自分との戦い 05
久々の千広の鬼教官。
「おまえ、なにかしたんだろう」
鋭馬が唐突に言ったが、隼人にもその意味はわかった。
森之介の顔にまだ笑いの波が浮かんでいる。
「そんな、たいしたことではありませんよ」
森之介の口調は、謙遜、といいたげだ。
「空き地で石津を軽く、竹刀で撫でてやっただけです。明日は動けないんじゃないのかな」
「秋良の家臣が私闘など」
「小夜島さま、あいつは隼人様を豆腐野郎だの何だのと言ったのですよ!見逃しては家臣の名折れです!」
すかさず千広に反論し、無責任に鋭馬が「よくやった」と森之介を褒めた。
「森之介は強いなー」
「・・・・・・若も、今は鍛練あるのみ、ですよ」
鋭馬の顔に影がさしたのを、隼人は気付かなかった。
「夜も更けた、森之介戻るぞ」
「兄上、森之介殿、お気をつけて」
佐枝が床で一礼した。
「では、隼人様お休みくださいませ!」
「森之介、鋭馬お休みなさい」
縁側でお休みを云いあうと、森之介たちは秋良の家紋の入った提灯に火をいれて去って行った。
「蚊やりを焚かねばなりませんね」
「佐枝殿、それが終わったら今日はお下がりください。あとは私がやります」
「・・・・・・はい」
寝るときそばに控えるのは、ずっと佐枝の仕事である。
これで明日の朝まで千広の顔を見なくて済む、と思っていた隼人はがっかりした。
「隼人様、恥ではないのですか」
いつも隼人の顔をみて怒る千広が、おもてをそむけたまま突如言った。
「はじ・・・・・・」
「森之介と冬二郎は無楽流の道場で子供ながら強い。しかし、そのあるじである貴方様がそのような態度では、腰ぬけとそしられ、侮られるでしょう。強いなどと感心なさっていてはいけないのです。あなたの弱さが、家臣である森之介たちの評価をさげる。石津なにがしというものが無礼を働いたなら、何故あなたさまが怒らないのですか。森之介も冬二郎もできた子ですから、口には出さないでしょうけども、あなた様が竹刀も振れず震えていたというので、ずい分席次の低い胞輩からも謗られているのに耐えているのですよ」
――弱虫の甘ったれ。
――天瀬と有馬がなんと言われているのか知ってるか
――豆腐みてえな野郎だな
――金魚のフンが
きっと、石津だけではない。のだろう。
正面から言ってきただけ、石津はマシなのかもしれない。
石津が隼人に喧嘩を売ってきたときも、周囲の少年たちは知らぬ顔だったし、あれだけ人懐こい森之介に話しかけるのが沢田ばかりというのも、今考えればおかしい話だった。
それなのに、森之介も冬二郎も隼人に早く上達しろなんて言わなかった。
自分たちのことを心配してくれる優しいあるじだと言ってくれていた。
「弱いのは仕方のないことです。あの高名な小塚殿とて生まれながらに剣が振るえたわけではありません。隼人様、いけないのは弱きをそのままにしてしまうことです。謗られることを悔しいと思う気持ちです。武士だけではありません、己を侮辱されてそれを良しとし卑屈に生きることはどんなにか惨めでしょう。ましてあなた様が背負うものは、おのれの名誉だけでなく、三千石という家全体のことなのです」
どうして
言われるまで、気づかないのだろう。
悔しいより先に怖いと思って
――己の内側の恐怖に打ち勝つことですよ。
鋭馬の言葉も、きっと広い範囲の意味だったに違いない。
「強く――なる、よ」
涙が、あふれる。
敷かれた夜具に顔を押し付けても、嗚咽がもれた。
ぽん、と頭を撫でられる。
傍にいるのは千広一人だから、千広に違いないのだが、
千広にしてはあまりにも優しく撫でてくれる手の温かさに、涙がとめどなく流れた。
――隼人、どうした。転んじゃったのか?
小学校入学式、買って貰ったばかりのズボンがやぶけて大泣きしたとき、お父さんもよくこうやって隼人の頭を撫でてくれた。
どうして、いまになってそんなことを思い出すのか。
帰れない、と言われた世界なのに。
追い出された世界なのに。
隼人に冷たかった世界なのに。
江戸のみんなのほうが温かいのに。
とてもとても、なつかしい。
とてもとても、いとおしい。
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千広の叱責。隼人がすんなり道場に溶け込めるとは思っていませんから千広は裏で鋭馬や冬二郎からどうなっているか聞いていました。その辺森之介だと隼人にしゃべっちゃうので、冬二郎のほうが別の心配として千広に聞かれて答えていたのもあるし、立場的に家臣のなかで用人の子の千広に逆らえるのは千広の親と千広の兄(実はいるんです)くらいでしょうか。あとはあるじの兵庫くらいですね。なので冬二郎も逆らえないというか。冬二郎もしかし道場で自分たちがどう云われてるかまではっきりとは言っていません。その辺は鋭馬が察したり密かに聞いたりと隠密のようにしています。今の今まで黙っていたのは見守りですね。途中で口を挟むつもりはなかったのですが、森之介の態度と隼人のふがいなさに思わず、という感じです。現代では嫌でも頭をさげないと生きていけないものですが、それでも己のプライドは保ってほしいというイイお話(嘘つけ)表向きは不仲みたいな千広と鋭馬ですが、けっこうツーカーな仲です(古い)