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無力な人達  作者: 北野大地
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 うららかな午後の、退屈な授業中。ふと教室の窓から外を眺めると、おそらく低学年であろう体操服を着た集団が校庭を走っているのが見えた。自分が一年生だった頃を思い出して、懐かしい心地に浸る。


「じゃあ、次は高山に読んでもらうか」


 先生の口から突然飛び出した自分の名前に、僕はぴくりと反応する。慌てて教科書に視線を戻すも、授業をさっぱり聞いていなかったので、どの頁を開けばいいのかすら分からない。

 教科書をパラパラと捲っていると、頭上から呆れたような先生の声が飛んできた。


「おい、ちゃんと授業を聞いてろ。三十八頁の二行目だ」


 三十八頁を開く。魯迅の『故郷』だ。僕としては『狂人日記』の方が好みだな――なんてことを頭の片隅で思いながら、指定された箇所を読み上げる。


「わたしの思い出す故郷はまるきり――」

「声が小さいな」


 え?と思って顔を上げると、しかめ面をした先生がこちらを見ていた。


「もう少し大きな声で読め。それじゃクラスのみんなに聞こえないだろう」


 僕はそんなに小さな声であったろうかと内心首を傾げる。しかしもう一度読み直すよう促してくる先生の目に逆らい難いものを感じた僕は、仕方なくまた最初から読み上げる。


「わたしの思い出す故郷は――」

「駄目だ」

「えっ!?」


 再び駄目出しをくらい、僕は目を白黒させる。


「まだ小さいぞ。そんなんじゃ、廊下側の席の人にはちっとも聞こえていないんじゃないか?」


 なあ?と廊下側の席の生徒達に同意を求める先生。生徒の一人がヘラヘラした感じで「聞こえませ〜ん」と返事をした。


「ほらな。聞こえないそうだ。もう一度、今度は大きな声で、読み直してみろ」


 僕はざわつく内心を抑えつつ、またしても同じ箇所を読み上げる。


「わたしの思い出す――」


 不意にクスクスと、教室のどこかから忍び笑いが聞こえてきた。


「う〜ん、まだ小さいなぁ」


 絶対に先生にも聞こえていた筈なのに、陰湿な笑い声は無視して先生はそれだけを言う。教室のあちこちで、今度はひそひそとした話し声が交わされる。


「おいお前ら、静かにしろよー。今から高山がもう一回読むんだからな」


 今度は注意するのか。そして、先生の一言によって一気に静まり返る教室。しかし口は閉じたものの、幾人かの生徒はこちらを見てにやにやとした表情を浮かべていた。それに気付いてしまった僕の顔が羞恥で赤く染まる。それらの視線から逃れるようにサッと俯いて、僕は再び教科書の文章を読んだ。


「わたしの思い出す故郷はまるきり、こんなものではない。わたしの故郷はもっとよいところが多いのだ。しかしそのよいところを記すには――」

「あー、もういい」


 しんと静まり返ったクラスの中、先生の制止の声だけが、やたら大きく響いて聞こえた。僕はピクリと肩を震わせる――もうこれで、何回目だろうか。


「なあ、高山」


 僕に諭すような口調で、先生は言う。


「お前な、今からこんなんじゃ、これから先お前がもっと苦労するだけだぞ。例えば、もしお前が高校受験を推薦で受けようとするなら、必ず面接があるだろう?そこで今みたいに小さい声でしか喋らなかったら、相手の面接官の人はどう感じると思う?それに、人前で物事を発表する機会ってものが……」


 相変わらず静かな教室に、先生の声だけが響き渡る。正直、先生の言葉は少しも耳に入っていなかった。今の僕の内心は、耐え難い羞恥と、先生やクラスメイト達に対して湧き上がる密かな怒りで一杯だったからだ。

 ギリ、と奥歯を噛み締める。どうしてか、胸の奥がツンと痛んだ。――早く、早く終わらないだろうか。





 結局それから、先生の話は終業のチャイムが鳴るまで続いた。翌日僕が学校を休んだのは、仕方のないことだと思う。


仮にそう言えたとしても、何も変わらなかっただろう。

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