バタフライエフェクト
バタフライエフェクトという言葉は有名だろう。蝶が羽ばたくことによって、巡り巡って地球の裏側で竜巻が起こるというアレだ。
今では人間社会の中でのちょっとした行いが、大きな出来事として返ってくるという意味合いで使われることが多いように思う。
道に捨てられていた空き缶を拾ってゴミ箱に入れたら、それを踏んでズッこけるはずだった子供が泣かずに済んだ。その子供は傷口から入ったバイキンで破傷風となり、死ぬはずだった。子供は成長し、大人になり、多くの人の命を救う薬を開発した。その薬を飲むことでいつか空き缶を拾った人の命は救われた、、、。
例えば、そういうことだろう。
つまりは、バタフライエフェクトとは、情けは人の為ならずというわけだ。
ちょっとした善行をすることで、社会は良くなっていく。その逆もまた、然り。
それは本当のことだとクルスは撃鉄を起こしながら思った。
「助けてくれ!助けてくれ!助けてくれ!何でもする!何でもす」
プスッ
引き金を引くと、必要最小限の音をサイレンサー付きの銃が鳴らす。
当然の成り行きとして直撃ちされたそれは、脳漿を向こう側から霧散させて、重力に従って床に倒れた。
仕事は終わった。これで家路につくことが出来るとクルスはホッとした。
しかし、今日もまた名前も知らない人間を殺してしまった。
この仕事を始めてから、何人の人を殺したのかもわからない。意識したことが無かったから。
ボスはオレたちに殺される連中はすべからくクズ野郎だという。社会のゴミを陰ながら掃除するのがオレたちの仕事なんだ。これは社会にとって有益な慈善事業みたいなもんだ、と。そう小さい頃から教わってきた。
子供の頃はそれで納得していた。自分は正義の味方だとさえ思っていた。
しかし、そんなことがあるだろうか?
見知らぬ人を殺すことのどこに正義があるのだろう?
有益な慈善事業?一体何を言っているんだ?
オレたちやオレたちを使うような連中がいるからいつまで経っても社会は良くならないんじゃないか?
ちょっとした悪行をすることで社会が悪くなっていくとしたら、殺人というのはどんなに社会を悪くする行為なのだろう?
最近のクルスの頭には自動的に疑問が溢れてくるようになっていた。
胸も痛い。
おかしい、オレはおかしくなっている。
家に着いて、クルスはすぐに熱いシャワーを浴びた。
そして髪も乾かさずに、ベッドに倒れ込んだ。異様に疲れていた。