1.始まり始まりー
「どうしてこうなった」
目の前ではうっすら発光している透明な物質の塊の”何か”が、銀線で描かれた芸術的な紋様の上でふるふる震えている。
その”何か”の出現によってたらされた痛いほどの沈黙と、増えて行く周囲からの突き刺さる視線に、刻一刻と自分の気力が削られていくのがわかる。
「どうして、こうなった」
パートナーとなる竜が現れるハズだった召還陣の上に出現した、どこからどう見ても“スライム”である物体に、召還主―–―–アリウス・リヴァは何の解決策にもならないと知りながらも、同じ台詞を繰り返すほかなかった。
状況を整理しよう。4W1Hだ。落ち着けオレ。
まずWHO.自分は『都立セントラル学園中等部竜騎士見習い科』所属3年生、アリウス・リヴァ。ちょっと異世界で生きてた前世の記憶持っている以外は、至って普通の学生。
WHERE.学園の召還術専用広場。
WHEN.肌寒くなってきた四つ月の十五日。ただ、現在感じているこの寒さは絶対気候のせいじゃない。
WHY.竜騎士見習い科の卒業試験であり、竜騎士となるのに不可欠な相棒の竜を召還するため。
HOW.一年かけて試行錯誤し創意工夫を重ね、この先、共に歩む事になる唯一無二のパートナーに思いを馳せながら、この日のための丹精込めて描き上げた召還陣に、ありったけの想いと魔力を注ぎ込んで竜神に呼びかけた。
そうだ何も間違っていない。
召還の術式も、手順も、呪文も、オレは何一つ間違えちゃいない。
つまり、オレの前に現れるのは竜のはずなんだ。
上の下程度の魔力はあった。だから、同科の生徒の9割が召還する土竜ではなく風竜とか、欲を言えば水竜とかが出て来てくれるといいなーっと期待して、なけなしの貯金をはたいて召還陣の素材を奮発もした。
美しいもの好きの水竜の気を引こうと陣自体の美しさ、完璧さにもこだわった。
呪文だってこの日の為に数十枚の石版が真っ白くなるまで何度となく書きなおし、添削をした学科長に引かれるくらい熱烈な口説き文句を暗記してきたんだ。
どんな方向に間違っても、少なくとも、何があっても、土竜は出てくるはずなんだ。
陣の上で不安そうに……自分がこいつが不安がっていると分かるのは召還術の影響だと思いつつも、理解したくないが。
とにかく不安気にぷるぷるしているのは。震えてんのが不覚にもちょっと可愛いとか思っちゃったこの物体は!どっからどうみてもスライムにしか見えない!
まて、もう一度ちゃんと見てみよう。もしかしたらオレの勘違いで実はこいつはドラゴンなんじゃないか。種族指定のフィルターを組み込んだ術式でドラゴン以外が出現するはずがない。
よし。おちつけ、おちついて現実を見るんだオレ。
凛々しい立ち姿。
そんじょそこらの業物では歯が立たない、頑強な鱗に覆われたしなやかな体躯。
四つの足には魔鉄を切り裂き、晶剛岩を砕く鋭くしっかりとした鉤爪。
頭上には竜族の象徴である二本の角。馬とも蛇ともつかぬ面長の顔。
普段は身体に沿うように畳まれている翼は、ひとたび空を飛ぶ段になれば力強く羽ばたき、巻き起こす風圧で容易に近付けもしない。
地上に存在する生物の中で最高峰の魔力量を誇り、召還できる範囲は超えるが、野生の力の強いドラゴンになれば魔術で国一つを苦もなく沈める。まさに最強の名にふさわしい。
それがドラゴンだ。ドラゴンとはそうであり、そうであるからドラゴンなのだ。
例外として姿形の違うドラゴンを考えるならば、昔話の中には人形になれる個体いたという記述があるが、それはあくまでも伝説。ここ数百年は確認されていない。
そもそも人形をとれるというだけで元はドラゴンであるのに変わりない。
だが、目の前のこいつには鱗も角も翼もない。当然、人化している様子もない。
つまりドラゴンである要素は何一つない。
透明だけれど、決して水にはない粘度をもって動く柔らかそうな身体。
見る限り目も口も脳のなく、思考ができるか以前にそもそも意思があるのかどうかも分からない、不思議生物。
若干発光しているのが気になるが、概ねスライムである要素しか見当たらない。
都市付近のダンジョンで定期的に大繁殖し、軽く殴れば萎んで、清涼感のあるスライム飴や魔力塊などを残すことから子供達の良い小遣い稼ぎ兼おやつになっている例のあれだ。
結論。こいつはスライムだ。
ドラゴンを召還するつもりが、スライムが出て来た。
——————ーどうすればいい。
なお、スライム出現からこの時まででおよそ5分。
