。金髪は偽りの色だ。あなたは魔神族になりたかったの?」


 七都が言うと、彼は、物凄い形相で七都を睨みつけた。そして、絞り出すような声で七都に訊ねる。


「そなたは魔力が使えるのか? この世界でも」


「はい、使えちゃってますよ」


 七都は、茶化すように答える。

 むろん、その力が、意識しないのにいきなり使えてしまうとか、自分でコントロール出来ない、などということは、決して知られてはならない。

 たった今やってのけた技も、意図したものではなかった。何となく凝視していたら、彼の髪がまるで七都に恐れをなしたように、勝手に正体を現しただけだ。


「なぜ魔神族のふりをしたがるのかは知らないけど、あなたは人間だ。あなたは髪だけじゃなく、たぶん、顔も変えた。 整形だか魔力だかは知らないけどね。ディートリヒ・アンデルス。それが、あなたの名前なんでしょう? そして、ベッドの枕元に並べている写真は、あなたの幼い頃と、あなたの家族の写真なんだ。だって皆さん、あなたの本当の髪とそっくり同じのブルネットだもの」


 彼は自分の髪をつかんだまま、石像のように動かなかった。


 半ば自棄気味、当てずっぽうで言葉を探して喋っているうちに、どうやら答えにたどり着いてしまったようだ。

 七都は、サイドテーブルの上の写真立てに視線を投げた。


 そうだ、そうなんだ。だから彼は、あの写真の人たちに全然似てないんだ。

 そして、家族だから枕元に、あんなにも大切そうに写真立てに入れて、飾ってあったんだ。


「あそこにあった名前は、あなたが書いたんだよね? ディートリヒ・アンデルスという名前を、何度も何度も、あなたはあの小さなノートに書いた。たぶん、その名前を忘れないために、それから、家族のことや自分の子供の頃のことを忘れないために、何回も何回も……」


「ディートリヒ……アンデルス」


 彼が呟く。

 七都のようなカタカナの棒読みではなく、きれいなドイツ語の発音だった。


 ああ、やっぱり、この人はドイツ人なんだ。

 ドイツからやってきて、この異人館に住んでいたんだ。他の異人館の外国人がそうだったように。


 七都は、嬉しくなると同時に、少し安心した。

 彼の背後に渦巻いていた魔神族の影は消滅し、改めて彼の影は、こちらのこの世界としっかりと繋がれたような気がした。


「それが……私の名前だと……?」


 彼が呟く。


「そうだよ、ディートリヒさん。あなたは、魔神族にリスペクトしすぎて、たまたま手に入れた魔神族の髪で妄想してしまったんだよ。自分が魔神族だって思い込んで……」


 七都は推測して言ってみたが、その結論にしてしまうには多少無理がある、と自分でも思った。

 謎は残ってしまう。

 なぜグリアモスが彼に仕えている?

 グリアモスが人間に服従するなんて、違和感がありすぎる。

 そして、なぜ彼は、七都とルーアンが王位継承権を譲り合っていることを知っている?

 さらに、なぜルーアンを裏切り者などと言うのだろう? もしかして、やはり昔からルーアンを知っているのか?


 だが、彼は人間だ。それもまた、確かなこと。

 彼がアヌヴィムなら、自分の名前を書いたことも納得はいく。

 アヌヴィムは、魔神族には名前で呼ばれない。風の城にいるアヌヴィムたちが名前を持たぬように。

 だから、記憶から抜け落ちて行く自分の名前を書いたのではないだろうか?


「私の名は……ディートリヒ……。ディートリヒ・アンデルス……。アンデルス……」


 ディートリヒ・アンデルスは、両手で頭を押さえる。


「そう。あなたはディートリヒ・アンデルスさんなんだよ」


 ディートリヒは自分の名を呪文のように唱えながら、サイドテーブルのほうによろよろと歩いた。

 そして、写真立てを両手で取り上げて、覗き込む。

 彼はドイツ語で何か呟いて、写真立てをそっと優しく指先でなぞった。

 二人の男女が写った写真だ。


「きっとそれが、あなたのご両親なんだよね。思い出したの?」


 彼の目からこぼれた涙が、写真立てを持つ彼の手に、ぽたぽたとこぼれる。


(やっぱり、ディートリヒさんは魔神族なんかじゃない。魔神族は泣かないもの。魔神族の魔力で年を取らずに長生きした、アヌヴィムだったんだよね? それで、魔神族へのリスペクトが過ぎて、自分が魔神族だと思い込んでいたんだ。ルーアンとかわたしのことを知っていたのは、魔神族の誰かから噂話を聞いていたから。単にそういうことなんだ)


 七都が無理やり結論づけ、ほっとした瞬間――。


 バン!!!


 キャビネットの隣にあった洋服ダンスの扉が、大きな音をたてて、ひとりでに開いた。

 開け放たれた、両開きの扉。

 何かを吐き出すように。あるいは、何かを吸い込むように。

 ディートリヒはというと、特に驚きもせず、相変わらず俯いて、写真を眺めている。


 七都はタンスの奥に、あり得るはずのないものを見る。

 そこには、長方形のタンスの形ぴったりに合わせた、どこかの景色のポスターが貼られていた。

 いや、ポスターではない。本物の景色が広がっているのだ。

 その背後にも果てしなく広がる、向うの世界の。


(タンスの奥に異世界? 何てベタなんだよ……)


 皮肉めいた笑いがこみ上げてきそうになる。

 そうだ、ディートリヒ・アンデルスがアヌヴィムなら、もちろん主人がいる。魔神族の主人が。


 七都は気持ちを引き締め、タンスの奥をじっと眺めた。

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