始まりの譜
202007221225、東京の小さな食堂にて。
テレビの向こう側の紛争地帯では紛れもなく虐殺は起きていて、脳はそれを、その状況を受け流していて、知覚しても処理せず僕らの日常の歯車は回り続けるのだ。
「こんな小さな食堂で、何の話なのかしら」
目の前に座るそばかすがチャームポイントの女の子はざる蕎麦を注文する様で、こんな小食堂にぼくが呼び出したことに対してのリアクションをとっていた。
「まぁ、ちょっとしたお話だよ」
僕はあくまで、平常心を装って(手の震えがばれていないだろうか)、前日に決めた通りの作戦通りに言葉を返す。
「私が聞いたのは、何の話ってことよ、ちょっとしたって?わけがわからないわ?」
実は彼女はこの東京の都議会の議員の娘だ、彼女は隠しているつもりなのだろうけれど、気づいてしまった。
彼女との出会いは大学の構内にて。走ってくる彼女とぶつかってしまい、彼女は手に持ったハンドバッグの中身をぶちまけてしまった。そのなかに、彼女の父親の資料が紛れ込んでいたわけだ。
自分で言うのもだが、ぼくの目は良い方だったから、美麗な彼女のそれの見逃しはしなかった。会話は続いていた。
「ちょっとした告白かな」
そう、告白だ。
「え、な!え?」
困惑する彼女は可愛い。
ぼくは彼女のことが好きだった。
「その告白というのは」
そしてぼくの仕事は人を殺すことだった。
「君の命を奪わさせてもらうってことだ」
ジャケットでうまく隠蔽した腰のホルスターから僕は拳銃を取り出す。万が一の時を想定して実弾は装填されていない。
ジャケットの内側ポケットにあるたった一発の弾を直接、装填する。
そして僕は好きな女の子にそれを構える。
殺す仕事をするときはターゲットの情報が包み隠さず記された資料を読まされる。
それを読んで、ぼくはこれから殺す人間の生き方とか人生観とか、そういう人間の臭いをぐちゃぐちゃと吸う。
その人に同情したり、恋をしたり、今回は恋をしちゃったわけだが。
恋は、ただの恋だ。
ハートは銃で撃ち殺せる。
アジア系の少年兵だったぼくはうまいこと日本のそれもなかなかな教育機関の教育に馴染めなかったわけだけど、そういう思い出も引っくるめて撃ち殺す。
ぼくの仕事だった。
消炎のにおいが鼻をついた。
事は終わっていた。
恋は撃ち殺された。
東京の街でこれから次々とテロが起こるだろう。
ぼくと同じく恋をして日々を謳歌する人々が巻き込まれるだろう。
愕然とぼくを見る食堂の店主のおばさんの脳漿をぶちまけながら生者の居ない食堂を後にする。
202007221256、空は青かった、床は赤色だった。