始まりは桜の花 01
処女作を晒します。
始まりは桜の花 /01
「見つけました、同じ名。同じ顔。そして年頃……転生しうるまで少々時間のかかったようです」
真っ暗闇の中に、闇を溶かしてしまうような艶やかな声がぽつりと咲いた。
男のものか、女のものかも判断は出来ない。
「よくしてのけてくれた……あとは此方へ呼び出すだけか……では、十四夜殿」
華やかな声に応じたのは、嗄れた男の声と軽い咳払いだった。
「召喚するまで、しばしお待ちくだされよ」
十四夜と呼ばれた美しい声の主が、そう答えた後に音もなく闇夜の中に気配を消し去った。
残された男は、そこで身じろぎもせずに座ったまま、咳払いを続けると、小さく呟いた。
「もう、二度はなくさぬ………」
その言葉に返事をするものはなかった。
濃い暗闇の中に、遠くから鳥の鳴き声がこだまする。
「隼人…………」
――そして、時を遡ること255年。現代。
「隼人ーちょっと出かけてくるから」
背中越しに母親の声が聞こえたのを、うんと呟いて隼人は聞き流した。
仲島隼人、11歳。一人っ子。
身長はまあまあ、成績も中くらい。
親から言われるのは「ゲームのしすぎ。携帯使いすぎ」
今も、テレビでRPG攻略のために視線はそこから動かない。
冬にこの都心のマンションに引っ越してきたばかりだった。
「マジつまんねぇの……早く新作でないかな…」
一回攻略できてしまったゲームは面白くない。
そして、つまらないときに限って誰からもメールも来ていない。
ネットサーフィンをして、他に何かゲームが出ていないか、漫画が出ていないかを探す。
つま先で蹴飛ばした手提げの中には宿題が入っているのを思い出し、隼人はため息をついた。
この春、進級するにあたってまた沢山の宿題が出た。嫌でもそろそろやらないと、母親の怒りを買うのはよく見えていた。
「お母さーーん、何かお菓子ない?」
ベッドに寝転がったまま、呼んだが返事はない。
仕方なしに起き上がって居間へいくと、冷めはじめた夕飯が一人分だけ置かれていた。
「またかよ………」
寂しいとは、思わない。
もう子どもじゃないんだから、と隼人は自分に言って温いシチューを一人ですすった。
テレビをつけると、ニュースキャスターが騒がしく現場リポートをしていて、隼人は父親がたまに口を開く時に必ず言う「ろくなことが起きないな」という言葉を小さく真似してみる。
毎日、そう、ろくなことがない。
それが隼人の毎日における感想だった。
とりあえず、学校。
とりあえず、勉強。
それはみんなそうしているから。
そんな世界に生まれたから。
隼人はそうしなければいけない。そう、思っていた。
ひゅっと背筋が冷えた。
隙間風が入ってくるワケもない。
いっこうに進まない、冷めてしまったシチューと、大きなテーブルと、ニュースが流れるテレビだけ。
隼人が無意識についたため息は、誰にも拾われずに部屋に転がった。
(授業参観のプリント……今のうちに捨てとこ…)
もし後で聞かれても、「忘れてた」と誤魔化せるように。
そうすれば、「そんな日を作るから、わざわざ学校まで行って子どもを見なきゃならないなんて、何を考えてるのかしら。学校は」という母親の独り言も聞かなくて済むのだから。
台所のゴミ箱をあけると、空いたシチューのレトルトパックのゴミが捨ててあった。
(コンビニ……行ってくっか…ついでに何かお菓子買って……)
今の隼人には、とりあえずその選択しかなかった。
隼人は部屋に戻ると、財布を捜した。
「非常用」として渡される千円は、一週間に三回以上は必ず起こる「非常」時で弁当代として消える。
隼人は財布を逆さにすると、落ちてきた五百円玉だけを握って家の鍵を持った。
(……携帯、電源落ちてるし)
保護者用の安心ナビシステムが搭載されている携帯電話を持ち歩いて、誰が隼人の安全を確認するのか、未だ使われたことのないこの機能に、隼人は敬意を持ち合わせていない。
(どうせなら、早くクレジット機能のついた携帯がいい)
そうすれば
お金を振り込んで貰えさえすれば、
隼人だって一人で生きていける。
自分のことは自分でやれる。
そう、思った。
鍵をかけてマンションを出ると、見知らぬカップルが笑いながら通り過ぎていく。
隼人は大人のように首をすくめてそれを通り過ぎると、コンビニエンスストア目指して緩やかな坂を上り始めた。
春の風にしては生ぬるい、湿気のある風がアスファルトをまろぶようにして隼人の背中を押す。
白い花の花弁が、その風にのって舞っている。
(桜…………?)
隼人の近所に桜はない。
学校の敷地の中には桜並木があるが、いつも入学式とタイミングがあったことがない。
「春といえば桜だって皆言うけどね、品種改良されたりしてもてはやされているけど、あれの別名は仇名草だよ。桜の意味なんて、もう誰も知っちゃいない」
たった一度だけ、隼人たちがマンションに引っ越した時にきてくれた祖母が、そう呟いていた。
今も隼人はその言葉の意味をわからないままだが、テレビや周りが喜ぶのに、祖母は嫌いなのだと理解した。
隼人にとっては、それはそれ以上の意味を持たない。
突風にあおられて、隼人は少しよろめいた。
同時に視界がグラリと傾いて、花の香りがむせるほど強く香った。
手のひらに思わず掴んだ花びらが、すっと朱に染まっていき、見る間に濃い紅色へと変わる。
「何だよっ……これ……!」
見上げると、坂は失せていた。
ただ、朽ちた巨木がそびえたち、立ちすくむ隼人を見下ろしている。
ひら、とまた風が桜の花びらを撒き散らし始めた。
隼人が一歩踏み出すごとに、朽ちたその樹に花が宿る。
耳鳴りが始まる。
風が、ざわめく。
地が、消える。
樹は、手で触ると見事な桜の若木に成った。
隼人は振り返った。
しかし、そこに隼人の世界は消失していた。
事態は何も把握していない。
ただ、鳥肌だけが立った。
―――隼人は、召喚されてしまった。
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敢えてあまり書き直していません。むしろここまで変わると書き直しようもないっていう。