2014年8月、雨の広島
ニュースで報道されない広島の事実を知ってほしい。
犠牲になられた方達のご冥福をお祈り申し上げます。
そして1日も早く復旧出来るよう、私たちはがんばります。
2014年8月20日未明、広島市安佐南区・安佐北区を中心に、集中豪雨に見舞われました。
現在もなお、警察・消防・自衛隊の皆さんによる、懸命な救助活動が続いています。
現在進行形で、広島市安佐南区・安佐北区で起こっている出来事を綴ります。
TVやマスコミで報道されていない現実を、少しでもお伝えしたい。
ただ、その想いで記録を綴っています。
そのため、気分が不快になられる方の閲覧は避けてください。
被害からの1日も早い復旧を祈り、私も行動します。
今年の広島の夏は、例年と少し違う。
毎年、広島の夏といえば、とにかく暑い。
カラッとした晴天が続き、雲ひとつない青空が連日続く。
そんな日の夜は、広島市郊外の高台に足を運べば、満点の星空が楽しめる。
10代や20代の間では、車が駐車できる天体観測ポイントは、ちょっとしたデートスポットとしても有名だ。
盆を過ぎれば、赤とんぼが飛び秋風が吹く。
徐々に過ごしやすくなり、近所での会話も、
「朝晩は過ごしやすくなってきたね。」
なんて会話が繰り広げられている。
が、今年の広島市の天候は、例年に比べて雨が多い。
私自身も広島で生まれ育っているが、こんなに雨が多い夏はあっただろうか。
近所の方達とも、
「今年は雨が多いけん、やれんね。洗濯物がなかなか乾かんわ。」
「そうですね。雨が少しでもやんでくれれば良いんですけどね。」
「じゃねぇ。このジメジメしとるんが、ほんまにやれんねー。」
なんて会話が繰り広げられている。
そして8月20日、広島市安佐南区・安佐北区は、集中豪雨の被害に見舞われる。
私は更紗。32歳の主婦だ。
広島市東区で生まれ、1歳の時に安佐北区に両親が戸建て住宅を購入。
家族全員で、安佐北区の北の方へ引っ越した。
小学校・中学校と地元の公立学校へ通った。
小学校は徒歩だったが、中学は近隣に学校がなかったので、公費で交通費を負担され、同一区内にある中学校に通った。
高校は、違う区にある高校へ進学。
私が生まれ育った安佐北区は、広島市内といえど、市内中心部からは遠い。
公共交通機関のアストラムラインが整備されるまでは、バスで広島市内にあるバスセンターに行くまで、約1時間はかかっていた。
私が生まれ育った安佐北区では、
「地元が好き。だけど大人になったら地元から離れよう。離れたい。」
そんな意思を持った学生が多いと思う。
昔から、広島市の郊外では車がないと生活がかなり厳しいと言われてきた。
とかく、公共交通機関の便が悪い。
実際に生活している私もそう思う。
現在は都市高速も整備され、車での移動は大幅に短縮。
そのせいか、最近は都市開発が進んでいる。
今回集中豪雨の被害にあった、広島市安佐南区山本地区・緑井地区・梅林地区も、いずれも郊外に住んでいる人たちにとっては、広島市安佐北区可部地区も、とても馴染み深い場所である。
県外から車で広島に来る人は、広島インターチェンジを利用した経験があるかと思う。
この広島インターチェンジがあるのが、広島市安佐南区緑井地区の近くだ。
広島インターの近くには、地元に密着した大規模なスーパーが2店舗。
家電量販店もすぐ近くにある。
大規模スーパーの建物内には、映画館も入っている。
そのため、週末になると、多くの人が店舗に足を運ぶ。
私たち家族も、今年のお盆には緑井に映画を観に行った。
そして、八木にあるおもちゃ屋や100円ショップにも足を運んだ。
そのまま国道沿いに車を走らせ、可部方面に行くことも多い。
広島市内が集中豪雨に見舞われる数時間前――
8月19日、19時頃。
広島市全域では、ゴロゴロと雷の音が聞こえ始めた。
「今日も雷がなっとるけん。帰れるなら早めに帰りんさい。」
私は、広島駅付近の会社に勤務する夫へ電話を入れる。
