第3章 洋館の魔神たち 1
彼は、見慣れぬ街中を歩いていた。
空の青さ、雲の形と白さは彼の世界と同じだったが、その下に広がる景色は、彼が知っているものとは全く違ったものだった。
建物の形状や使っている素材も、全然違う。
幾つかの建物は圧倒するような高さで空に伸びていた。
そのような建物は、彼の世界では見張り台や宗教的なものだったが、この世界では人々が暮らす住居らしかった。
建物の間に横たわる地面は硬い石で覆われ、雑草すら生えてはいない。
美しく整備された街。木々の緑さえ、考えられて配置されたものだ。しかもその数はとても少ない。
そういう風景の中、人々は、彼にとっては清潔で鮮やかすぎる奇妙な服装を身にまとい、平和そうに行き来する。そのほとんどが、彼を驚いたような顔で、あるいは訳を知ったような笑顔で眺めながら。
どうやら彼の服装が珍しいようだった。
当然だ。それは別の世界のものなのだから。
彼は、ここではない別のところからやってきたのだ。緑色の扉を抜けて。
ただ人々は、彼をそういう概念では眺めてはいないようだった。むろん人々は、彼が別の世界からやってきたということなど知る由もなかった。
人々が彼を見て思い描くのは、アニメやゲームの中に登場する人物なのだ。
イケメンの外人が、何かのキャラのコスプレをしている。
コスプレの大会がどこかであって、そこに行く途中。
そういう理由でしか、彼の衣装、そして彼がそこを歩いている理由の説明がつかなかった。
中には、どこかにテレビのカメラやクルーがいないかと探す人々もいた。
有名な俳優なのかもしれない、と胸をときめかせながら彼を見つめる主婦たちもいた。
もちろん、テレビカメラなどなく、彼はたった一人で歩いていた。
いや、一人ではない。肩に銀色の猫型ロボットを乗せて。
もうそろそろ、限界かもしれない。
銀色の猫型ロボット――ストーフィの中にいる彼女は思った。
目立ちすぎるのだ。
外国人が珍しくないこの都市でさえ、彼は目立っている。
それだけ彼が、人々の注目を集めるくらい背が高く、美しい若者であるということなのだが。
彼の周りには、人だかりが出来始めていた。
彼が歩く後ろを人々が、ぞろぞろと移動する。
小学生や中学生、暇そうな女子高生の集団、マニアらしき青年もいる。
彼らの中の何人かは手に携帯を持ち、勝手に彼を撮影していた。
それを耳にあて、彼のことを話している者もいる。
このまま人々が増え続ければ、いずれ警察官もやってきて、職務質問をされるかもしれない。
もちろん彼は言葉はわからないので、答えようもない。
その前に『見張り人』に見つかる確率も高かった。
けれども、そのほうがいいのかもしれない。
彼らは彼が何者であるか理解するし、彼を扉の向こうに送り返してくれるに違いないからだ。
「まったく、彼らはいったい何なのだ? 見世物でも見るようだな。何でこんなにじろじろ見られる? かといって、攻撃的でもないな。ついてこられるのは不気味だが」
彼――ユードが呟いた。
七都の家を出てからユードは、思いつくままに街を歩き回った。
目にするすべてのものが目新しく、興味深いものだった。
そして、人々の誰一人として、武器らしきものを携えていないことが、彼にとっては驚きでもあった。
ここでは誰も何者かに襲われたり、戦ったりすることはないのか。
そういえばナナトも、何度かそのようなことを言っていたようだが。
(見世物よね。人に見せることを目的として、わざわざそういう衣装を着ている人たちと同じ外見だもの……)
ストーフィの中にいる彼女は、溜め息をつく。
もちろんストーフィ自体は溜め息をつくこともなく、どこまでも無表情だった。
ただ、真ん丸い目の端が、ちらっと薄く黄色になっただけだ。
それにしても、何と大胆な魔人狩人なのか。
異世界にいるというのに、脅えることも臆することもない。
ふてぶてしいくらいに、のんびりと街を歩き回っている。
こういう機会はめったにないから、楽しんでおかねば損だというふうに。
二人の行く手に、女子高生が一人、佇んでいた。
びっくりしたように目を見開き、ユードを眺めている。
その『びっくり』は、好意的な『びっくり』だった。
外国人の美青年が好きなのかもしれない。
ストーフィの中の彼女は、微笑ましくそう思う。
その女子高生が着ているのは、この街では進学校で有名なある高校の制服だった。
伝統のある学校で、この街で暮らしていた彼女は、もちろんよく知っている。
そのセーラー服に、ちょっぴり憧れてもいた。
そして、彼女の娘の七都も、その学校に通っているということを、ついさっき知ったところだった。
部屋の中に制服がかけられてあったからだ。
「うわー、きれいな外人さんだ。あの洋館に出入りしてる人かな。同じ系統の服装だ。こんな昼間に珍しい。こっそり写真撮って、七都に送っちゃお……」
女子高生の呟きは小さく、ほとんど聞き取れないものだったが、彼女には十分だった。
彼女は人間ではない。
猫ロボットに寄生しているとはいえ、人間には計り知れないくらいの能力を持った魔神族。しかも、元魔王なのだ。
もちろん彼女は、自分の娘の名前である『ナナト』という言葉を聞き逃すはずもなかった。
ストーフィは、ユードの肩から滑り落ちるように地面に降りる。
捕まえようとするユードの手をするりと抜け、猫ロボットはその女子高生のところにちょこちょこと走った。
「え、このロボット、動くんだ!?」
彼女が歓声めいた叫び声をあげる。
ユードにくっついて移動している人々も、おおっと声をあげた。
やっかいだ。
この猫ロボットを動かすのは、賭けに等しい。
コスプレをしている外国人に注目が集まっているのが、驚くべき猫ロボットに注目が移ってしまう。
もしこの集団の中に工学の分野の学者なんかがいて目を付けられでもしたら、とんでもないことになる。
七都との約束を破ったことになるが、今はそんな場合ではない。
とにかくこの魔神狩人が、たった一人で街中をうろつくことをやめさせなければ――。
ストーフィは女子高生の前にたどりつくと、口の中から灰色の四角いものを吐き出した。
それを見て、その女子高生は、ストーフィが走ったのを見た時以上にびっくりする。
口も鼻もないのっぺりとした銀色の顔にいきなり丸い穴が開き、その中から何かが出てきたのだ。
目の前に着陸した空飛ぶ円盤に突然入り口が出来て、中から宇宙人が出てきたくらいに驚いたかもしれなかった。
ストーフィは、口の中から出したそれを手に持ち、女子高生に差し出した。
女子高生は恐る恐るそれを眺めていたが、やがてそれが何であるかを確認した後、ひったくるように受け取った。
「ええっ? これ……。これって……? 何でこのロボットがこれを持ってるの?」
その灰色の四角いもの。
それは、その女子高生も持っているものだった。