欠けた月を見かけたら05
次席VS現代っこ
黒宮が立っているだけで、剣気が隼人に襲いかかってきた。
竹刀がまったく見えない。
陰剣と呼ばれる技で、刀身が体ですべて隠されているのだ。
居合の無楽流ではましてレベルの高い技だが、早打ちで実力のある黒宮のこと、隙はどこにもなかった。
それどころか、剣と黒宮とが一体化したような不気味な強さがあった。
正面に立っただけで、口の中が干上がるのを感じる。
頭の中が真っ白になった。
「まだ、開始していないぞ。しっかりしろ」
黒宮の苦笑に、あわてて隼人はつんのめるように位置についた。
床を踏む足の感触が頼りないが、今の笑いに少し足が自由になったような気がした。
「いいか?」
小塚の声に、顎を引く。
黒宮は先刻から微動だにしない。
彫刻の剣士のようだった。
「はじめ!」
声がかかったと同時に、額に痛みがはじけていた。
黒宮の体が、いつの間にか隼人を通過している。
「一本」
電光石火だ。しかも痛みは今までの沢田や泉のものとはケタが違う。
二本目も、どこからきたのかわからなかった。
とらえようにも足の動きすらつかめない。
肩のほうがズキズキとしたが、緊張のあまりはっきりとわからなかった。
頭の端ではどこか冷静に、あとで相当痛いだろうな。と思った。
せめて、どこかかすってでもいい。
当てなければ試合にもならない。
――動け。
隼人は自分を叱咤した。
三本目の開始を聞いて、息をとめる。
これが最後だ。
足の動きにもついていけない。
剣尖など、全然見えない。
隼人は、黒宮の肩だけを見た。
せめて、右からか左からか、上なのか下なのか。
黒宮の性格的に、上からの攻撃の確率が高い。
そもそも、上背のある黒宮とまだ子供の隼人の立ち合いなのだ。
上から攻撃するほうが相手はやりやすかろう。
黒宮の肩が、動いた。
――上!!
逆袈裟に跳ね上げた竹刀に、重い感触が跳ね返った。
当たった!
たたらを踏みかける足に鞭打って、隼人は素早く後退した。
だが、黒宮の二ノ太刀が腹に迫っているのを感じた。
――参ったといわねば、突かれる。
隼人に喉を突かれた石津の姿が脳裏にうかんだ。
だが、黒宮の攻撃は腹のすれすれで止まり、黒宮も下がった。
「秋良、参ったか?」
参りました、といって礼をしなければいけない。
まともにあたっていれば、今度床で倒れるのは隼人の番になっていたところだったのだ。
だが、隼人は口を開かなかった。
いや、開けなかったのだ。
さっきの一撃を受け流しただけで、手が痺れていた。
まるで脳に酸素がまわっていないようだ。
「そうか。根性はついたようだな」
黒宮に呼吸の乱れはない。
構えをといていなかった黒宮から、抜き打ちはすぐに来た。
――また、上だ。
隼人は竹刀をあげて防ごうとした。
そのときに、小塚が声をあげた。
「それまで!」
黒宮の顔が歪んだ。
だが、すぐに竹刀を下げ、襟を正した。
「終わりだ、下げていいぞ」
小塚の手が伸びて、隼人の竹刀がようやく下がった。
「あ、ありがとうございまし、た・・・・・・」
頭を下げた。
その瞬間、体のすべてが重くなり汗をかいていることに気づいた。
いつの間にか胴着の袖は片方千切れてとれており、肩のあたりも布地が裂けている。
その裂けたあたりから、音を立てるように痛みが膨れあがるのがわかった。
立っているのもしんどい。
はっはと息がするので見渡すと、自分の息が切れているのだ。
「良い試合でした」
戻ると、泉が静かにほほ笑んだ。
「席次発表が楽しみになりそうだな、おい」
いつのまにか母屋から帰ってきたのか、沢田が満面の笑みだった。
「沢田さ、ん。石津は?」
「特に大きな怪我はない。今日いっぱいは声が出ないだろうが、大丈夫だろう」
良かった。
「隼人様!!おみごとでした」
「次席の技を最後見切られました。素晴らしい出来でしたね」
森之介も冬二郎も手放しに嬉しそうだった。
二人が隼人の世話をすると今まで舌うちしていた連中も、隼人に手をたたいたり労う言葉をかけてくる。
「でも、もう動けなかった。黒宮さんが引いてくれなかったら、俺は倒れてた」
「何を仰ってるんです、最後の最後まで諦めずに黒宮さんと勝負なさったのに、感動しましたよ!俺なら諦めてもう、参りましたと言ってたのに」
――違う。森之介は根本的に誤解している。
参ったといわなかったのは、意地ではない。
恐怖に舌がすくんだのだ。
撃ち殺されるかもしれないと思ったら、声がでなかったのだ。
勇気があったからじゃない。臆病だったからだ。
隼人の恐怖を、森之介は男のプライドと誤解している。
森之介は、小さく「どんまい」と言った。
冬二郎は、隼人の心中がわかったのかなにも言わなかった。
隼人は五十八人中、四十二席を与えられた。
森之介はもう少し高くてもいい、というようなことを言ったが、隼人には十分満足だった。
冬二郎は一次席あがり、十七席。
森之介は怒りのせいか、十五から十六席に下がってしまった。
沢田は繰り上がり十五席におさまり、沢田と森之介が入れ替わったような按配だった。
泉は三席に昇格したが「兵堂さんが抜けた結果です」と謙虚な態度であまり喜んだ風ではなかった。
石津は五十三席と、以前と変わっていない。
森之介はそれがぬるいと小声で文句を言った。
黒宮は変わらず次席を維持。
稽古場は、各自自分の席次で盛り上がり、稽古が終ったのにすぐに帰ろうとするものは少なかった。
隼人は、疲労困憊していたので、森之介と冬二郎を促して道場を出た。
肩が異常に重かった。
「あ」
森之介が顔色を変えて往来に走りでた。
なかなか食のほうに話が進まないー。沢田がももんじ屋につれていく、という話があったはずなんですが、猪がボタン、鹿が紅葉という別名で肉を食べていたのですが、何故肉が禁止だったのかというと仏教ですね。鳥はOKだったのですが、ボタン鍋なども『薬膳』という言い訳で食べられておりました。鳥はどの鳥かといいますが、鴨、うずら、などはメジャーですが、鶴や烏なども食用だったようです。鶏肉の最強といえば江戸では真名鶴だったそうで(今ではありえませんね)。蛇足として、何故ウサギが一匹、ではなく一羽という換算の仕方をするのかというと、江戸ではウサギもアウト(四足のものはNG)だったのですが、鵜+鷺 という鳥の名前をつなげて、うさぎが一羽という、非常にしょうもない言い逃れによって生まれた言葉だったりします。それが現代まで残っているんですね。
段々本編より長くなりつつあるあとがきという。
次回、トラブル発生、今のところ最大レベル震度。