9.猫と犬②
ギルドからの帰り。
予定では今後の生活に必要な諸々の物品を買おうと思っていたが、予想外の出来事が頻発したせいで、そういう気分でもなくなってしまった。
まっすぐ学校に帰ることにして、手つなぎが気に入ってしまったシアンに控えめに伸ばされた身体を握り、感触を楽しみながら歩く。
太陽も天辺にかかる頃合。食べ物の屋台が増えた雑貨市を通り抜け、目抜き通りを南へ。都市中央にある大図書館を通り過ぎ、更に一時間歩く。本当なら乗り合い馬車でも使えばいいんだろうが、シアン連れなので諦めた。
門番のじいさんに挨拶をして、通用口を開けてもらう。
さて、どうしよう。このまま寮に戻って、夕飯の時間まで待機するのが順当かな。同科の連中はまだ訓練だろうし、邪魔も入るまい。
唯一、懸念があるとすれば、そろそろ話を聞きつけて会いにきそうな人物の来訪だけど、最悪、居留守を使えば問題ない。
そう結論付けて、寮に戻る前に一度、医務室に寄って学園長の容態を確かめるべきかと悩みながら校舎の入り口を抜け、大広間に入る。
普段はそれほど人通りの多くない時間帯だが、休暇期間だからか、それなりに生徒の姿がみえた。ちらほら見覚えのある顔も……げっ。ちょうど椅子を蹴倒すような勢いで立ち上がった女生徒の姿が遠目に見えて、思わず一歩後ずさる。
恐れていた事態が、回避不能な形で襲いかかってきた。
「兄様!」
母親似の薄い栗色の髪をシニョンにまとめ、父親似の緑の目を怒らせた少女が飛んでくる。身内の贔屓目を除いても愛らしいのに、表情が残念だ。
「兄様!聞きましたよ、学校おやめになるとか。一体どういうことなのですか!」
顔を真っ赤にして肩で息をしながら詰め寄られた。
オレより頭半分高い身長なので、顔が近くなって威圧感がある。彼女が高いのではなく、オレが低いだけだけれど。
こういう事態になることは予想ついたから、捕まらない様にここ数日は行動パターンを変えていたんだけど、どこで嗅ぎ付けられたのだろう。
まさか、初等科が休みなのを利用して一日中ここに居たのか?
「部屋にもいらっしゃらないし、同級生の方に尋ねても濁されるし、何をなさったんですか兄様!」
……言えないだろうなあ。変な生き物召還したとか。
まあ、他人ならいざ知らず、こいつに関しては遅かれ早かれの問題だ。ずっと先送りにもできない。それにやってきたのが気が重い方じゃなかっただけ、まだいい。
観念して、話をすることにする。
「とりあえず落ち着いて、エルザ。ここは人が多い。移動するよ」
チラチラとこちらを伺う生徒達に軽く視線を返して、口を閉じたエルザの手を引く。
シアンから迷うような黄土色が漏れたので、手でついてくるように示した。
中庭に出たところで、妹が再び口を開く。
「兄様。あの」
戸惑うエルザに向き直って頭をなでる。なでるときに見上げるようになったのは何時からだったか。早く背伸びてくれ……切実に。
「心配かけて悪かったね。なんともないから」
「退学というのは……」
「自主退学って形だけど、実際はほとんど強制かな」
エルザが目を見開いた。
「そんな……そんなの、おかしいです。兄様が何をしたって言うんですか!」
「何をした。……何をしたって言われると、召還をしたんだけど」
「そうだ。兄様、竜を召還なされたんですよね?今どちらに繋いであるんですか?」
怒りから一転、目を輝かせたエルザに、少々気まずい思いが生じる。
だが、正直に言わない訳にもいかないので、仕方なくシアンを指差して告げた。
「竜は召還してない。オレが召還したのは、これ」
そこでやっと、エルザは足許のシアンに気が付いたようだった。
だが、疑問符を浮かべたエルザが口を開くのより先に、第三者の声が場に割って入った。
「ーーおやあ?どこの野良モンスターが紛れ込んだのかと思ったら、落ちこぼれとその召還生物じゃないか」
この声は。振り返ると案の定、ギルネイ・S・カマセイヌが無駄に気障なポーズで立っていた。
ギルネイは同じ見習い科の同級生だ。オーヴェント帝国の侯爵家後継で、本人も既に子爵の位についているそうだ。入学一日目に本人が大声で喧伝していた。プライバシーなんてない。同科で知らない人間はいないだろう。
