欠けた月を見かけたら04
試合と事故と、次の相手
「はじめ!」
石津と向き合う前、隼人の心臓は早鐘を打っていたが、手が震えることはなかった。
――己が勝つと信じる・・・・・・。
師範の小塚以外は座して試合を見ている。
隼人は森之介と冬二郎の勁い視線を感じた。
石津の足は動かない。
隼人が先に踏み出すと、石津は後退した。
隼人にはまだ多くの技が過ぎる。
基本に忠実でないとすぐさま負けるに違いなかった。
隼人はすぐに距離をつめず、抜き足とよばれる横移動で石津を中心に動いた。
「やあ!!」
石津が踏み込んでくる。
早すぎる。
すかさず突き出した隼人の竹刀が石津の脾腹を打った。
「一本」
小塚の声がかかる。
隼人はするすると下がった。
二本目はこれほどたやすくとれないだろう。
二本目の開始の声がする前に、最初の位置に戻らなければ。
ひゅっと風が突然鳴く。
反射的に、隼人は身をひねった。
とっさに振り返りざま、斜め上段に振った先に石津の喉があった。
ガボッと異様な音をたてて石津が喉を押さえたまま床に転がる。
稽古場が一斉にざわめいた。
「石津、この卑怯者が!!」
「試合で騙し打ちをするやつがいるか・・・・・・!」
「石津も焼きが回ったな・・・…」
のどの奥を突かれて、石津は悶絶している。
「沢田、見てやれ。石津を母屋に連れて行って場合によっては医者を呼ばねばならん」
「わたくしも参りましょう」
沢田と理久が立ち上がり、泉は雑巾を出してくると床を吹き始めた。
高弟にやらせまいと、慌てて他の者も立ち上がって場は騒然とした。
「秋良、少し休め。今のは石津が自ら招いた事故だ。お前が気にやむことはない。今の試合は無効とするが、よいか」
「はい・・・・・・」
隼人は動揺していた。
誰かを直接怪我させたことは、生まれて初めてだった。
石津の喉を突いてしまった感触はまだ手に残っている。
自分のやってしまったことが信じられなかった。
――石津は大丈夫だろうか。
二本目の開始の声を待たなかったのは、石津のミスだ。
わざとなのかもしれないし、聞こえないほどのぼせあがっていたのかもしれない。
石津は隼人を毛嫌いして、豆腐野郎と呼んでいたくらいなのだから、その豆腐野郎に一本とられて頭にきただろう。
次の試合は森之介と小西だった。
石津の一派である小西と対峙した森之介は、石津が隼人に騙し打ちしたと信じ、怒り狂っている様子だった。
いつも以上に苛烈な抜き打ちをかけ、力いっぱい面を打ったので小西の顔の防具が倒れて吹き飛んだ。
「どうして加減をしない、有馬。お前にはいくつも技を仕掛ける余裕があったはずだ。何故滅多打ちなどする」
小塚は、今日は無効試合が多いようだ、とつぶやいた。
「では、黒宮」
黒宮が立ち上がる。
周囲に囁きが起こった。
試合の相手は泉か、それとも・・・・・・。
小塚の次の台詞に、その囁きが止まった。
「秋良隼人」
隼人は未だ動揺したままだった。
石津のことを思い出すだけで胃がむかむかして酸っぱいものがこみあげてくるのに、黒宮のあとに呼ばれてさらに気が動転した。
黒宮の眉が上がる。
だが、次席は不満を言わなかった。
「立て、試合だ。不様なことはするな」
――この人に勝てるわけがない。
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事件ですね。しかし作者はさておいて、前回入り切らなかった食べ物説明を付き続くのです(おい)
当時の油というのは今と同じ菜種油、胡麻油、ひまし油などが料理で使用。椿油などは髪ですね。行灯などの油は庶民(貧乏)だと魚油という匂いがけっこう強いものがメインでした。お金持ちだと菜種油ですね。そして天ぷらの具材なんかのメインどころを。それこそ江戸前という語源の通り当時はよく獲れました。あなご、芝エビ、こはだ、貝柱、するめなどが多く出回っていたようです。しかし衣の問題で、やはり揚げたてでないと当時の江戸人でも冷めたら微妙だった様子。
ついでに煙草にも触れて起きますが、現代だと禁煙!ブームですが江戸では体によい。薬のような感覚で女性が吸っていても不良的なイメージはありませんでした。お妾さんなんかのイメージが多そうですがそんなことはなかったんですね。あと、更にお惣菜の話にもいきますが、結構庶民でも惣菜を買ってました。男世帯が多いだけでなく火を使うのが(殺人より火付けのほうが罪が重い時代)嫌な人、貧乏長屋だと七輪をみんなで使っていたので、惣菜屋で買うことは”主婦の手抜き”というイメージではなかったのでした。盛大な脱線解説!