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第3章 洋館の魔神たち 2

 七都とサラは果林さんのいるカフェを後にし、再び葡萄酒色の電車に乗った。

 サラは相変わらず七都と繋いだ手をぶんぶんと振り回し、リズムの崩れた下手なスキップを踏んで、七都をイラッとさせる。


「ねえ。これからどこに行くの?」


 サラは、電車の座席に上がって窓の外を見る。

 乗客たちの冷たい視線を感じて、七都は慌てて靴を脱がせた。


「どこにも行かないよ。家に帰るの!」


 七都は答えると、サラは、なあんだというふうに頬を膨らませた。

 

「あなた、お母さんの知り合いなんでしょ? 家に来る? そのうちお母さんも帰ってくると思うよ。今は猫ロボットの中に入ってる状態なんだけど、向こうの世界に帰る前に会ってく?」


「ミウゼリルにはいつも会ってるんだもん。この世界でも、わざわざ会う必要もないでしょ」


 サラが言った。


「それに、何で私がもう向こうに帰るって決め付けるのよ?」


「帰るんでしょ? お母さんと仲良しだったら、ついでにお母さんを連れて帰ってよ!」


「いやよ。別の世界でどう動こうが、それはその人の勝手だもの」


 サラが七都を睨んだ。


 七都の家に行くのを断ったサラだったが、七都が電車を降りても、彼女はずっと七都についてきた。

 相変わらず七都の手を握ったまま、無茶苦茶なスキップをして隣を歩く。


 ほんとにこの子、いったい誰なのかしら。

 いつもお母さんに会ってるって……。

 どういう立場でどういう状況の子?


 七都は、ふと何かを思い出しそうな気がした。

 サラを知っている。

 でもそれは、このサラではなく――。


「あれ?」


 サラが立ち止まる。


 二人の近くには、あの洋館があった。

 震災でも倒壊しなかった、蔦に覆われた古い洋館。

 夏の夕方の空気の中で、その建物はいつもどおりの不気味さを醸し出していた。

 風に吹かれて、蔦のカーテンが涼しげな音をたてる。


 その洋館の門のあたりに、数人の人々が固まっていた。

 これから中に入るようだ。

 七都の友人が目撃したように外国人もいたが、普通に日本人も混じっていた。

 夏だというのに、フード付きのマントをまとっている人もいる。


 そのフード付きマントの人物の顔がわずかに見えた。一瞬だったが――。

 七都の立っている位置と光の具合、そしてその人物の顔の角度が、偶然にも一致したという感じだった。


 美しい男性だった。外国人だ。

 物憂げな表情が、さらにその美貌を退廃的な方向に増幅させていた。

 七都は、その顔に見覚えがあった。

 扉の向こうの世界でよく知っている人物だ。


 七都は自分の目を疑った。


「セレウス!?」


 七都がそう叫ぶと同時に、サラも何か叫んだ。

 七都が聞いたことのない単語。どうやら彼女も誰かの名前を叫んだらしい。

 サラの声を聞いて、七都は、はっと我に返る。


 そうだ。

 こんなところにセレウスがいるはずもない。

 彼は異世界に住む人間――

 正確には、ただの人間ではなく魔法使いだが、どちらにせよ、異世界に来られるような人ではない。

 彼は、異世界を行き来する魔神族を見送り、迎える立場のアヌヴィムなのだ。

 七都がこちらに帰るときも、見送ってくれたところだ。

 向こうの世界の彼の屋敷に行けば、彼は常にそこで姉と共に暮らしている。きっと今も屋敷にいて、カトュースの世話をしているに違いない。


「え? 誰? 何て言ったの?」


 七都は、サラを見下ろした。

 サラが今の人物を見て誰かの名前を叫んだということは、その人物をサラが知っているということだ。

 しかも、その人物はセレウスに似ていることになる。


 けれども、サラは、すぐに自分の言葉を否定した。

 

