プロローグというか掴みと言うか
認識は自分ではできない。
生きる価値とはなんだろうか。今の僕には理解できない。
自分を隠してまで、自分を殺してまで他人と擦り寄う必要はあるのだろうか。
よく人は言う。生きる意味なんて人それぞれだとか、生きていたら必ずいいことがあるから頑張れだとか、ね。
なんて言える人間は、恐らく苦労をせずに生きてきたんだろう。全く幸せなものだ。だってさ、何事にも対しても、勝てない人間、頑張らない人間、頑張っても勝てない人間は今も昔も社会では等しく無価値でゴミみたいな存在とされている。
不必要なんだ。そりゃ、成功してきた人間からすれば当たり前に映るのかもしれない。現に僕はずっとそっち側の人間だったのだから。
そしてその何事も苦労をせずに生きてきた人間が堕ちる姿ほど滑稽なものはなく、後にも先にもこういう場合は一斉に叩かれ、貶され、そして最後には自分が今まで惨めだなと思っていた彼らと同じになる。
それが勝てない人間の末路だ。
だからこそ、今はその土俵に立って、争おうとせず、土俵にすら誰も上がろうとしない。なぜなら、
自分を隠し、殺して、他人と合わせている方は安全だから、自分はちっぽけな惨めな一員じゃないと示せるから。
『無闇に強いやつと戦ってはいけない。真っ向から対峙してはいけない。』
誰も土俵に立とうとしなくなると、土俵に立っている1人の人物を中心に人が集まる、そしてそこでの役職が形成される。
しかしそこでの役職のトップは土俵に立っている中心的人物ではなく、その中心的人物が絶対的な信頼を勝ち取った僅か一握りの人たちである。
少し周りくどい言い方になってしまったが、私はここまでくるのにはなんも苦労はしなかった。持ち前の明るさとトーク力で場を仕切っていた。と今では信じたい。
話は長くなったが、これから話すことはただ1人の人生を見る物語である。
そしてどのようの堕ちていくかの物語である。あらかじめ言っておこう。
この話で得をすることはない。
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清水駿は清水家の次男として生まれた。上に2つ離れた兄と3つ離れた姉がいた。家は至って平凡であり、両親共にただのサラリーマン。いわゆる普通も家庭に生まれた、普通の赤ちゃんであった。
少し時が経ち、駿は兄の影響で地元の野球クラブに入ることにした。この時小学校3年生。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「えーこれからみんなのチームメイトになる、清水駿だ。わかっているかもしれないが、陸の弟だ。みんな仲良くしてやったくれ。」
少年野球クラブのコーチらしい人がそう言うと、整列しているクラブのみんなは、
「はいっ。」と意気のいい返事を返した。僕はコーチに挨拶をするよう促されたので、今日の挨拶のために昨日から練習してきた言葉をぶつけた。
「えーっと、清水駿です。皆が野球をしている姿を見て、自分もやって見たいと思いました。初心者ですがよろしくお願いします。」
野球クラブのみんなは少し緊張しながらも、僕を暖かく向かい入れてくれて、嬉しかった。
「ねーねー、僕も同じ3年生なんだ。よろしくね。」
「ぉいい、先がけはずるいぞ! 俺も同じってか小学校一緒だったな。」
3年生は僕を含めて5人いたが、話しかけてくれたのは2人だけだった。
「そのー君は、、君たちの名前教えてくれますか?」
「僕は西風 綾。 そんなに固くならなくていいよ。僕のことは"綾"でいいよ。」
「俺は林 圭介。好きに呼んでいいぜ。ちなみに俺はピッチャー志望。綾もピッチャー志望だから、ライバルなんだわ。あんたは?」
「えーっと、ありがと。綾と圭介。僕は兄さんがピッチャーやってるし、僕もライバルになろうかな、なんて。」
綾と圭介は僕はそう言うと笑って、
「お前も頑張れよと。」言ってくれた。
最初の練習はキャッチボールだったが、3年生以下はグラウンド内でのスペースがなく、コーチと一緒に隣にある多目的運動場に向かった。3年生以下は僕を含め11人だったために2人ペアを作った時当然弾き出されたのは初心者の僕であった。
しかしコーチとのキャッチボールは楽しかった。キャッチボールが終わるとノックが始まった。もちろん僕は全くと言っていいほどに捕球ができなかった。僕はただ一つ上手になりたいと、そう願った。
その影響か、練習がない日でも、素振りをしたり、兄とキャッチボールやノックをしてもらったりした結果、半年足らずで周りの3年生たちと同じぐらいにプレーできるようになった。と言っても、キャッチボールではたまに落としてしまうし、フライは難しくてイージーフライも落とす始末。しかしコーチは僕の成長ぶりには絶賛してくれたし、人をあまり褒めない兄さんも珍しく
「お前もやりゃできんじゃん。」と言ってくれた。
そして何よりはじめに話しかけてくれたあの2人、綾と圭介も褒めてくれたのだ。ほんとうに嬉しかった。努力を惜しみなくした結果。それが認められて嬉しかった。子供ながらそう実感していた。
そしてまた努力を惜しみなくした。
努力はしなければ意味がない。