プロローグ
その蔦の絡まった古い洋館は、閑静な住宅地の一角にひっそりと建っていた。
全体的にこじんまりとはしているものの、ヨーロッパの邸宅風の重厚感のある建物で、屋根には煙突が幾つか聳え、外壁にはシックなタイルが貼られている。
けれども、内側にレースのカーテンがかかった白い枠の窓も、大きな花の彫刻が施された木製のドアも、一年中ぴったりと閉められ、誰かが住んでいるという気配はまるでなかった。
夏は青々とした蔦の葉で全体が覆いつくされ、建物の輪郭が大雑把に推測出来る程度。
葉のカーテンの奥に、空が少しだけ映ったガラスの板がかろうじて見え、そこに窓があるのがわかる。
蔦は秋になると、どことなく、ぞっとするような不安感を覚える赤に染まった。その赤が全て地面に落ちて冬が来ると、茎の黒い残骸だけが外壁をうねうねと這う。
葉がなくなった為に洋館の全貌は明らかになるが、その古さと人が住んでいるという確かな温もりの欠如、そして蔦の骸に覆われた外壁、さらには冬の凍てつくような寒さも加味されて、妙に凄味のある不気味な雰囲気が、館を取り巻く空間の外にまで、はみ出すように作り上げられていた。
七都が生まれる前に大きな地震があり、そのあたりにあった古い建築物はことごとく倒壊してしまったのだが、その洋館だけは無傷で残っていた。
もちろん、建物の中は柱が折れていたのかもしれないし、内壁に亀裂が入って無残な状態になっていたのかもしれない。
けれども、洋館の外観は地震の前と全く同じで、補修された形跡も見られなかった。外壁のタイルたった1枚さえ、剥がれ落ちてはいないのだ。
そのことがまた、もともとあった不気味さのレベルをさらに引き上げたことは間違いなかった。
七都はその洋館の存在を知っていたが、単に通学路にある変わった家という感覚で、他の多くの地域住民と同じように、ただ普通に前を通り過ぎるだけだった。
(ここ、相変わらず雰囲気悪いなあ)
その程度の軽い感想をいつも持ちながら。
レトロ建築が大好物という七都の美術部の友人高村由惟子は、時々下校途中に大回りをして、その洋館の前を通り、中を垣間見ていたようだった。
由惟子は新しい情報が手に入ると、決まって七都に報告してくる。その館に関する情報を七都に報告するのが義務だと思っているようだった。たまたま七都と一緒に下校したおかげで、その素敵な洋館を発見できたという恩もあるらしい。
もっとも七都は、そんな洋館の情報など、どうでもよかった。どちらかというと、もっとメジャーな北野のほうの異人館の情報とかを知りたかったのだが。
「あの家、珍しく窓に明かりが灯っていたよ」
「あそこにはね、金髪の外人さんが住んでるみたい」
「きのうはたくさんの人が中に入って行ったよ。パーティーかも」
由惟子の情報を総合すると、どうやらその洋館には金髪の背の高い外国人の男性が住んでいて、たまに訊ねてくる人々がいるらしい。その訊ねてくるという人々も、やはり外国人が多いらしかった。そして、彼らはことごとく美形なのだという。
由惟子は頬を染めながら、七都に熱く語るのだった。あんな綺麗な外国人は映画の中だって見たことないだの、ちょっと吸血鬼っぽくて怪しげだけど、そこがまた素敵だの。
まさか七都自身が洋館の中に立ち入り、その住人と関わることになろうとは。
そして、そこが『向こう側の世界』に関係のあるところだとは。
安穏と洋館の前を通りすぎていた頃の七都には、全く思いも寄らぬことだった。