12. 忍ぶれど②
屋台が所狭しと並び、人でごった返した大通り。
母はエルザ、父はカルマの手を引き、オレは手に入れたばかりの青狼の仔を抱えて二人の間に収まっていた。腕の中で眠たそうに目を瞬かせる青狼は暴れる様子もなく、時折くわっと口を開いて欠伸をするくらいで大人しいもの。当初は籠に入れようとしていた両親も、仔狼がそんな様子である上、オレが離そうとしないので諦めた。
今思えば、想定してしかるべきだったのは、祭りの真っ最中だということ。祝砲や爆竹、花火なんてものがあるのは当然だった。
予想外であったのは、爆竹の音が思った以上に強い刺激だったこと。
どこで何のために鳴らされたのかは、今となっては分からないが、突然耳に刺さった火薬の爆ぜる音を覚えている。短い間隔で連続して響く、鋭く乾いた音は、オレにとっても恐ろしいものであったが、耳のいい獣にとってはそれ以上だったんだろう。
気付けば腕の中から青狼は消えていて、人ごみの足許を縫って駆けて行く小さな後ろ姿を、オレは必死に追いかけていた。
「まてーーー……ふっ…はっ……はぁ、はぁ、まって」
「うわっ、あぶねーな!」
「……っ!ちょっと、ボク!!」
「どこみてんだ!」
「なんだなんだ?」
人にぶつかってもみくちゃになりながら、強引にすり抜けて先に進む。幸い、灰色の石畳に青の体毛は目立ったので見失うことはなかったが、体躯が小さい仔狼はすばしこくなかなか追いつけない。
走り続けるにつれ、中心街からだんだんと遠ざかり、周囲からどんどん人は減って行って視界が開けていく。
「まってったら!ああもうっうわあっ」
あと一歩で捕まえ損ねること数度。石の隙間につま先をひっかけて盛大に素っ転んだ。
「いたー……いたいよぉ」
顔面から地面に突っ込んだせいでしたたかに打ち付けた額と鼻が熱い。地面にへたり込んで、恐る恐る顔を触ってみると砂のざらっとした感覚とぬるりと滑る指。皮のない肉特有の刺すような痛み。こみ上げてくるものがあって、大声で泣き出そうとした時、急に薄暗くなって聞き慣れない声が降ってきた。
「ーーーーおい、坊主。これ、坊主のか?」
「ふえ?」
いざこれからって時に水を差されて、なんとなく涙が引っ込んだオレは上を見上げた。両前足の下を支えられ愛くるしい顔をこちらに向けられて、ぶらんっと垂れ下がった仔狼。
「あーあ、ひっでぇな。鼻、真っ赤だぞ。ほれ、立てるか?」
ガタイの良いひげ面の男は狼を脇に抱え直すとオレに手を伸ばした。引っ張り上げられる。
「うーん。なかなか綺麗な顔してんじゃねぇか。もったいねぇ。坊主、名前は?」
相手がしゃがんだせいで目の前にひげ面が現れる。
オレの視線は、奴の小脇に挟み込まれて身を捩っている狼に釘付けだった。反応のないオレを訝しんだひげ面は眉をひそめる。
「おい。どうした。頭も打ったか?……ああ。こいつか。追っかけてたよな?お前の?」
「……ぼ、ぼくの」
問われて、ぶんぶんと力一杯首を縦に振る。
「そうか。次は逃がすなよ」
ありがと!」
手渡された仔狼をぎゅうっと抱きしめて、両親を捜そうと辺りを見回す。そこでやっと、周囲の景色が全く見覚えのないものだと気付いた。
「ところで、坊主。親御さんはどうした。その服装、ちゃんとした家の子だろう」
「……」
「はぐれたのか。帰り方分かるか?……その顔は分かってねぇな」
ひげ面はにやりと笑う。
「お前、運が良かったな。おれあ、祭りの運営委員なんだ。あの人手だろう、毎年結構な数の迷子が出るんだ。専用の集会所も用意してる。ひとまずそこに移るぞ。その顔、治療もしなきゃなんねぇだろう。で、名前は?」
「ーーーアリウス」
よしアリウス。ほら、いくぞ、と急かすひげ面に手を引かれて、たどり着いたのは小さな民家だった。
