始まりは桜の花 02
「――火を、入れてください」
真っ暗闇の中に、隼人の知らない声が浮かび上がり、隼人は身を縮めた。
誰か知らない人の庭に入り込んだのだろうか。
それにしても、暗い。
外の街灯の灯りさえ、ここには入らない。
コンビニ行こうとしたら、迷っちゃったんです。引っ越してきたばかりで道がわからなくて。
そう言えば、多分許してくれる。
何も物を壊したわけじゃない。
複数の人の気配と声がして、闇の中が慌ただしくなった。
「―――名前は?」
電気のスイッチひとつで何をそんな手間取るのか、とため息をついた途端、すぐそばで声がした。
「は、隼人です……仲島隼人」
「隼人………」
(た、ぶん俺に聞いたよな?)
見回そうにも、いっこうに暗闇が晴れないので隼人には何も見えていないが、相手は隼人が居る方向もわかっているようだった。
漆黒の闇の中に、灯りがともった。
着物に刀を持った男が、隼人のすぐそばに居た。
「うわ!?なんだよ……!」
時代劇でしか見たことのない、髪形。
灯りをもって隼人の傍によってきた男もまた、同じような着物に髷の格好をしていた。
「あの…ここ、日光江戸村でも大秦映画村でもないよな……?」
「そなたの名は、秋良隼人。今日限りからこの屋敷の跡継ぎとして迎える。元の場所には戻れぬ。覚悟せよ」
「か、覚悟って……ちょ、あんたら何?てか、誰?何で俺の名前変えてんの!!?」
男は、立ち上がった。
もう、視線は隼人から外れていた。
「十四夜殿は、いずこに?」
「秋良兵庫様、私めをお探しか。役目は終わった。対価も頂いた。もう帰る所存でおりましたが」
現れた若い男は、隼人が見たこともないくらい綺麗な顔だちをしていた。
ポニーテールのように長い黒髪を結い上げ、声も艶やかに男女どちらか分からない。
「私の仕事は隼人殿を此方にお連れすること。あとのことは存じません。ああ、そうだ――隼人殿」
生まれてこの方、隼人は殿などと呼ばれたことがない。
見とれるようにしていたのを見透かされたように、どきりとして顔をあげた。
「あなたを呼ぶことは出来ても、戻すことは出来ぬゆえ、ご勘弁を―――帰るぞ、和助」
待って、といいたいが足が動かない。
髪の長い美少年がどこからともなく飛びだしてきて、十四夜の後を追う。
「お待ちくだされ、縫様。ほんにつれないお方じゃわいの」
姿は美しいのに、声は老婆のようにしわがれていて、魔女のようだった。
ぞっとして後ずさる、その隼人の肩に手が置かれた。
鼻筋の通った端整な青年が、隼人の前に膝をついてかしこまっている。
彼が長身なせいで、その視線は隼人と正面から合った。
「隼人様の世話係りを務めます、小夜島千広と申します。これよりのち、隼人様が若君となられるよう、勉学から作法までそれがしが僭越ながらお手伝いいたします」
訳のわからないことが立て続けに起こりすぎて、隼人は目を回しかけていた。
ゲームや漫画では、何かの拍子にテレビやゲームの中に吸い込まれて魔物や悪の手先と戦ったり、異次元から戻るために色んなミッションをこなしたりするのを、隼人もわくわくして読んでいたし憧れてもいたが、まさか自分の身にそんなことが降りかかるとは思えなかった。
(――これって、夢だ。絶対そうだ。朝起きたらいつも通りで。宿題があって少し固くなった目玉焼きがあって………)
きっと、あの男女不明な十四夜というのが黒魔術の使い手で、隼人が冒険でアイテムをゲットしたり、村人を救ったりしなければ、もう一度現れてくれないのだろう。
隼人の視線が彷徨ったが、兵庫と呼ばれた男はもう立ち去ったかして、庭らしき場所に立っているのは隼人と千広と名乗った青年だけだった。
各所に点った灯りも遠ざかり、今は千広のもつロウソクの灯りがか細く風に揺られている。
味方なんだろうか。
千広の整った顔は、少し冷たい印象を与えるほどだ。
「中へおあがり下さい、若様」
「わかさまじゃないって……ねえ、あのさ、人間違いとかしてない?マジで俺のこと言ってるの?」
「無論です」
失礼します、と断って千広は隼人を抱き上げた。
そんなことは近頃父親にだってされたことがない。隼人は驚いて千広にしがみついた。
縁側らしき場所につくと、千広は無遠慮に隼人のスニーカーを眺めるとそれを脱がせて、再び担ぎ上げるとすたすたと迷いのない足取りで暗い屋敷の中へあがる。
広い板の間の廊下と、長い畳の座敷を、隼人はぶる下げられた状態で見送ることになった。
「あのさ………」
「千広とお呼び下さい。小夜島でも千広でも、お好きなほうで呼び捨てて構いません」
「なんで?」
「秋良家の家臣だからで御座います」
「だから、俺、あきらって名前じゃないんだけど……」
「今日から、そうなりました。ご理解下さい」
そういえば、ゲームによっては勇者の名前は自分で付けられても、苗字は決まっているものもあった。
(あきら、なんて名前みたいな苗字……)
「あきらってどんな字?」
「季節の秋に、良と書きます」
――秋良 隼人。
どすんと音をたてて、その名が胸の中に落ちてくる。
ああ、もしかしたら知っているかもしれない。
いきなり猛烈な眠気に誘われて、隼人は千広に運ばれたまま意識を手放した。
畳の青臭い匂いと、線香のような香りを夢うつつの中に嗅いだ。
涙が一滴、落ちてくる。
誰かが隼人の手を握って泣いている。
.
時代ものテレビはひとつの娯楽だけど、色々事実とは違うことばっかり!!へーそうだったんだ、とか、あれって嘘なの?みたいな話を楽しんでいただけると幸いです。
まず千広ですが、武士にそんなやついんの?って思われそうですが、きちんと江戸時代武士図鑑というめっちゃ重たい辞典から選びました。よそのサイトで、主水というキャラに「こんなキラキラネームうける!」とか描かれていて、キラネームじゃねえええ!!と作者でもないのに突っ込んでいた私です。