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貴方には負けない

  「気持ちいい?」



 赤黒い鱗に布を当て、ゴシゴシと力一杯こする。グルルル……と身体に響く唸り声は気持ちい証拠だ。それを聞いただけで、口元が緩む。

 十メートル級の巨体であるため、体を拭いてやるのも一苦労。けれど、スティアドラゴンは認めた相手、即ち操縦者のみしか近寄らせない。だから、お世話をするのも必然的に操縦者となるのだ。


 第三騎士団が有するフォスタードラゴンは人懐っこいため、きちんとした世話係が一体につき複数つく。スティアドラゴンの半分ほどの体長しかないにも関わらずだ。実際、これらは大きさの問題などではなく、第三騎士団に所属する騎士の多くが貴族の子息であることが理由なのだろう。彼らは操縦はするがドラゴンの世話はしない。


 だけど、それは勿体無い、とミリアは思う。

 腰まで伸びた銀色の髪を首の後ろで一本に緩く結び、青い瞳をドラゴンへと向け、一心不乱にドラゴンの身体を拭き続ける彼女、ミリアは第四騎士団南支部竜騎士隊に所属する竜騎士だ。



「ケルビィ、もう少しで、終わる、からね」



 若干息を切らしつつ、愛すべきドラゴンの名を呼んだミリアは、返事をするかのように、ふんっ、と荒い鼻息を吹き出したケルビィに、慈愛のこもった眼差しを送る。

 ミリアはスティアドラゴンが大好きだ。その熱量は、騎士の中でもかなりの実力を身につけないとなれない竜騎士となり、並の騎士でも登ることを諦めてしまうような険しいスティレイア山を登り、スティアドラゴンの竜騎士になった事からも、相当なものだということが窺える。しかも、ミリアは第四騎士団において二人目の女性竜騎士だ。


 女性にしては長身で、ドラゴンにしがみつきやすいくらいに胸回りはコンパクトだが、それでも腕力は男性に劣る。もちろん、身体には筋肉がしっかりついているが、赤い騎士服を着ていると、全くそれはわからない。

 珍しい銀色の髪は絹糸のように細く、青い瞳は涼やかで、通った鼻筋やあまり緩むことのない唇は、ミリアの美しい容姿を引き立てる。安易に触れようとすれば棘が刺さる薔薇のような、凜とした佇まいの女性である。


 そんなミリアが表情を崩すのは、大抵ドラゴンと関わりがある時だけ。ケルビィの世話や操縦をしてる時、南支部のお手伝いであるヘレインとドラゴン談義をしている時くらいだ。それ以外は、基本的に表情が変わることはない。



「ケルビィの世話、終わったのか?」

「レオン副隊長。はい、終わりました」



 お手入れ道具を手に持ち、ケルビィの寝床である建物から本部に戻ってきていたミリアへ声をかけてきたのは、爽やかな笑みを浮かべたレオンである。



「そうか。なら、これから一緒に休憩がてらーー」

「トレーニングがありますので、休憩ならばどうぞお一人で」

「……今日もそっけないねぇ」



 ミリアはいつも通り、レオンの誘いを軽く流す。

 女性なら誰もが見惚れてしまいそうな笑顔なのだが、ミリアは頬を染めるどころか、表情一つ変えることはない。というのも、男からの甘い微笑みや言葉は慣れっこなのである。


 ミリアの容姿はとても美しい。そのため、幼い頃から様々な人に言い寄られてきた。それは平民出身として騎士団に入ってからも変わらない。それどころか、貴族という地位を利用して入団した勘違い坊ちゃん達からは、騎士なんてせず俺の妻や愛人にならないか、と毎回のように口説かれていた。もちろん、竜騎士を目指しているミリアは、剣の勝負を挑み、プライド諸共コテンパにしている。


 もちろんレオンがあの阿保どもと同じではないことくらい理解している。レオンがミリアを口説いてくることはない。先ほどのような軽い感じで来ることはあるが、ミリアを女として狙ってくることはないのだ。