ひげ面が慣れた様子で、格子戸の隙間から手を伸ばし鉄扉についた獅子型のノッカーを数度打ち付ける。金属の嫌な音を立てて戸の一部が開き、物見窓が現れた。ちらりと人影が見えた後、すぐに元に戻され、扉が開かれた。
落ち着いた内装の屋内に踏み込む。まず感じたのは煙たさだった。煙草の煙で屋内が薄ぼんやりしている。
確認出来るだけで六人以上の男が詰めている。
戸を開けた奴がひげ面に近付いた。長い髪の陰鬱そうな男だ。
「キグズ……そいつ」
「おう、戻ったぞ。ちょっとそこで拾ってな。治療して迷子達と一緒に入れといてやれ」
「……分かった。……こっち」
「アリウス、この兄ちゃんについてけ。もう大丈夫だからな」
にっこりとやたら良い笑顔のひげ面ーーーキグズに言われるまま、先導する男の後ろを歩く。
今になって思えば、徴候はどこにでもあった。
どこに迷子に親の名や住んでいる場所や、そういった素性を尋ねない案内所がある。どこの迷子案内所で武装した屈強が男共がたむろって居る。
だが、当時のオレは、もちろん幼くて世間が分かっていなかったのもあるが、何より見知らぬ土地で一人ぼっちになったときに優しくしてくれたキグズを信用し切っていた。……レオに言われるまで、そんなこと想像もしなかった。
「………ここ。入れ」
奥の部屋で簡単に消毒と当て布をしてもらった後、地下の鉄格子のついた部屋の前に案内された。
中に放り込まれ、後ろでガチャンと鉄格子が閉まる音。
むわっとした熱気。ついでに中はあまり、好みの匂いではなかった。壁の上の方に小さな明かり取りの窓が一つあるっきりで薄暗い部屋の中には、壁沿いに子供が沢山座ってた。
皆が皆、ぐったりとして昏い顔をしていて、オレは何だか不安になって仔狼を抱く腕に力を込めた。
「……ねえ、君」
淀んだ空気を裂いて飛んできた子供特有の高い声に体が震える。
声を発した奴を探す。一人、立ってこちらを見据えているのは凄く綺麗な碧い目をした男だった。身長が高くて、歳はオレの一つ二つ上に見える。
肌なんて白くて、闇の中で浮き上がっているようだった。
「外はどうなっている」
「外?」
「あいつらだよ。君、どうやってここに連れてこられたの」
じれったそうに問いかける子供はオレの近くまでやってきて再度繰り返す。銀の髪がさらさらと音を立てた。
「どうって、ぼく、この子おいかけてて、パパたちとはぐれちゃって」
「それで?」
「おじさんがパパさがしてくれるって」
「で、そのまま信じてここまで連れてこられたんだね」
「う、うん……」
オレの返事を聞いて、子供は大きくため息をついた。
「……僕も人のこと言えないけど、君は馬鹿か」
「え?」
本気で相手が何を言っているのか分からないオレは、いきなり罵倒されて首を傾げた。
「いい。ここは大祭運営の迷子案内所なんかじゃない。人攫いの巣窟だ」
「……え?」
「ここで待ってても、君のご両親は迎えにこない。僕らは売られるんだ」
「……」
「僕らでどうにかしなきゃいけないんだ」
容姿に似合わず重々しい口調でそう言った子供の端正な顔を見つめて、オレは彼の捲し立てられた内容を理解しようと努めた。
「ええっと、つまり、キグズは悪いやつだから、ぼくたちは逃げなきゃならないんだね……?」
「そう。そうだよ!協力してくれるかな。見ての通り、怯えちゃっている子が多くてどうにもならないんだ」
「レオ。あまり一般人を……」
「ヴェルは黙ってて。どの道、逃げられなかったら僕らは終わりだ」
いつの間にか、レオと呼ばれた初めの碧眼の男の子の後ろにもう一人、子供が立っていた。
こちらは桃色の短髪で、眉間に皺を寄せながらレオの肩に手を置いている。うっとおしそうにヴェルの手を払って、レオはオレの腕を掴んで部屋の隅に引っぱり込んだ。仏頂面でついてきたヴェルと三人、その場で座り込む。
