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15年前の記憶

15年前にも、広島市安佐北区・安佐南区は、豪雨災害の被害を受けている。

「6.29広島豪雨災害」と呼ばれている。

今回の豪雨災害では、当時の教訓が生かされていないという報道が多い。


実際に、私は15年前と今回の両方を体験した。

その上で、過去の記憶を辿ってみる。


15年前、私は高校生だった。

安佐北区の端のほうにある実家で生活し、高校は市内中心部に近い学校に通っていた。

通学方法は自宅からまずバスに乗り、最寄のアストラムラインの駅まで行く。

そこで乗り換え、学校の最寄り駅で降車。

徒歩で学校まで通うというルートだ。

通学にかかる時間は、バスの待ち時間などをふくめずにおよそ1時間強。


15年前のあの日、昼休憩頃だっただろうか。

「なんか天気がおかしくない?」

そんな会話を、同じ学区から通っている友人と話していた。

同じ学区から通っている友人も学校内には10人ほどおり、内半数以上が幼稚園から同じ学校だ。

「やばい。アトム(アストラムラインの略称)止まるんじゃない?」

「止まったら帰れんよね。」

15年前も雨脚は強く、学生ながら不穏な空気を感じていた。

昼休みも終わり、5時間目の授業が始まる頃だろうか。

詳しくは覚えていないが、担任が教室で何かしていたと思う。

ホームルームだったのか、担任の受け持ち授業だったのか。


5時間目の途中から、雷もすごく山頂にある学校だったため、恐怖心をあおられた。

そして5時間目の授業終了も近くなった頃、

「○○学区と△△学区の生徒は帰りなさい。急いで!」

と、帰宅を促された。

この時、すでに豪雨。

幸いアストラムは動いていたので、バスの乗り継ぎ駅まではみんなで帰った。


その後バスを待つも、すでに運休が決定。

数日後に知った内容だが、安佐南区にある高校では、私たちが「帰れ」といわれた時間には、すでに帰宅命令が出ており、同じ学区に住む同級生は、みな家路についていたそうだ。


途中までは友人達と帰ったものの、家に帰る足がない。

中には、知り合いや友人宅に一泊するという同級生も多くいた。


地元付近まで帰ってきた数人で、手持ちのお金を合わせてタクシーに乗り合わせようかとも話した。

が、タクシーも運行していない。

アストラムラインまで一緒だった友人達とは、ここで分かれた。


困った。学校から出たものの、家に帰れない。

困り果て、安佐南区にある母の職場に連絡を入れる。

が、母は20時まで仕事がある。

途中で帰ることも出来ない。

当時持っていたPHSには、父の勤務先の電話番号は登録していなかった。


15年前は、スーパーもコンビニも、使っていた駅の近くにはなかったのだ。

時間も潰せず、アストラムラインの改札付近で雨をしのいだ。


しばらくして、実家から離れた場所で生活していた姉から連絡があった。

「父さんが迎えにくるまで、うちにおりんさい。」

当時姉は、第二子を妊娠中。

最寄のアストラムラインの駅から姉の家まで徒歩30分。

出来るだけ川沿いを歩かないように、1人雨のなか姉の家を目指した。

姉の家に着くと、まだ幼い姪と姉が出迎えてくれた。

そして、夕食の時間には少し早かったけれど、姉が作ったシチューを食べて、温かいお風呂に入れてくれた。


夕方になり、仕事を早退した父が、姉の家まで迎えに来た。

その時私は、たしか疲れていて姪と仮眠をとっていたようだ。

頭がぼーっとするなか、父の車で家路へと向かう。

途中でスーパーにより、食べ物を普段より多めに買う。

「道には倒木と鉄砲水がある。峠は通れん。」

普段はあまり通らない道を通り、家路へと向かう。

思春期まっただなかで当時は父のことを好きになれなかった。

が、この日の父の姿は、よく覚えている。


スーパーに寄って、数日分のパンや果物、日持ちする食べ物を買ったこと。

母には内緒で、2人でお菓子とジュースを飲みながら家路に向かったこと。

車の中で、父から「交通網が落ち着くまで、無理して学校に行かなくて良い」といわれたこと。

倒木と茶色い水で溢れた道路を見て「この景色を忘れちゃいかん。」と言われたこと。


当時の姉の家から自宅まで、車で約15分で着くものの、その日は迂回路、さらに渋滞が重なり、帰宅までに1時間30分以上を要した。


これが、15年前に帰宅困難になりかけた出来事だ。


土砂災害で壊れた峠は、しばらく工事が続いていた。

あの道は、沼田方面と安佐北区を結ぶ、メイン道路の1つだ。

さらに15年前の集中豪雨では、推原方面も土石流が発生している。

今回の集中豪雨では、あの道は無事だろうか。


翌日は学校を休んだ。

登校しようにも、交通手段がない。

バスも通れないし、自家用車は酷い渋滞を引き起こしていた。

そのため、欠席扱いにはならなかった。

集中豪雨が発生した週は、交通手段がなかなか回復しなかったため、学校に通ったかどうかも今は記憶にない。


通常通りのダイヤで通学できるまで、1週間ほどの時間が必要だったかと思う。


今回の災害は、夏休み期間中に起きた。

広島市の公立小・中・高等学校では、予定では今週から夏休みが明ける学校も多い。


15年も経つと、記憶はやはり劣化する。

つたない文章でも良い。

記憶を保存することも重要だと痛感している。


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