 それは、レオンだけじゃない。この南支部にいる皆が、ミリアのことを女としてではなく、竜騎士として扱ってくれる。あまり人と馴れ合うのが好きではないミリアだが、南支部の仲間達はそういった面から特別だった。



 ミリアの耳に、ビューっと風をきる音が届いてくる。開いている廊下の窓から外を覗けば、雲が少しある空の中を二体のドラゴンが飛び回っていた。


 模擬戦をしているのだろう。ドラゴンを操縦する騎士が刃の潰れた剣を持ち、ぶつかるギリギリまで相手のドラゴンへと近づいて剣を交えている。

 操縦技術はもちろん、ドラゴンとの呼吸や剣の腕、風を読む力、相手の動きを見極める洞察力など、様々な事柄を極めなくては難しい。新人であれば、すぐに振り落とされてしまうだろう。もちろん、救命パラシュートは背負っているし、ドラゴンが瀕死の怪我をしていない限り、竜騎士が地面に叩きつけられることはない。ドラゴンにとって竜騎士はそれほどまでに大事な存在であるという証拠だ。


 だからといって危険じゃないはずがない。下手すれば正面衝突をして竜騎士諸共ドラゴンが落ちることだってある。

 だが、第四騎士団は魔獣との戦闘が主な仕事だ。ドラゴンの次に力がある生き物とされている、魔獣。ドラゴンと比べると知力が格段に低いため、平気で人や街を襲う。


 そんな魔獣相手に、第三騎士団のような型にはまった戦闘ができるはずもない。

 生きるか、死ぬか。それは、紛れもなく竜騎士の技量にかかっているのだから。



「訓練に力入ってるなぁ、ジェイド」



 レオンの口から出た名前に、ミリアの眉がピクリと動く。それを知ってか知らずか、レオンは窓から身を乗り出し、模擬戦を観察し始めた。



「ほぉ、また腕を上げたか。エドワードといい勝負してるぞ」



 レオンは楽しそうに戦いを目で追っている。

 ジェイドとは、第四騎士団南支部のミリアにとって一年先輩にあたる竜騎士だ。若手のホープとまで言わしめるジェイドは、モットーが『技術は鍛錬の中でしか身につかない』というだけあって、訓練馬鹿である。


 そして、第四騎士団の中で一番のドラゴンの乗り手と言われているレオンが、腕を上げた、と言うのだから、ジェイドの実力はそれほどのものであるということだ。



「これなら面白いものが見れそうだ」

「……何かあるんですか?」



 子供のように声を弾ませ、金色の瞳を細めたレオンの言葉に引っかかり、ミリアは思わず疑問を口にした。

 レオンは空から目を逸らす事なく、なんてことないような口調で返事を返す。その返事を聞いた瞬間、ミリアはぐっと喉を詰まらせ、目を伏せた。




 ♢



 癖のある金髪をなびかせ、真剣みを帯びた赤い瞳を隣を歩くエドワードに向けながら、先ほどの模擬戦の意見交換をしていたジェイドは、訓練場の隅で剣を振るミリアを見つけ足を止める。つられて足を止めたエドワードは、ジェイドの視線の先を確認すると、軽い挨拶を残してその場を去っていった。



「ミリア」



 呼びかけられたミリアは、剣を振るのを止めることなく視線だけをジェイドに向ける。そんな後輩の態度にジェイドが機嫌を悪くした様子はない。



「全くぶれない剣先……さすがだな」



 それどころか、ニコリ、と効果音が付きそうなほど爽やかな笑みを浮かべ、素振りの形を褒めたジェイドは、ミリアから少し離れた場所に腰を下ろした。


 ジェイド・アライズーー代々騎士を輩出してきた歴史あるアライズ伯爵家の次男坊。癖のあるふわふわとした金髪に、年齢よりも幼く、女の子と錯覚してしまいそうな甘い顔立ち。常に笑顔なため油断しがちだが、意志の強い赤い瞳が表すように、その内面はとても熱く、向上心が高い男だ。


