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第2章 探索 4

 やがて二人の前に、緑色の建物が現れる。

 閑静な住宅街で、その家は目立つ存在だった。

 緑のペンキ塗りの木の壁に白いドア。窓枠も白い。

 小さなカフェだった。

 玄関には、ケーキセットの写真が貼った黒板が置かれていた。

 それは、七都が持っている葉書の写真と同じだった。


 七都は、しばらくドアの前でためらった。

 サラが、不思議そうに七都を見上げる。

 七都は、彼女が何か言い出さないうちに、思いきってドアを開けた。


 ドアの上に付けた鈴が、カランカランと軽快な音をたてる。


「いらっしゃいませ!」


 明るくはつらつとした女性の声が、カウンターから聞こえた。

 果林さんと同年代くらいの女性が、七都たちに笑顔を向ける。

 白のカチッとした半袖シャツに、遠目からはグレーに見えるブラックチェックに黒のウエストリボンが付いた、シンプルなエプロンドレス。

 黒髪をざっくりと後ろでまとめた女性には、そのシックな衣装がよく似合っていた。


「あのう……。阿由葉果林さん、ここにいますよね?」


 七都は、その女性に訊ねた。


「え……」


 女性が絶句する。

 それから、困ったような顔をして、彼女は窓の外へ目を漂わせた。


「え……と……」


 何を言えばいいのか。どう答えればいいものか。

 頭の中で答えを探す様子は、助けを求めるようにも見える。

 正直な人だ。嘘はつけないたちらしい。

 きっと果林さんとそういうところが似ていて、話も合うのだろう。

 七都は、自分の考えが正解だったことに安堵する。


 それでも七都は、彼女が何か言い訳を探し当てたときのことを考えて、素早く周囲に視線を走らせた。

 自分がこの店に来た根拠は果林さんが持っていた葉書なのだが、やはりその上に証拠となる確実なものも欲しかった。

 七都は、店をぐるっと見渡した。


 こじんまりとした店内には、カウンターに椅子が七つ。テーブルも七つあって、それぞれ二人分のおしゃれな椅子が向かい合っていた。

 壁や床は、あたたかみのあるオフホワイトの木製で統一されている。

 ところどころアクセントとして、小さなガラス瓶に入れられたハーブや、手づくりのアート作品が並べられていた。

 紅茶やハーブの入り混じった香りが、店内に漂っている。

 お客は、そんなに多くはない。

 若いカップルが一組、女性のグループが二組。

 穏やかにお喋りをしながら、ケーキをつついている。


 サラは既に七都の手を離し、店の中を物珍しそうに眺めながら、歩き回っていた。

 客たちは、サラのかわいらしさとあどけなさに見入っている。

 おしゃれなカフェの背景と金髪碧眼の美少女では、もちろんそれだけで絵になることは間違いなかった。


 店を一通り見回した七都は、再びカウンターへと視線を戻した。

 そうだ、プライベートなものはカウンターの中にあるはず。

 そして、それは七都が思った通り、すぐに見つかった。


 カウンターの後ろ、食器の棚のずっと下に、見慣れたものがあった。

 フリルのついた、紫色の布製の鞄。

 もちろん、七都が自分の家でいつも見ていたのと同じものだ。

 持ち主も、当然同じ。

 こんな鞄を堂々と使っている人物は、そうそういない。

 七都は、念のために、鞄に付いているはずのものを確認する。

 鞄には、猫のストラップが付いていた。

 「不思議の国のアリス」に登場するチェシャ猫のストラップだ。

 以前七都が果林さんにプレゼントしたものだった。

 色違いの同じ物は、七都の机の引き出しに入っている。


(あった……!)


 間違いない。

 これは果林さんの鞄だ。

 つまり、果林さんはここにいるのだ。

 たとえこの店の人がどんなに否定しても。


「その鞄の持ち主は、今どこに?」


 七都は、エプロンドレスの女性に訊ねる。


「あなた……七都さん?」


 彼女は、七都の顔を覗き込んだ。

 七都は頷く。

 彼女は降参したように、仕方なく微笑んだ。


「そうなんだ。でも、ここに来たのが、旦那さまじゃなくて娘さん……か」


 彼女は、短い溜め息をついた。

 その言葉を聞いて七都の胸も、きゅっと軽く鷲づかみにされたような気がした。

 彼女ではなく、果林さんにそう言われたような錯覚を感じてしまう。


「取りあえず……お茶でもいかがかしら?」


 彼女が、にっこりと微笑む。


「あのアリスみたいなかわいい女の子にもね。あの子にはミルクか何か……」


「ミルクより、コーヒーがいいのっ!」


 窓際のハーブに鼻を押し付けていたサラが、店の端から叫んだ。

 外国人の少女が完璧な日本語を喋ったことに、店の客たちは一瞬驚いたようだった。

 けれども、すぐに親しげな視線をサラに送る。

 

(地獄耳……)


 七都は、呆れる。

 あの距離では、普通の会話なんか聞こえないはずなのに。

 魔神族だから、当たり前なのかもしれないのだが。


「ここは紅茶専門店だよ。贅沢言わないの!」


 七都は、サラに向かって声を張り上げた。


「だいじょうぶ、コーヒーもあるわ。あなたもコーヒーがいいのかしら? 最近、コーヒー飲めるようになったんですってね」


 彼女が言った。


「あ、はい。じゃあ、コーヒーお願いします」


 やはり、果林さんから聞いたのだろう。自分がコーヒーを飲むようになったこと。

 きっと彼女は、その他にもいろんなことを聞いているに違いない。

 もちろん、扉の向こうの世界のことや、七都がそこの住人であること、扉を開けて戻ってきた七都を央人が元妻と勘違いして抱きしめた……などということは、知らないことを期待したかった。

 普通の人間なら、信じない。

 例え果林さんがそんなことを話したって、一笑に付したはずだ。

 それか、果林さんがそこまで精神的に参っていると思ったか……。


 彼女の名前は、果林さんに出した葉書によると、浅木香子。このカフェのオーナーだった。

 おそらく、果林さんの学生時代からの親友だ。


「ただいま!」


 店の扉が開いて、カランカランと鈴が鳴った。

 オーナーの浅木香子と同じエプロンドレスを着た女性が、店の中に入ってくる。

 果林さんだった。

 家にいるいつもの果林さんとは雰囲気が違ったので、七都は思わず目を見張る。

 働いている人の緊張感。充実感。そして、夢中、邁進、真摯。

 七都が知らない面をそのカフェの制服姿に沢山くっつけた果林さんが、そこにいた。


「ごめんなさい、遅くなっちゃっ……」


 七都に気づいて、果林さんは言葉をいきなり飲み込む。


「ナナちゃん……!?」


 いつもの果林さんが、ふいに戻ってきた。

 制服を着ていても、ここで店員として働いていても、果林さんは果林さんだ。

 七都は、ほっと安心する。

 果林さんの足には、白い包帯が巻かれていた。

 病院で丁寧に巻かれたものだ。

 きちんと病院で診てもらったことが確認出来て、七都はさらに胸を撫で下ろす。


 「さ、あなたにもお茶を入れるわ。落ち着けるハーブティーをね。少し休憩するといいわよ。せっかく娘さんが来てくれたんだから」


 オーナーが、果林さんに言った。

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