「判った。そっちは大丈夫なんか?変わった事はない?」
「大丈夫よ。雨が酷くなったら、二階で過ごすけん。」
現在の私も、広島市安佐北区に住んでいる。
同一市内になるが、生まれ育った実家からは車で約30分ほど。
どちらかといえば、東区に近い地域に家族で住んでいる。
ゴロゴロ……ゴロゴロ……
不穏な雷の音が響き、時折落雷が落ちる音も聞こえる。
(ほんまにやれんね。ここ最近、雷ばっかりじゃん。)
夕飯の支度を終え、洗い物を済ませる。
カーテン越しに、時折稲光のような光が見えた。
8月19日、20時頃。
雨音が徐々に強くなっている。
低気圧のせいか、酷い頭痛と吐き気を覚えた。
冷房をつけたリビングで横になり、音量を下げテレビを見ていた。
すると、雷の音と共に、一瞬テレビや全ての電気が消えた。
停電だ。
手にスマートフォンを握りしめ、起き上がろうとすると電気は回復した。
(やだ。停電?雷すごいもんね・・・・・・)
この停電は、私たち夫妻が寝る24時前まで続いていた。
8月19日、21時頃。
雨脚も雷も酷くなる。
家の中にいても、恐怖を感じるレベルだ。
夫に電話をするも、繋がらない。
折り返し夫から電話があったときには、会社も停電していたと聞いた。
雨や雷が酷く、早めに切り上げて車で帰ると連絡を受ける。
8月19日、22時頃。
Twitter上で、
「広島駅が停電・冠水した。」
という情報を多数目撃。
広島駅周辺は、地盤が低くなっているところもあり、雨量が多いときには一部冠水することもある地域だ。
この頃、夫から車で帰るという連絡を受ける。
安佐北区も、雨音も雷も徐々に酷くなっているのが判る。
8月19日、23時頃。
夫が車で帰宅。
「会社出ていつもどおりの道で帰ろうとしたんじゃけど、白島方面も迂回ばっかりじゃ。冠水しとる。」
「そうなん?会社の人も大丈夫なん?」
この時すでに雨も酷く、今までに経験したことがないような雷の音が鳴り響いていた。
地鳴りだろうか?
聞きなれない音が響く。
そして、日付が変わる少し前に2階にある寝室へ移動。
落雷は酷い。
雷はどこに落ちたのだろうか?
寝るときに、いつもと同じようにスマートフォンの設定を『おやすみモード』に切り替えた。
そして、いつもと変わらず持病治療薬に含まれる睡眠薬を含む向精神薬を服用。
翌日7時になるまで、私は寝室で休んでいた――。
8月20日、朝7時。
スマートフォンの目覚まし音で目が覚める。
アラームを止めるため電話を手に取ると、多数の着信やメールの案内が。
メールの多くは、事前に登録している広島市からの防災メール。
昨晩に『おやすみモード』に切り替えていたため、メールの通知は行われなかったのだ。
そして、朝5時ごろから実家の母から数回の着信が。
寝起きざまの、まだ何もわからない状態に母に電話をする。
母の第一声は、
「ああ。良かった。無事じゃったんじゃね。」
だった。
「うん。今起きたんよ。どうかしたん?」
「いいけん。早くテレビつけてみんさい。」
母に促されるまま、テレビをつける。
そこで目にする、近隣地域の惨状――
「え。これ、山本と八木?」
「そうなんよ。それから三入の雨が酷かったって聞いたけん。あんたの家は大丈夫なん?」
テレビの映像と母からの言葉が、寝起きの頭にはあまり入ってこない。
(あれ?昨日の豪雨のせい?え、何が起きとるん?)
母からは、
「とにかく無事でよかった。今日は父さんも休みじゃけん。仕事には行ってないけんね。」
「あ……ああ。わかった。うん。」
「何かあったら連絡するんよ。気ぃつけんさいね。」
「わかった。ありがとね。」
母との電話を切る手が震えている。
そうだ。父は被害にあった地域の近くに勤務しているんだ。
少しずつ、寝起きの頭に現在の状況を把握できた。
テレビをつけたことで夫も起き、映像を見て言葉を失う。
私たち夫婦は、しばらく寝室でテレビに流れる映像を黙って観ていた。