始まりは桜の花 05
「明日も話せる?」
「勿論、毎日話せます。隼人様が御所望であれば」
「良かった……だって千広って鬼だもんな」
おそらく口止めされていたことも話してしまって後悔していたような表情の佐枝は、着物の袂で口元を隠しながら、笑い出す。
千広の怖さは、やはり万人が感じるもののようだ。
「話してくれて、ありがとう……千広は何もその辺言わないから」
「……小夜島殿は思慮深い方ですから、あの方はあの方のお考えもあるとは存じましたが、隼人様が何もわからぬままでいきなり世子となられるのは、あまり公平ではないと思い、差し出がましい口を挟みました。お気を悪くなさらなくて良かった」
佐枝の手が、隼人の頬に触れる。
「隼人様のあちらの親御さまはどれだけ御身を案じていることでしょう……」
(……そうでもないかもよ、佐枝……)
いつの間にか会話の絶えた家。
テレビの音しかしない居間。
レトルトかインスタントの、一人で食べる夕食。
チャットやメールでしか存在しない”友人”
誰が隼人のことを心配しているのだろう。
佐枝は、夜具の説明を丁寧に教えてくれた。
隼人の顔が暗くなったのに気がついて、話を逸らした風だった。
夜具は布団を含めた一式のこと。こちらでは掛け布団というものは無く、夜着という着物を上から掛けて寝るという。
枕が細くて高いのは、髷の形を保つためだが隼人は髪が伸びるまでは無理せず使わなくていいと言って微笑んだ。
佐枝は手燭から小さな行灯の灯心に火を移す。
暗い座敷の中に闇が足を一歩踏み入れたように、更に暗がりが隼人の体を包みこむ。
夜着という浴衣のようなものに着替えるのに、佐枝に手伝って貰って隼人は赤面した。
隼人だって年頃である。
今は着方がわからないから仕方ないとはいえ、さっき知ったばかりの女の人に着せて貰うのは恥ずかしい。
トイレの事情といい、とにかく早く着慣れる必要がある。
「――隼人様のあちらから着てきた服ですけれど、下のお召し物だけなら三日に一度は着用しても良い、と小夜島殿が仰ってましたよ」
「マジで!?……初めて千広がいいやつかもって思った」
どうにも慣れそうにない下帯で隼人が一日愚痴たかいがあったらしい。
布団に入ると、佐枝が夜着を掛けてくれた。
そのまま、隼人の背中をそっとさすってくれる。
薄い夜着の上から伝わる温もりが隼人の心のダムが決壊を起こした。
とっても小さな子供になったような気がして、胸の中がいっぱいになる。
――元の世界で俺は要らないのかもしれない。
十四夜に呼ばれたのではなくて、本当のしんじつは隼人はあっちの世界に追い出されたのかもしれなかった。
誰も、隼人を必要だと言ってくれなかった。
こうして触れてはくれなかった。
一日中、傍にいて叱ってもくれなかった。
ここでは皆が隼人を怒って心配して
「隼人様、ご心配には及びません……不祥ながらわたくしが付いておりますから」
隼人の名を呼んでくれる。
――――俺は、帰れない。
零れた涙が布団を湿らせたが、隼人の涙を確かに受け止めた。
(俺は江戸に捨てられたんだ………)
行灯の灯りが、ゆらと揺れる。
瞼を閉じても、元の世界の夢は見なかった。
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次回、ニューキャラ二人登場!現代に興味津々の一人と、プチ千広です。掛け布団の代わりなどが出てきました。枕の説明も、当時毎日洗髪できなかったので、形を壊さない為のものです。パジャマ代わりのものでは掻巻というのもありますが、これは冬用ともあり、長屋の庶民には手が届かなかったものです。鐘が時計代わりの時代ですが、水時計とか線香の時計などもあって裕福な商人なんかはそれも使っていました。線香がどこまで燃えたかで測っていたんですね。