「いいかい」とレオが続けた。「僕とヴェルがここに来てからおそらくもう二日経つ。その間に君も入れて七人ほどの新しい子供が連れてこられたけど、誰一人外に出ては居ない。聞いてみたんだけど、ここに居るのは一番古い子で多分六日前から。で、それから僕らが入ってくるまでの間も、外に出された子供は居ない。これがどういうことか分かる?」
オレは唇を曲げて、中空を眺めつつ考える。
「かう人がいないか、なにかを待ってる……?」
「そうだ!君は見かけによらず頭がいいな。六日前はちょうど、大祭が始まった日。都市内での人身売買は重罪だし、買うような人間も居ないから、僕らは外に連れ出されてから売られるはず。僕の考えでは、連中は大祭終わりで枢都を出て行く人々に紛れて、僕らを連れ出す気なんだと思うんだ」
「おまつりって、いつまで……?」
「明日だ」
オレの質問に簡潔な返事をしたのはヴェルだった。
「つまり、俺達は明日までにここを脱走しなけりゃ、取り返しのつかないことになるのさ」
「………」
レオ達の計画は、簡単だった。門番ぶっとばして逃げる!それだけ。子供達の中には魔術が使える者はいないから、物理的に壁を破壊しての脱出は見込めない。となると、チャンスはあいつらが食事を差し入れる為に扉を開ける時しかなかった。食事が与えられるのは日に二度。朝晩にパン一籠と水さしが差し入れられる。
一度、一部の連中が食事に文句をつけた際に手ひどく暴行されたらしく、それを見ていた子供の大半は反抗心を折られていた。レオの話では、彼が他の奴らに対して計画への参加を求めた際にも一悶着あり、結局、手は貸さない代わりに邪魔もしないということで落ち着いたそうだ。
実質、動けるのはオレも含めた三人だけ。タイムリミットまでの食事回数はあと三回。
レオは明日の朝が勝負だ、と声を潜めて告げた。
「僕らの聞いた話を総合すると、連中は八人程度の集団。食事を届けにくるのはいつも一人で、しかも決まった男だ。こいつは頭に血が上りやすい。ちょっと挑発してやれば襲いかかってくると思う。君たちは扉の近くで待機していて。僕があいつを怒らせるから、部屋の奥に入ってきたら、後ろからコイツで殴るんだ」
オレの身長の半分ほどの細長い金属製の筒を手渡される。
「うまいこと昏倒させることができたら、外に出る。アリウス、君はここに着くまでの道を覚えている?……うん。なら大丈夫かな。玄関から入ったところにある居間の奥にもう一部屋。そこから地下への階段は繋がってる。僕が来た時は連中は二部屋に半々くらい詰めていた。多分、そのまま突っ込んでいっても勝ち目はないから、階段のところで騒ぎを起こして何人か釣って、一人ずつ片付ける。それが上手く行っても行かなくても、最終目標は窓だ。危なそうなら突っ込んでいって窓を割るんだ。いいね」
外に出られなくても誰か気付いてくれるかもしれない、とオレに言い聞かせるレオにそれまで黙っていたヴェルが苛立ちも露わに突っかかった。
「レオ、だからそんなことしなくてもお前の力を使えば……!」
「ヴェル」レオは一度視線を伏せた後、冷ややかに相手を見つめた。「何度言えば良い? 僕は起こるかどうかも分からない奇跡に自分の命を賭けるのは嫌いだ。第一、僕の力は万能じゃない。万一、使えたところで君や他の子を巻き込むかもしれない。僕のわがままに付き合わせて君を連れ出して、結果こうなってしまったことは謝る。謝って済むことではないけれど、全てが無事に解決した暁には償いでも何でもしよう。でも、今は、黙って協力してくれ。君の力が要るんだ。僕はこんなところでは死ねない。無為に君たちを死なせる気もない」
「でも!お前にはくら」
「それ以上は言わないんで」
鋭い声で、視線で、噛んで含めるように、銀髪の子供は言い聞かせた。
「頼むから、それ以上は言わないで。ここで口にする言葉でないのは、君もよく分かっているだろう。もし、それでも君が言うならば、僕は君を罰しなければならなくなる。そんなことはさせないでくれ」