 そして何より、ミリアのライバルであった。

 もちろん、公言はしていない。けれど、年が近いということもあり、ミリアは入隊当初からジェイドをライバル視していた。



「聞きました」

「何を?」



 剣を振り続けるミリアと、先程の模擬戦でエドワードから受けた注意点を紙に記しているジェイド。二人とも手を止める様子はないが、これもいつも通りである。



「騎士団対抗戦の代表に選ばれたんですよね」

「あぁ、そのこと。うん、そう。レオンさんと行ってくる」



 騎士団対抗戦とは、二年に一度行われる、騎士団の代表が日々の訓練の成果を競い合う大会である。王族も観覧するこの大会は、一般公開されており、騎士を身近に感じてもらう一つの手段ともなっている。


 人間同士がぶつかる、第一騎士団対第二騎士団。竜騎士同士が戦う、第三騎士団対第四騎士団。

 相手の陣地にある、各騎士団の紋章が入った旗を早く取った方が勝ち、という至ってシンプルな戦いだが、それぞれのプライドをかけた戦いでもあり、勝った側に特別報酬という名で、次の年の軍事費用が少し上乗せされるため、代表には実力者が選ばれるのだ。


 第四騎士団は東西南北に支部が置かれているため、各支部から二人ずつ選ばれる。今回、南支部からはレオンとジェイドが選出された。

 とは言っても、レオンはあの言動とは裏腹に、竜騎士としての腕前は第四騎士団でもトップなので、南支部から選ばれるのは、実質一人。その一人にジェイドが選ばれたのである。



「さっきの僕らの模擬戦見てた?」

「……最後の十五分程なら」

「じゃあ、見た範囲で気づいた事があったら、教えてくれないか?」



 ジェイドの言葉を受けたミリアは、やっと剣を振る手を止めた。ジェイドはミリアの動きを了承と受け取り、すぐさま近寄ってくる。その様子は、あるで遊んでもらいたい子犬が尻尾を振ってすり寄ってきているようだ。


 立ったままのミリアの横に立ったジェイドが、持っていた紙をミリアに見せた。その紙には、模擬戦でどのような技を試したかや自分の攻撃に対する相手の反応、うまくいかなかった箇所などがビッシリと書き留められている。

 綺麗な字なのは、貴族の子息だからなのか、性格なのか。貴族出身者扱いをすると、とても不機嫌になるジェイドには、決して言えないことである。


 最初は軽く流し見ていたミリアであったが、その眼差しは徐々に真剣みを増してゆき、最終的には食い入るように紙を見つめていた。ジェイドはその間、無言でミリアを眺めている。

 一通り目を通したミリアは、鋭い眼差しのまま紙のとある箇所を指差した。



「この背面飛行は使えないと思います。相手の視界から一瞬消えることは可能かもしれませんが、両手を手綱から離せないうえに、感知能力の高い魔獣相手ではリスクが高すぎます」



 ミリアの意見をジェイドは潔く認め、大きく頷く。



「やっぱりそうだよな。エドワードさんにも一度だけならいいが、二度は人間相手でも通用しないと言われた」

「あっ、でも、側面を九十度回転して飛行する技は、下から見ましたけど綺麗に決まっていたと思います。なかなかスピードもありましたし」

「筋力を上げた成果が出たな」



 着痩せするタイプなのか、赤い騎士服の上からではわかりづらいが、ジェイドも強靭な筋肉を持つ第四騎士団の一員として見劣りしない肉体を持っている。支部内にあるジムで、競い合うように筋肉を鍛えている仲間達を見ているので、ジェイドの筋力が上がっていても不思議ではない。

 そして、ドラゴンを操り、様々な技を繰り出すにはそれ相応の筋力が必要だとわかっているので、ミリアはその筋力が内心羨ましい。女であるミリアには、なかなか手に入れられないものだからだ。



「もう少し技を極めたい」

「そう……ですね」



 先程まで柔らかかった赤い瞳が、獲物を捕らえた鷹のように鋭く細められる。高みを目指し、自分よりもずっと先を見据えているジェイドの姿に、ミリアは曖昧な返事を返すことしかできなかった。