性格は一言で言えば、嫌みなお貴族サマ。
権力を笠に着てやりたい放題、貴族以外は人じゃないと言わんばかりの数々の所行。
手前勝手と我田引水を混ぜ合わせて、人の形にこね上げたらこうなるんじゃないか、とはランドの談である。
初めは皆見て見ぬ振りをしていたが、あまりに行き過ぎたことをやらかし始めたため、レイラが一喝して、それ以来レイラに熱を上げているマゾな人でもある。それでも、「この私の妻にしてやってもよいと言っているのだから、素直に喜んでいいのだぞ平民」だとか真顔かつ本気で言ってしまうので、多分一生このままだ。
本人の中では、レイラは本当は自分の事が大好きなのに身分違いを憂いて身を引こうとしている、健気な娘なのだそうだ。レイラが冷たいのも、拒否するのも、全てそのせいらしい。ここまでポジティブだといっそ笑える。
ギルネイがレイラに懸想するようになってからは、レイラと仲が良いオレ達はなにかと敵視されて面倒だった。大変からかい甲斐のある性格の持ち主のため、オレとランドで度々おちょくって遊んでいたのだが。
黙っているオレに何を思ったか、ギルネイは更に調子に乗って続ける。
「ふっ。いまさら何をしにきたのだね。薄汚いドブネズミが。もはやここはお前が足を踏み入れていい場所ではないぞ」
「っ。あなた」
動こうとしたエルザの腕を掴んで止める。言わせるだけ言わせて満足させた方が早い。話の通じない人種だ。
「大体、私が譲ってやっているとも知らずに実習で八十九連勝などと驕っているから、このようなことになるのだよ。レイラ嬢も何がよくてお前達と共にいるのか。その点だけは納得いかないな。目が腐っている。まあその辺は私がそのうちじっくりと教えれば良いがな」
エルザのことを止めといてなんだが、流石に、この言葉を聞き流すことはできなかった。
「レイラは関係ないだろ。オレはオレだ」
「はん。そうか。やはり町騎士の子は町騎士の子ということか。身の程を良く知っていて結構な事だ!そうさ、下賎な身分には竜などという高貴な存在は似つかわしくない。お前にはスライムがお似合いだよ」
拳を握る。
「お前の両親もな!息子がほんのわずかに、ちょっとばかり魔力が高かったからといって、勘違いした。竜騎士にすればいいだろうという、安直な鳥頭で息子をこんな所まで送り出した。身の程も弁えずにな。結果、どうだ。やはり、竜には選ばれなかった。下賎な血がお前に流れているからだ。本来なら誰も失敗などしない!するやつは召還の段階までたどり着けないからな。それなのにお前は失敗した。何故か分かるか?下賎な血がお前に流れているからだ!竜には分かるんだよ、そういうのが。どうせお前は騎士とは名ばかりのゴロツキと娼婦の息子だろう。私の様に青き血が流れている者とは、存在からして格が違うのだ!貴様如きドブネズミ以下の薄汚れた存在が。私の目に映るどころか、同じ世界に存在するのもおかしい存在が。私に勝てる等と、まさか一瞬でも思った訳ではあるまい」
「ふざけないで、兄様を愚弄するのは許さないわ!」
自分の言葉で自分に酔い、加速度的に熱気を上げながら演説を繰り広げていたギルネイにエルザが反論する。
うるさい羽虫を見る様な目でエルザを見返して、ギルネイは吐き捨てた。
「なんだこの小娘は。……思い出したぞ、お前の妹だな、リヴァ。はっ、兄が兄なら、妹も妹というわけか。上級生に対する口の聞き方もなっていなければ、真実を理解する頭も持ち合わせていない。可哀想だなァ、貴様らのような者達は。なんで生まれてきたんだろうなァ。」
近付いてきたギルネイはいやらしい笑みを顔に貼付けて、エルザを撫で回す様に見た。
オレは自らの懐に手をいれる。
「なんだ、言いたい事があるなら言ってみろ。しゃべれもしないなら両親の身分に相応しく街頭にでも立っていろ、なんなら私が買ってやろうか?どうだ」
「黙れ」
小さな魔術陣を手の中にイメージ。
「なんだリヴァ、お前いつからそんなに」
「黙れと言っている」
カッと熱くなった源泉から小さな雫を汲み上げ、指の先に魔力を集中。余剰分で魔術陣構築完了。
手を振り上げると同時に、陣に魔力を吹き込む。
“行け。”
「貴様、私にそのような口をぐあっ」
