累計の停滞について
これは特定の人のエッセイを批判したものじゃない。度々エッセイでこの手の提言が出るが私は不快に思ってる。それに似たようなもので、累計に変化が無いので上位にごっそり居なくなってもらおうなど。
この手のものは創造的破壊と言ってある程度は意味がある。例えば恐竜の絶滅による哺乳類の台頭。今でも身近にある大木が倒れて、そこから新しい植物の芽が生えて植生が大きく変わっていく様など。正当化する事は可能だ。
だがこれはトレードオフによって為されるもので、ただただ破壊に正当性を与えると、文化大革命の悲劇の様なことになる。典型的なルサンチマンによる何の正当性による行為。多くの書籍化作家の排除の根底にそうじゃない作家の嫉妬心が溢れている。それが問題と言うわけじゃない。累計の停滞による新陳代謝の無さによる問題。
確かにルサンチマンだけじゃない問題はある。ある時突然なろうは古いとなってそっぽ向かれる。その原因は累計の停滞にあったと言うのはあると思ってる。だがここで一歩踏みとどまって欲しい。過去なろうはキラーコンテンツである累計作品によって大きくなってきた。ご苦労さんの感謝が言いたいわけじゃない。
この価値は劣化するんだ。現在のメリットから考えると未来のデメリットに対するトレードオフの関係になるため、未来のためにいきなりそれを排除しようとするのは、何も考えて無いぶんかくてき破壊だとなるわけだ。
間違いなくこういった累計の停滞は未来につけを回す。それ自体は問題提起されるべきだ。だが、デメリットもあるのにそんなものは面白い改革か?となる。それはメリットだけを取り上げてるからだ。なんていえば良いのかな、ベターではなくベストを目指すべき。それが足りてない。改善案としてもっと上を目指すべき。
根本的にこの手の発想は感情論が多い。ルサンチマンだけじゃない。停滞に対する食傷感から安直で思考の無い過激な感情論が出やすい。それは結局ルサンチマンと根っこは変わらないと見ている。ベストが何故出てこないか?で最初から感情論になりがちだからだ。
私はエッセイで徹底的に感情論に対する批判活動をしている。私は批判の批判をしてるんじゃない。批判になりきれてない非難程度の感情論を批判してる。悲しいことに創作論さえもファンタジーカテのように知性の足りない感情的に受けるものばかりPTを取る。そのためアホな論ほど感情的に煽れるものなら受けるんだ。エッセイカテの論の質を上げたくてそういったものを尽く私は敵視してる。
なろうに不満はたっぷりあるが、こういった感情論の提案が多いため、ヒナプロは採用し無いんじゃないか?と疑ってる部分がある。だから改善案の提案の質を上げて欲しいんだ。全体的に碌な改善案が出て来ない。これでヒナプロがまともに取り扱うなんて私は全く思えない。相手が聞きたくなるような案に溢れてない。
じゃどうすれば良いのか?正直言えば分からない。だってトレードオフだから均衡点が分かるはずも無い。ただ言えるのはそんな単純な創造的破壊で解決するような問題じゃない。例えば今アルファポリスを支えてるのはゲートになる。これが新陳代謝の邪魔なので排除しようと言い出すとする。
馬鹿なと成る。それはゲートの今の現在の貢献が見えるからだ。そういったキラーコンテンツ目当てにこのサイトに来てる人もいるのを否定できない。その今の貢献が将来にとってなろうを劣化させる原因にもなるのは事実だ。だがそのトレードオフの均衡点はどれぐらいなのか?こんなの分かりっこない。それを一切無視して創造的破壊が必要だと言うのは乱暴だし、暴力的な過激な意見を私が運営なら無視する。
ようするに面白くない提言なんだ。では面白いものは?私もベストだとは思わないが、経年劣化の発想を累計に加えてはどうか?と思う。これは私はあんまり面白いと思ってない。だからベストではない。だが、ただただ排除してしまおうよりはマシじゃないか?と思ってる。発表の時期に対して劣化の割合をつけていく。
ただ上位の作品だけにしたほうが良いとは思う。不公平だとはあるが、まあその代わり最低値を創ってそれ以上は劣化をさせないのもありだと思う。まさにレジェンド扱い。まるでイチロー指数だ。