森の中
「うん。良い天気だ。」
ある男が言った。空は見渡す限り快晴で、馬の上からの景色はとても綺麗だ。
屋敷に帰る道を少し遠回りにしたのが良かったのかもしれない。
深い森を抜けて崖の下をくぐりながら常歩で景色を眺める。
この深い森を東へ数キロ行くと「レドモンド」と呼ばれる大国へ着き、豊かな自然と大陸中の特産を集める大きなバザールはレドモンド国の特徴だ。
距離はあるが、この男の居る森もレドモンド国の国有地で、彼はその森の外れに大きな屋敷を構え一人で暮らしている。
あらゆる分野に精通し、貴族の産まれであるにも関わらず家事全般を一人でこなしてしまう有能な男。
彼は悠悠自適に毎日を楽しんでいる。
屋敷へ戻るには、この先にある森を数十分進むのみ。
短い探索の時間を惜しみつつも、彼は馬に指示して歩みを進めた。
――――――――――
森の中、衣擦れの音がかすかに響いていた。
荒い息を吐き出して、一人の女が走っている。
白い絹のドレスは土埃に汚されて居て、美しかった金の髪は彼女の走るペースに合わせて揺れる。
彼女は追われて居た。剣を持つ男達に。国へ立ち入って来た赤い鉄の鎧を身に付けた彼らに。
命を、国を、父を、母を、兄を彼らに奪われた深い怒りと悲しみを抱きながら、彼女は走り続けた。
どこからか馬の蹄が地を削る音が聞こえた。
自分の居た国からここまではかなり離れているはずだ。まだここまで赤い鎧の兵士は来ていないはず。
「助けを…」
かすれた声は誰に聞こえるはずも無く、彼女の力は付き果てた。
大きく葉を揺らしながら茂みから這い出て、どうにか道へと体の半身を乗り立たせると、そのまま意識を失ってしまった。
――――――――――
もう少し時間を掛けて景色を楽しもうと、彼は馬を操っていた。
森に入ると花や木の香りがして、深く深呼吸をすると落ち着ける。
しかし、森の様子が少しだけいつもと違った。
「…獣か?いや、少し違うな。」
馬を止め、手綱を引きながら注意深く周囲に目を凝らす。
向こう側の茂みが揺れる。腰に差してある護身用の剣へ手を掛けるのと、美しい金の髪が茂みから這い出てくるのは同時だった。
驚きで動きは少し遅れたが、どうにか体を動かして茂みに横たわる彼女を抱き起こす。
「おい、意識はあるか?どうした!」
呼び掛けるが反応は無く、彼は彼女に外傷が無いのを確認して深く息をついた。
心配そうに鳴いた愛馬へ頷くと、彼女を抱き上げ馬を引き、屋敷へと戻った。
そして今日から彼を取り巻く世界がぐるぐるといろんな方向へ右往左往して行く事になるのだが、彼はまだその事を知らない。
レドモンド国より伯爵位を賜った彼は、スイントス・アレイク・ギャザリア伯爵。
巷では「スイントス伯爵」と呼ばれ親しまれている。
家事に裁縫、剣術に占星術、あらゆる部門に精通し、専門家にも負けを取らない知識量で社交界にも引っ張りだこだった。
しかし彼は趣味を充実させたいと言う理由で誰も住む事の無い森の中でひっそりと暮らしていた。
そんな彼が保護した女性は、思いもよらぬ人物であった。