これで話は終わりだとばかりに、レオはヴェルの肩を軽く叩くと背中を向けて寝転がってしまった。
彼らが会話を—ーー実際にはレオが一方的にヴェルの言い分を切り捨てただけだがーーーしていた間、オレはただただ呆然としていた。理解するには致命的に情報が欠けていた。
どうにか分かったのは、ヴェルとレオがここに来る前からの知り合いっていうのと、レオがよく分からない力を持っていることだったけど、ヴェルに対して激しい言葉をぶつけたレオの別人のような形相が、衝撃と共に頭に残って、それを深く考えるどころじゃなかった。
ただ、何故かなんとなく、レオは寂しそう、とそんな不思議な確信を得たのは記憶している。
今だったらそんな脈絡のない感想、抱きもしなかったはずだけど、あれは幼い子供特有の発想の飛躍だったのだろうか。
とにかく当時のオレは、レオとヴェルを仲直りさせなきゃ!という謎の使命感に燃えてヴェルに話しかけた。
「ヴェル!」
「……」
壁に背を預けてレオの居る側とは真逆に視線を向けているヴェルの正面に回り込んで、顔を覗き込む。
「ヴェルったら!ヴェル…ゔぇーーる」
「……なんだよ」
「……レオをいじめちゃだめだよ?」
ヴェルのふてくされた顔が、徐々に表情を消してぽかんとした後、ヴェルは吹き出した。
「俺がレオを虐めてる?お前、どうやったらそういう結論になるの」
馬鹿にするように口の端をつり上げた顔にオレはむっとする。
「だって、レオいたそうだったよ?」
「あいつがそう言ったのかよ?お前が勝手に想像してるだけだろうが」
「でもっ」
「俺はな、力を持ってるのに出し惜しみする奴がいっちばん嫌いなんだ。あいつが本気になればすぐに解決する問題なのに、『僕は使わない』。そのくせお前みたいな普通のガキも巻き込んで、あれこれ運任せの計画立てて。そんなのただのワガママだろ」
ヴェルは憤懣遣る方ないといった様子で吐き捨てる。
「レオはふつうじゃないの?」
この質問に答えが返るまで少し間が空いた。
「……普通じゃない、よ」
「なんでふつうじゃないの?レオはとってもきれいだけど、ヴェルもきれいだし、レオはぼくたちと同じかっこうしてるよ?どこがちがうの?」
「っ。だってあいつは!!……いや、もういい。どの道、お前には分からないことだ」
ヴェルはそっぽを向いてしまったが、オレはどうしても納得できなかった。
「ぼくはヴェルがわからないよ。だってレオはふつうだもん。違うって、おもってるのはヴェルでしょ?ヴェルさっき言ったよね。ぼくがかってに想像してるだけだって。ヴェルもそうなんじゃないの?だって、レオはちゃんとりゆう言ってたよ。ヴェルはそもそもレオのこと信じてないだけじゃない」
「……」
「ともだちにうたがわれたら、かなしいよ?」
「………」
「ゔぇーーる、きいてる?」
「……ああもう、わかったから。心配しなくても俺はこいつに敵対するようなことはしないから!」
「てきたい?」
「悪い奴らの仲間になったりしないってこと」
「なったらぼくも怒るよ」
「ならないって言ってんだろ。俺はこいつのお守りだから、ついてくしかないんだよ」
「おもり?」
「あー……、お前とそこの仔狼みたいな関係ってこと」
ヴェルは投げやりに近くで寝そべっている青狼を指差す。
仔狼とヴェルを代わる代わる見つめたオレは、やっと理解して満面の笑みを浮かべた。
「そっか!ヴェルはレオにヨシヨシしてもらいたくてわざとあんなことしたんだね!」
理解したぼく天才!と思っていたのに、直後「違う!俺が保護者だ!」と叫んだヴェルに拳骨を落とされて目の前に火花が散った。
「なんだ、撫でて欲しいならそう言えば良いのに」
いつの間にかこちらを向いていたレオに、にやにや笑いながらそう言われ、顔を真っ赤にしたヴェルを見ながら、俺はどこを間違ったんだろうと首を傾げた。