表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/55

第3章 洋館の魔神たち 3

 七都は、もう一度洋館を振り返った。

 洋館には明かりが灯っていた。

 天井にアンティークな形の明かりが張り付いているのが、ガラスを通して垣間見える。

 蝋燭のシャンデリアでもなく、魔神族のためにアヌヴィムが用意する、青い炎のような明かりでもない。電気を使った近代的な明かりだ。

 この家にも、普通に人が住んでいる。そう確認できることに、七都はさらに安堵した。

 もしかしたら、魔神族と何か関係のある人々なのかもしれない。

 けれども、この世界にも魔神族は普通にいるのだ。

 案外、見張り人の誰かの家だったりするのかもしれない。それがたまたま七都の近所だったとしても、おかしくはない。


 帰路につく人々が、七都とすれ違う。

 携帯に夢中になりながらゆっくりと歩く、クラブ帰りの学生。スーパーの袋を両手に提げた女性。仕事の話をしながら連れ立って歩くサラリーマン。

 そういった夕方の景色の中に混じっていることが、七都は嬉しかった。

 ここでもまた、人々は生きている。暮らしている。それぞれの生活を大切にしながら。

 やっぱり帰ってきたのだ、ここに。

 何年も留守にしていたわけではないのに、その光景は妙に懐かしかった。

 七都は夏の夕刻の景色を楽しみながら歩く。


 やがて、その夕方の空間の中に、何か黒いものが存在することに七都は気づいた。

 黒い影。人々よりも大きいが、背は低い。いや、横に長いのだ。

 通り過ぎる人々は、それには全く無関心だった。そんなものはないかのように、あるいは昔からそこにあって当たり前のように、その前や横を通り過ぎていく。


 何だろう、あれは。

 あんなところにあんなもの、あったっけ。

 近づくにつれ、それの輪郭がはっきりする。


 七都は、思わず立ち止まった。

 全身から汗が噴き出す。冷たい汗だった。

 夏の夕方だというのに、その冷たい汗は背中を駆け下りて行く。全身を凍らせながら。


 それは、七都がよく知っているものだった。

 血のような赤い二つの眼が、黒い闇色の体の中に浮かんでいる。

 そのぼやけた輪郭は、動物だった。

 巨大な、しなやかな猫。

 いや、『猫』と呼ぶには、可愛らしさは皆無。化け猫……怪物だ。


 その黒い怪物は、アスファルトの道路にちょこんと座り、通り過ぎる人々を鑑賞するかのように、のんびりと眺めていた。

 長い尾が、少しいらつくように、うねうねと動いて道路をたたく。


 グリアモス……!!


 七都は、それを凝視する。

 足がすくんで動けなかった。


 なぜ?

 なぜグリアモスがこんなところにいる?

 

 グリアモスに襲われ、傷つけられたときの記憶が蘇る。

 七都はそれを頭から払いのけた。

 そして、魔神族は、この世界にも存在するという事実を慌てて思い出す。

 見張り人や、かつての七都の母のように住み着いている人々もいる。サラのように物見遊山で行き来する人たちも大勢いるだろう。

 グリアモスがいても当然。むしろ当たり前のことではないか。


 そして、もちろん、彼らはここの世界の人間には見えない。

 見えるわけもない。見えると騒がれて、魔神族には都合が悪いからだ。魔法で隠されているに違いない。

 あれが見えてしまうのは、自分が魔神族だからに過ぎない。


「じゃあ、別に怖がることないよね。何もしてこないはずだし」


 七都は、自分に言い聞かせるように呟く。


「わたしが誰かなんてことも知ってるわけないし。きっとご主人がこの近くにいるんだ。で、ハチ公みたいにおとなしく待ってるんだよね」


 ふと、額にある魔王たちの口づけの印が気になる。

 この世界の人間の体でいるときも、あの口づけの印は額にあるのだろうか。

 グリアモスには、あれが見えるのだ。


 一応七都は、前髪を額の上に無造作にかぶせた。

 そして、深呼吸を一回してから、ゆっくりとグリアモスの前を通り過ぎる。

 不自然にならないよう、何げなく。他の通行人と同じように。

 もし正体を気づかれて、ついてこられたりしたら、絶対にいやだ。グリアモスのストーカーなんて!

 家を知られたりなんかしたら、後がやっかいになる。

 自分だけならまだしも、家族を妙なことに巻き込みかねない。


 けれども、グリアモスは、やはり七都には無関心だった。

 相変わらず血の色の目で遠くをのんびりと眺め、その尻尾はパタパタと道路をたたく。

 

 その前を通り過ぎ、しばらくしてから、七都は深く息を吐き出した。

 よかった。無事に通れた。

 正体も気づかれなかったようだ。

 あるいは感づかれたのかもしれなかったが、少なくとも何もしてはこなかった。


 遠慮がちに振り返ってみると、グリアモスの姿はなかった。

 暮れなずむ青っぽい景色のには、家路を急ぐ人々の姿しかない。

 その中に重なるたくさんの影は、まだそれほど濃い色でもなかった。

 グリアモスの影のあの闇色は、見当たらない。


「あれ? どこかに行っちゃった? もしかして、夢だったりして。見間違いかな」


 夢かもしれない。

 向こうの世界から帰ってきて、まだそんなに時間は経っていないのだ。

 その影響か何かで、変な夢とか幻を引きずってきていても、おかしくはないのかもしれない。


 もしかしたら、まだ睡眠が足りないのかも。

 帰ったら、少し休もう。


 七都が思いながら顔を戻すと――。


「あなたが噂のナナトさまですか。風の魔神族の姫君」


 視界いっぱいに、闇色が広がっていた。そしてその真ん中には、血の色の二つの眼。


 グリアモスが、七都の前に立ちふさがるようにして座っている。

 1メートルよりも近い至近距離だった。

 再び七都の体は凍りつく。

 グリアモスは、獲物に狙いをつけた猫のような姿勢で、七都をじっと見つめた。


「……だったら?」


 七都はグリアモスを睨み付けた。

 グリアモスになんか負けない。

 私は風の魔王の娘。余り認めたくないとはいえ、唯一の王位継承者ということにもなっている。王女としてのプライドと威厳を持たなければ。


「一緒に来ていただけませんか? きっと私の主人は、あなたに会いたいと思うのですよ」


 グリアモスが言った。


「あなたのご主人が? 何でわかるの? 会いたくないかもしれないじゃない?」


 七都はさらに、グリアモスを睨む。

 相当な迫力を出してそうしたはずだったが、グリアモスは動じなかった。それどころか、のほほんと笑っているようにも見える。


「いえ。あなたとミウゼリル様がおられなければ、我が主人が風の魔王になっていたはずなのですからね。そういう話を聞いております」


「え……?」


 今、何と言った?

 このグリアモス……。


「お断りされても来ていただきますよ、姫君」


 七都の目の前が突然、真っ暗になる。

 自分の体が地面にゆっくりとくずおれていくのを、七都は意識の端でかろうじて感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=735023674&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