 すっと静かにジェイドの横からミリアは身を引く。不自然に見えないよう意識をして、剣を手に取ろうとしたミリアの背に、ジェイドの落ち着いた声が届いた。



「訓練中悪かったな。ありがとう」

「……いえ」



 背後からジェイドの気配が遠ざかっていくのを感じながら、ミリアは無意識に小さく息を吐く。



「なにやってんのかしら」



 騎士を目指したのも、第四騎士団への入隊を希望したのも、スティアドラゴンが好きだったからだ。それは今も変わらない。

 でも、技を極めたい。強くなりたい。そう思う理由は、騎士として人々を守りたいだとか、そんな純粋な気持ちではなかった。


『こんなに綺麗なら、たくさん素敵な男性に出会えるんだろうなぁ。羨ましい』

『ちやほやされてるからって、良い気にならないで!』

『俺の愛人になれば、苦労なんてしなくて済むぞ』

『平民出身のくせに、貴族の私に楯突く気か!』


 幼い頃から浴びせられてきた言葉の数々を思い出すたび、ミリアは無心で剣を振る。

 元冒険者でもある父親が、一度誘拐されかけたミリアを心配して護身術を教え始めたのが武術や剣術に触れるきっかけだった。才能があったのか、武術や剣術が様になるようになった頃からは、ミリアにとって心の支えでもあった。


 物語に登場するのは純白の鱗を持つフォスタードラゴンで、皆が白きドラゴンに憧れを抱く。そんな国でミリアは、赤黒い鱗の厳つい顔をしたスティアドラゴンを好きになった。けれど、周りに話せば「ミリアちゃんには似合わない」という言葉をぶつけられ、スティアドラゴンを語り合う友人に出会うことはなかった。


 騎士を目指すと言った時も「ミリアちゃんみたいな子がなるものじゃない」「女なのにおかしい」と呆れたような眼差しと共に、夢を馬鹿にされた。

 唯一の救いは理解ある両親の存在で、ミリアは無事騎士になれたけれど、あの頃から強くなることは、周りを見返す、舐められないようにするため。ただそれだけだった。



 ミリアにとって、ジェイドはライバルだ。強くなろうと日々訓練を怠らないジェイドに負けたくない、と思っている。

 でも、こんな自分が、あんなに真っ直ぐなジェイドと競い合うこと自体間違っているのでは、と時々思ってしまうのだ。


 強さを求めるジェイドとミリアは、表面上ではなにも変わらない。だけど、少し違う。

 負けたくないけれど、もうすでに負けてしまっている気すらして、ジェイドに素直に「頑張れ」と言えない。ミリアは、そんな自分が嫌で仕方がなかった。



 ブンッブンッと剣の風をきる音が辺りに響く。今、剣を振っている理由がなんなのか、ミリアにもわからない。



 ♢



「五百三十二……五百三十三……五百三十四……」



 南支部内にあるジムの中、黙々と腕立て伏せをしている男の背中にある重りを、しげしげと見つめていたレオンは徐ろに口を開いた。



「なぁ、ジェイド」

「五百三十五……何でしょうか、レオンさん」

「なんでミリアに告らないの?」



 ガタゴンガタンッ、と重いものが床に落ちる音がジム内に響き渡る。周りで自主練をしていたエドワードは表情一つ変える様子もなく、黙ってダンベルを上げ続けていたが、さすがに新人のアレクは驚いて目を泳がせていた。

 言葉を受けたジェイドは、その場に起き上がり座り込むと、いそいそと背中から転がり落ちた重りを回収し始める。レオンに笑いかけてはいるが、その顔は若干引きつっていた。



「なにをいきなり言いだすんですか」

「いや、別に。ただ、この前ミリアと肩並べて、紙を睨み合いながら話してたから」

「それは模擬戦を見てたミリアに意見をもらってただけで」

「ふーん」



 レオンは興味があるのかないのかわからない反応を返すと、ジェイドにふらふらと近づき、勢いよくジェイドの目の前でしゃがんだ。突然金色の瞳に射抜かれたシェイドの眉が微かに歪む。