激高したギルネイの額に、緑道初歩の初歩である魔力弾をぶちあてた。奴はひっくり返ったが、威力は大した事ない。
だが、これを額に当てるというのは、大きな意味を持つ。
手に持った学生証を掲げ、オレは宣言した。
「都立セントラル学園中等部 竜騎士見習い科三年 アリウス・リヴァ。都市法第四編三章一条一項の規定に則り、同じく三年 ギルネイ・S・カマセイヌにこの証を賭けて決闘を申し込む!」
シエント都市法第四編三章、決闘の章。第一条一項『決闘を申し込む者は、緑道第一魔術を相手の額に当て、宣言を行う事でその旨を表示するものとする』
「くっ……はは、はははっ。何かと思えば。決闘だと?笑わせてくれるなドブネズミ。この私に敵うとでも思っているのか!」
「少なくとも、生まれなんて自分の力の介在しない、先天的なことしか誇ることのない人間には負けないさ」
感情を抑えて可能な限り淡々と喋る。でないと今にも殴り掛かってしまいそうだ。
「いいだろう。そっちがそのつもりならば俺も鼠だからと慈悲をかけるのを止めよう。叩き潰してやる!条件はこちらが決めるぞ」
先程の衝撃で普段はきっちり分けている髪を乱し、額から血を流しているギルネイは、獰猛に笑い、紅道第三魔術を中空に向かって放つ。空に大きな花火が咲いた。これは決闘受託と、専門の見届け人申請の証である。
「勿論。規定通りそちらの責だ」
「よし、だが、貴様の賭け対象。そのもはや意味のない学生証では私」
「これでいいだろ」
ギルネイが無駄口を叩く前に、鎖を引きちぎって首に下げていた市民証を見せる。エルザが後ろで息を飲んだ気配。
「オレはこれを賭ける。お前に負けたら市民身分は返上して都市を出て行くさ」
オレの言葉にギルネイが我が意を得たりとばかりに盛大に笑った。
「いいだろう。いいだろう!それでこそだ。貴様のような下賎な血を排除できるんだから、高貴な都市も喜ぶだろうな」
その言葉を聞いて思わず鼻で笑う。
「お前さ、前から思ってたけど使える語彙少ないの?下賎、高貴、薄汚い。あとなにか言える?」
ギルネイの顔が真っ赤になる。
「き、きさっう」
奴の頬をかすめて炎弾を飛ばせる。
「いいから早く条件を言えよ。時間の無駄だ。それともまだ食らいたいのか」
顔を屈辱で歪めたギルネイは更に何事か続けようとしたみたいだが、聞く気が毛頭なかったので遮った。
魔力ならオレの方が上だ。この場での魔術勝負ならオレの負けは、万に一つも存在しない。流石にむこうもその点に思い当たったのか、ギルネイはやっと決闘の条件を述べた。
「場所は第一特別演習場、時間は二日後の十四時。召還生物の使用は許可。魔術も使用可。その他、武器・道具の使用は一切不可。防具の使用もできない。服装は学園制服。決着は相手が戦闘不能と判断される傷を負うか、戦意喪失するまで。……これでどうだ」
伺うように視線を投げてくるギルネイ。
「に、兄様!駄目です。それでは兄様は丸腰に魔術だけで竜と闘うことに」
後ろから口を挟んだエルザにギルネイが余計な事を言いやがって、といった表情で舌打ちする。
言われなくても、それくらいのことは分かってるんだけどね。ギルネイにはオレがそんなに頭悪いように見えるのかな。
「それでいいよ」
「兄様!」
「エルザ、いいから」
服を掴んで訴えてくるエルザを宥めて、もう一度ギルネイに笑顔で告げる。
「お前に召還された不幸な竜ともども、オレが潰してやるよ、せいぜい首洗って待ってろ」
ギルネイの反駁は、校内から飛んできた見届け人の到着によって、音になる事はなかった。
その後、見届け人の立ち会いのもと、決闘条件を明記の上署名した書状を四部作成して、オレとギルネイ、見届け人がそれぞれ一部とり、残りは市役所へと送付する。
これで決着がついた際に、約束が反故にされるようだったら都市が動いてくれる。
「結構です。それでは二日後の十四時に、当校第一演習場にてお二人をお待ちしております」
恰幅のいい熊のぬいぐるみに似た見届け人が頭を下げた。
「ベールさん、よろしくお願いします」
「ふん。貴様に言われなくても行く。おい、逃げるなよドブネズミ」
後ろで何かを喚いているギルネイに構わず、シアンと着いてきていたエルザを連れて、オレは部屋を後にした。