一日一善
朝起きて、夢を見ていたことに驚いた。
どんな夢だったかは思い出せないが、夢なんて見たのはいつぶりだったか。
朝飯に目玉焼きとトーストとリンゴを食べた。
それから、腕と足に軽量レガースを着け、プロテクタージャケットを着込む。
顔には身バレを防ぐためのマスクとサングラスを装着した。
いざという時のための特殊警棒を腰に差し、各種武器等が入ったバックパックを手にして、クルスは外に繰り出した。
ママチャリにまたがり、街へと向かう。
日課の一日一善をこなすためだ。
オレはやはりおかしくなっている。
一日一善って何だ?
俺は殺し屋だぞ。
そうは思ってはみたものの、思考と裏腹に気分はめちゃくちゃ上がっていた。
ここ最近始めたことだった。
いつまでも頭から離れない声に腹が立ち、いっそのこと言うことを聞いてやろうかと、半ばヤケクソで声に身を任せた。
すると、こうなった。
とても、気分がいい。
顔はニヤつき、自然と鼻歌が漏れ出てくる。
「ヒャッホーイ!」
ヒャッホーイ!なんて人生で初めて言った。
自分で自分がわからない。
街に着いた。
街は荒れている。
数年前に世界恐慌が起こり、借金まみれだったこの国は破綻した。それから急速に街のスラム化が進んでいった。
ついでにドサクサ紛れに憲法が変えられ、さらには社会保障費が払えないからといって自殺薬を配布するウルトラ展開には、社会と距離をとって生きてきたクルスでさえも度肝を抜かれた。
「そりゃあ、荒れるわな」
今や荒廃は街だけではなく、人心にも及んでいる。
以前は世界一礼儀正しい民族などとうそぶく連中は多かったが、そういう連中ほど国家が破綻し、縛りがゆるくなる中で自制を保つことが出来なかった。
今では人を傷つけることを厭わぬ魑魅魍魎となって往来を闊歩し、未だ心ある人々こそが隅に追いやられている。
レイプ、放火、強盗、殺人、なんでもござれだ。最近では若い娘を狙った誘拐事件が頻発しているという。
街に住む人々は見捨てられ、その日暮らしを営むのが精一杯だ。インフラは途切れがちとなり、不衛生で、暴力はまかり通り、警察は汚職にまみれて私腹を肥やす。
結局は国家というこの社会の運転席にいた連中こそが、魑魅魍魎の大親分だったことは、現状を見ればよく分かる。
政府要人特区と呼ばれる地域がある。政官財において必要だとされた人々だけが住むことを許されている。マシンガンを携行した軍が警備し、出入りは厳しく制限されている。その内側の暮らしぶりは国家が破綻する以前より豪奢なものだという。
破綻してもなお、その権力は頭上から降ってきて頭を押さえつける。生かさず殺さずのギリギリのラインで税は搾り取られる。
人件費は安く抑えられ、残業代などあるはずもない。そういう法律が破綻のドサクサに紛れ施行されていた。
何のことはない。国家が破綻するといっても、民主主義国家が破綻したに過ぎない。
人権は奪われ、特権階級だけが我が世の春を謳歌する。
そんな古式ゆかしい封建国家へと後退しただけである。
国家はすでに国民のものではない。国民はすでに国民自身のものですらない。そして、そのことにすら人々は無関心だ。
などと、同僚のキャロラインが言っていた。
美しい顔を歪めて、まるですべてまとめて唾棄すべき者共だという風に。
クルスもあるいはそうかもしれないと思った。
この世のすべては唾棄すべきゴミクズ共で、まるっとすべて捨ててしまえたらどんなにスッキリするかわからない。それなら、自分たちのしている殺人行為も些少ながら、社会をクリーンにしている慈善事業だと言えるのかも知れない。
だが、すべてをスッキリさせたその先に何があるだろう?何もないではないか。
また、自身をゴミクズでないと何故言えるだろう?相手をゴミクズとする時、自分もまたゴミクズだ。深淵を覗けば、また自分も深淵に囚われる。
自分だけが特別だと思うのは傲慢だろう。
しかし、世の中にはそんな奴ばっかりだ。
そんなことを言ったら、キャロラインは笑った。
「当たり前じゃん。私達は殺し屋だよ。いつだってゴミクズとして殺される覚悟は出来てる。謙虚そのものさ。だから、傲慢にも自分たちを特別だと思ってるゴミクズ共を、私達が掃除してあげるんだよ」
釣り合いを取らせてやるんだ、そう言ったキャロラインはやっぱり美しかったけれど、どこか寂しくて、悲しかった。