「でもお前、ミリアが入隊してきてからずっと片思いしてるよな?」

「……本当になんなんですか」



 必死に耐えようとしているが、努力も虚しく、ジェイドの笑みが崩れていく。けれど、レオンは気にした様子もなく、けろっとした表情でジェイドを見つめ返していた。



「いんや? ただ後輩の長ぁい片思いが面白いから聞いただけ」

「タチが悪すぎますって」



 眉尻を下げ、力なく肩を落とすジェイドに、周囲から同情の眼差しが向けられた。レオンにいじられて可哀想に、という意味合いが強いだろう。



「ーー僕はまだ、ケジメをつけられていませんから」



 ボソリとジェイドの口からこぼれ落ちた言葉を、レオンの耳はしっかりと拾った。だが、拾った上で聞き流す。

 すくっと立ち上がったレオンは、手に持っていたタオルを首にかけると、軽い足取りで出入口へと足を向けた。



「訓練もほどほどになぁ。あんまり体重が重くなると、お前の素早い動きが、対抗戦で使い物になんなくなるぞぉ」

「あ、はい! ありがとうございます!」



 副隊長らしい言葉を受け、ジェイドは反射的にその場に素早く立ち上がると、姿勢を正し、騎士の礼をとった。振り返ることなく、軽く片手を上げて去っていったレオンの背中を見送ったジェイドは、頭の片隅に浮かぶ銀髪の女性の姿を振り払うように頭を振り、早速トレーニングメニューの変更を試みるのであった。




 ♢


 小さな人や家、生い茂る木々。瞳に映る全てのものが、流れるように視界から消えていく。

 銀色の髪は風に遊ばれるように靡き、冷たい空気が頬を刺す。耳に届くのは翼が風を切る音と時折聞こえてくる相棒の鼻息だけだ。


 魔獣はいないか。異常はないか。神経を研ぎ澄ませ、目を皿のようにして地上を見つめる。

 第四騎士団の仕事において一番大事なことは、魔獣を狩ることはもちろんだが、巡回中の僅かな変化も見逃さないことだ。


 魔獣は突然現れ、暴れたりはしない。人里に下りてくる時には何らかの前触れがあるものなのである。

 とはいえ、まだ竜騎士になって三年目のミリアは、大きな変化を発見できる程度で、まだまだ観察眼は未熟だ。技術とは違い、これらは経験を積んでいかなくては身につかないものである。



「ミリア、巡回終了だ」



 声に反応し、顔を上げたミリアの視界が青色に染まる。声をかけてきたのは、音もなくミリアの横に並んだ、今日のバディである隊長のニコラスだ。



「支部に戻る」

「了解しました」



 巡回は竜騎士二人で行うものとなっている。少し間をあけて並んで飛ぶのが基本のスタイルだが、言葉を交わす時などは近づいて飛ぶのだ。この動き一つとっても、かなりの技術が必要なのだが、さすがというべきか、ニコラスはドラゴンをいとも容易く操縦している。



「少し森の奥の様子が気になるが、今日は何も起きないだろう。一度戻って計画を立てる」



 ニコラスの鋭い眼差しの先を追ってはみたものの、ミリアにはいつもと変わらない森に見える。だが、ニコラスが言うのだから間違いない。ニコラスの経験値はミリアと比べられないほどである。



「何も起こらないといいが……」



 それはつまり、何か起こりそうだということだ。ニコラスの呟きにミリアは小さく頷くことしかできなかった。




 支部の訓練場に着陸し、ドラゴン達をそれぞれの寝床へと移動させたニコラスとミリアは、並んで支部の建物へと歩いていた。



「魔獣が動き出すのでしょうか?」

「どうだろうな。ただ、繁殖の時期が迫っているのかもしれない。魔獣は繁殖のタイミングが不規則で、なかなか読めないから厄介だ。まぁ、明日明後日どうにかなるって様子ではないから一安心だがな」



 ニコラスの言葉を受け、ミリアは無意識に目を伏せた。明日から二日間、レオンとジェイドは南支部にいない。騎士対抗戦があるからだ。



「なぁ、ミリア」

「はい」

「あ、いやー、言いたくないなら言わなくてもいいんだが……」



 歯切れの悪いニコラスの態度に、ミリアは首を傾げた。ニコラスは南支部の皆にとって兄的存在だ。人付き合いが嫌いなミリアもニコラスを尊敬しているし、信頼もしている。

 そんなニコラスが言いづらい事とはなんなのか?