「そんなわけない。彼がこの世界にいるなんて、そんなわけない……」


「彼……って?」


 七都とサラがお互いの記憶に照らし合わせて勝手に呆然としている間に、人々は館の中に入ってしまった。

 例のマントの人物も、周囲の人々に囲まれるようにして姿を消してしまう。

 人々を吸い込んだ館は、いつも通りに蔦を茂らせ、青い空を背景にして、相変わらず不気味な雰囲気で、そこに佇んでいた。


 サラは、もう一度その名前をぼそぼそと小さく呟いたが、七都には聞き取れなかった。

 ただ最後の『公爵』という称号だけは、かろうじてわかった。

 魔貴族の誰かの名前だろうか。公爵の位を持つ。


「あなたの知ってる人?」


「だと思ったんだけど、違うよ。彼がこんなところにいるなんて考えられない。だって、彼は……」


 サラは少し不快そうな表情をして、ぶるんと顔を振った。そして、七都に訊ねる。


「ナナトも誰かの名前言ったよね? だあれ?」


「向こうの世界でお世話になっている、アヌヴィムの魔法使い。その人に似ていたの。でも、その人もここにいるはずのない人だ」


「なあんだ」


 サラが、おもしろくなさそうに呟いた。


「でも、サラ、あなたが知ってるその人って、魔神族なんでしょ? 私が言ったアヌヴィムは、魔神族の血を引いてるらしいよ。それだけ似てるってことは、何か関係ないのかな。その二人って、ご先祖が一緒だったりして」


 ゼフィーアとセレウス姉弟の祖先は、確か魔神族。

 そのことを思い出した七都は、サラに言ってみる。

 

「まあ、考えられないことじゃないけどね。アヌヴィムとの間に子供を作っている魔貴族は、結構いるもの。でも、大概お遊びだ。快楽の果ての結果とかね。それか利益の代償で、仕方なく配偶者にしたとか? どっちにしろ、余り公にはしたくない事柄ってこと。だって、彼らは食糧を提供してくれる便利な存在に過ぎないんだもの。だから、たとえナナトが言ってるアヌヴィムの祖先の一人が魔神族だとしても、血筋なんてたどれない」


 サラが、見た目の年齢には似つかわしくないセリフを並べた。

 七都は苦笑して、溜め息をつく。


「どっちにしろ余り公にはしたくない事柄で、食糧を提供してくれる便利な存在……か」


 『人間は魔神族にとっては食糧』という言葉。

 この世界に帰ってきてからも、耳にするとは思わなかった。


「ああ、人間はアヌヴィムとは別だよ。勘違いしないでね」


 七都の頭の中を覗いたかのように、サラが付け加えた。

 彼女は、父親が人間である七都の境遇を知っているに違いないのだが、気を遣ってくれるそうな欠片も見つからない。

 にこにこ笑いながら、悪びれる様子もなく、サラは続ける。


「魔神族は、人間より下にアヌヴィムを位置づけてるから」


 むろん、それは風の城に住んでいるアヌヴィムたちに対する、ナチグロ=ロビンの態度からも明らかだ。

 彼らはナチグロ=ロビンやルーアンから、名前さえ呼ばれない。

 『アヌヴィム』という一塊でしか認識されていないのだ。


「私たちは、人間は伴侶にしても、アヌヴィムを伴侶にするなんてことはあり得ないよ」


「そうなの? でも、わたしはアヌヴィムとも同等に付き合いたいと思ってるよ。独立した一人の人間なんだもの」


「物好きね。ナナト、もしアヌヴィムなんかと結婚でもしたら、他の魔王さまたちから総無視だよ」


 サラが警告するように、じろっと七都を横目で見上げた。


「まあ、ほどほどにね。じゃ、ナナト。ここでお別れだよ。また遊びに来るけど」


 サラが言って、七都の手を離した。


「向こうの世界に帰るの?」


「もうしばらく、この世界で遊んでく。おもしろいものがいっぱいあるんだもの」


「その姿でいるの、やめられない? ちょっと小さすぎるよ。もう少し年上のほうが……」


 幼い女の子がたったひとりで街をうろうろしていたら、迷子として警察のやっかいにならないとも限らない。

 いや、このご時世、きっとやっかいになってしまうだろう。

 親切な誰かの善意によって、警察に引き渡されるに違いないのだ。

 あるいは、その妖しい魅力に囚われて、悪さをしてやろうと、ふと企むやからを発生させてしまうとか。

 最悪、犯罪を誘発しかねない。

 もっとも、彼女がどうこうされるというより、彼女のほうが、この世界の人間に危害を加えることになる可能性のほうが高いに違いないのだが。


「これがいいの! 気に入ってるんだもん」


 サラが愛くるしい幼女の仕草と表情で叫ぶ。


「じゃあね、ナナト。あなたも何かと大変そうだけど、頑張ってね」


 最後に七都にねぎらいの言葉を口にして、サラの姿はそこから消えた。


 暮れて行く空気の中にただひとり残された七都は、ほうっと溜め息をつく。

 彼女がいなくなってほっとすると同時に、寂しさも確かに感じたのだった。

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