「なんでしょうか?」

「その……ジェイドと何かあったか?」



 まるで思春期の娘を気遣う父親のような態度で、ニコラスはミリアに爆弾を投下した。思わずミリアの表情が凍る。

 その反応をどう読んだのか、ニコラスは「そうか」とだけ言葉を返し、口を噤んだ。それがより気を使われているのだとミリアに伝えてきて、ミリアは情けなくなる。


 ジェイドと何かあったかと聞かれれば、何もないのが正解だ。ジェイドと顔を合わせれば挨拶もするし、バディを組めば普段と変わらず巡回をする。

 けれど、ニコラスが言いたいのはそういう事じゃないのだろう、とミリアはわかっていた。


 今までしていた模擬戦をしなくなったし、技術向上のための意見交換をしなくなった。剣を交えることもしていないし、自分のドラゴンの自慢話もしていない。

 そうなると、必然的にジェイドと一緒にいる時間が減っていく。減って初めて、南支部で一番言葉を交わしていた相手がジェイドだったのだと気付いたくらいだ。



「……ニコラス隊長は、どうして強くなろうとするのですか?」



 なぜ、自分は強さを求めるのか。考えれば考えるほど、沼にはまったように黒々とした感情から抜け出せなくなっていく。

 自分への呆れや失望、ジェイドへの羨望や嫉妬……醜くいものが溢れてきそうで、ミリアはジェイドから逃げているのだ。



「強くなる理由か……」



 ニコラスは視線を空へと向けた。つられてミリアの顔も上がる。



「飛び続けるため、かな」

「……飛び、続ける」



 それはどう受け止めるべきなのか。意味合いがありすぎて、ニコラスの本心をミリアは見抜けなかった。

 空を見上げていたニコラスの黒い瞳がミリアに向けられる。穏やかで、優しい眼差しにミリアは息を呑んだ。



「ミリアが何を悩んでいるのかはわからないが、騎士が強さを求めて何が悪い。それが人のためであれ、自分のためであれ、騎士としての仕事がこなせれば、理由なんて関係ないんだ。周りと自分を比べるのは悪いことじゃない。だが、それで自分を否定するな。今の自分に自信を持て」

「隊長……」



 ぐっと喉を詰まらせたミリアの頭をぐしゃぐしゃと大きな手が撫で回す。髪が乱れるなどなんのそのだ。



「お前は俺の自慢の部下だ。もちろん他の奴らもな」



 ニカっと笑うニコラスの笑顔が眩しくて、ミリアはたまらず目を細めた。


 きっかけなんて、理由なんて些細なことだったのかもしれない。

 スティアドラゴンが好きで、剣術が得意だからと竜騎士を目指した。女だから、と外見ばかりを言われるのが嫌で、周りの皆を見返したくて、強さを求めた。


 でも、そんな自分を認めてくれる上司がいる。対等に扱ってくれる仲間がいる。なにより、負けたくないと競い合える人がいる。

 今があるのは、過去があるからに他ならないのだ。



「そろそろ出発の時間か」



 ニコラスの呟きにミリアはハッと顔を上げた。

 言わなければいけないことがある。ぐちぐちと悩み、素直に伝えられなかった言葉がある。



「ニコラス隊長、ちょっと私、いってきます。失礼します!」

「おお、行ってこい」



 勢いよくニコラスに頭を下げ、その勢いのままミリアは駆け出した。目指す場所は、ジェイドの相棒のドラゴンの寝床だ。

 鍛えているミリアにとっては大した距離ではないのに、息が弾む。早く早くと急かす気持ちが、足を運ぶスピードを上げていく。



「ジェイドさんっ!」



 ミリアは視界にジェイドが映った瞬間、声をあげた。荷物を手に持ち、ドラゴンの元へ向かおうと歩いていたジェイドは、驚いた様子で声のした方へと振り返る。そして、自分のところへ駆けてくるミリアを見て、目を僅かに見開いた。



「ミリア?」

「ジェイドさん」

「どうした? もしかして、巡回中に何かーー」

「いいえ、そうじゃなくて」



 落ち着き払った普段のミリアとは異なる様子に、ジェイドは何かあったのかと表情を強張らせた。しかし、ミリアは慌てて首を横に振り、その考えを否定する。



「そうじゃなくて……私、頑張れって伝えていなかったから」



 緊張のせいか握りしめる手に力が入る。



「頑張ってください。第三騎士団に勝ってきてください。それと、次は私が代表に選ばれてみせますから!」



 一息で言い切ったミリアの肩が微かに上下する。

 唖然としていたジェイドは、ミリアの言葉を全て聞いた瞬間、目元を手で覆い俯いた。若干耳が赤く染まっていたが、ミリアは気がつかない。



「……なんか嫌われること、しちゃったかと思ってた」



 未だに手で隠されているのでジェイドの表情は見えないが、ボソリと呟かれたジェイドの声からは安堵感が伝わってくる。自分の言葉に対する返しなのだろうが、ジェイドの反応の意味がミリアには全くわからなかった。



「えっと……」

「僕のこと、仕事以外では避けてたでしょ?」



 やっぱりバレていたかとミリアの表情が僅かに歪む。そんなミリアの様子を見逃さないジェイドは「やっぱりな」と納得したように頷いていた。



「結構きたんだよな」

「……何が、でしょう?」

「ダメージ」



 大事な戦い前の仲間に何らかのダメージを与えていたようだと知り、ミリアは狼狽えた。なんと言葉を返せばいいのかと、目を泳がせているミリアを見て、ジェイドは堪らず吹き出す。



「まぁいい。さっきので帳消しだ」



 いつの間にか顔から手が外れ、赤い瞳が現れる。柔らかく細められたその目から、ミリアは目が離せなかった。



「ありがとう、ミリア。頑張ってくるよ」



 ミリアの胸がトクリと小さく音を立てた。仕事以外のことをジェイドとこんなに話したのは久しぶりだ。

 だからだろうか。凄く胸が温かい。



「はい。頑張ってください」

「じゃあ、レオンさんを待たせるとマズイから行ってくる」



 そう言ってミリアに背を向けたジェイドは、数歩足を進めて、何かを思い出したかのようにその場に止まると振り返った。

 見送っていたミリアは、何事かと首を僅かに傾げる。



「次も代表に選ばれるのは僕だ。ミリアにだって負けるつもりはないよ」



 ふっと笑ったジェイドは、ミリアの言葉を待つことなく前を向くと、再び足を進める。

 ミリアはじわりじわりと湧き上がってくる感情を抑え込むように胸の前でぎゅっと手を握りしめながら、ジェイドの背中を見送った。



「ライバル確定だ……ふふふ」



 ジェイドはミリアをライバルとして見てくれている。それが凄く嬉しくて、ミリアの表情が自然と緩む。



「トレーニングしなきゃ」



 ジェイドのライバルであり続けられるように。

 強くなりたい理由が、また一つ増えた瞬間だった。



《登場人物紹介》


【第四騎士団南支部 竜騎士隊隊員】

ジェイド・アライズ(24歳)

相棒ドラゴンの名『カロイ』

金髪、赤目、年齢よりも幼く見える可愛らしい顔立ちで、「可愛い」は禁句。

代々騎士を輩出している伯爵家の次男で、長男は第三騎士団のエリート。

基本ニコニコしているが、竜騎士の仕事に対しては熱い。『技術は鍛錬の中でしか身につかない』がモットー。



【第四騎士団南支部 竜騎士隊隊員】

ミリア(23歳)

相棒ドラゴンの名『ケルビィ』

銀髪ロング、碧眼、凛とした美しい顔立ちの持ち主。

第四騎士団では二人目の女竜騎士。

毒舌のツンデレだが、デレることは少ない。

スティアドラゴが大好きで、相棒との時間を邪魔するとキレる。

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