それまではひっきりなしに召還音や生徒が呪文を呟いたり、叫んだりする音が響いていたこの広場だったが、既にその場で同じように試験に臨んでいた同級生及び監督の教職員の全員がオレに注目していて、時折ひそひそなんだあれ、とか聞こえる以外は静かなものだ。
ちなみに、このたった5分の間の衝撃でズタボロすぎて最早削られるところの残っていないオレの精神はそれら全てを気にしないという「ぼくのかんがえたさいきょーにくーるなしょせーじゅつ」に目覚めていた。
……ただの現実逃避なのは分かっている。
そうだ視界の隅で学園長がひっくり返ってるのはきっと気のせいだ。
この時オレは多分人生で一番、頭を働かせたと思う。
だがどんなに、ない脳みその記憶を漁ったところで、召還関連の教科書や指南書や先人の伝記にドラゴンを召還したらスライムが出て来た、というケースへの対処法はない。
ほとんどが召還陣が発動しなかった場合、召還した生物が暴走した場合について記述している。
目的でないモノの召還となると、40年前に当時の筆頭宮廷魔道師が執筆した『コレ一冊であなたも召還マスターよん!』の最後らへんにちょろっと冗談のように書いてあった、竜ではなく亜竜を召還してしまった場合、くらいだ。
当該書物の執筆者曰く、そんときは諦めて契約結ぶか潔く自殺するかしろ、だったと思う。
『だってあなたが召還したんでしょう?一旦されちゃったものは契約結ぶか、契約者が死ぬかしないと現実世界にくることも、彼らの世界に戻る事もできないで延々に空間の狭間をさまよう事になるんだから、責任持ちなさいよねっ!命を粗末にしちゃめっよ!めっ!(原文ママ)』
とかふざけてんだか真面目なんだか分からないようなコメントされてて、印象に残ったからおそらく間違いない。
……いや、でもよく考えればこれは今回のケースにも適応されんのか。
亜竜どころかぷるっぷるの発光スライムであるが。
つーことはオレの選択肢って、これと契約or自殺?
竜召還しそこねた上にスライム助ける為に自殺とかもう泣きっ面に蜂どころか、オレの人生の意義…ってなるから、当然自殺は却下として。
そうすると消去法で残りは契約……したくない。心の底からしたくない。何が悲しくてスライムと契約なんぞ。
何しろ人の存在の容量の都合で契約できる魔物はたった一体なのだ。
普通より魔力量の多い、適正のある者が、その存在全てを賭して、やっとぎりぎり一体と十全な従属契約が結べるというところだ。
だからこそオレのような竜騎士を目指す者はパートナー召還のその日までに必死こいて少しでも強い相棒を得ようと精進する。上位の竜は、それだけで最高の力になる。
風竜は言うまでもなく、土竜でさえ、人語を解するレベルの竜を得れば、竜騎士として騎士団に所属できるのは勿論のこと、元が平民でも叙爵されるし、元が貴族ならば所領への国税の優遇から、場合によっては加封もなされる。
定員300名の竜騎士見習い科から竜騎士科に進める者はおよそ50名。その中から実際に竜騎士となれるのは年に多くて2人。
絶対数の少ない竜騎士は、その肩書きだけで様々な面で便宜が図られる。
前世的に言えば黄門様の印籠のような一種免罪符のようなものだ。
財産と名誉と優秀な血を求めて、身分高かったり、容姿優れてたりする嫁や婿の来手・貰い手にも困らない。水竜の上位種を召還したともなれば、皇族と縁続きになるのも夢ではないのだ。
強い竜が居ればそれだけでその人生は勝ち組だ。
その価値観でいうと強い竜どころか、スライムを召還したオレは……。どうしよう考えたくない。
竜騎士に憧れ続けて18年。苦しい修行に耐え、冷たい弟に耐え、扱い酷い一部クラスメイトに耐え、家族の中で居場所がないのに耐え、変態臭い教授の扱きに耐えてきた。彼女も作らずに。ただ一心不乱に真っすぐ竜騎士を目指して頑張ってきた。彼女も作らずに。別に出来ないんじゃない、作らないだけなんだ、竜騎士になったら運命の人に告白するんだって、それだけを心の支えに、遂に中等部卒業までこぎ着けた。
これでやっとオレの人生ちょっとはマシになると思ったその矢先だ。
待ちに待った、たった一つの相棒候補ーーーーースライム。
うん、一年や二年くらい泣いて実家でニートしても許される気がするぞ。
いっそこいつ見捨てて、なかったものにしちゃえばいいんじゃないかとか悪魔の囁きが聞こえる。
たかがスライム一匹じゃないか。年に何万匹生まれては消えてると思う。子供のオヤツだぞ!
ふふふふふふ。思いがけない説得力と誘惑に負けてしまいそうだ。
でもさっきから震えながらもこっちをじっと見てる(推定)こいつの姿をみてて、ほっとくのはどうかという感情も少し出て来ている。
言ってみればコイツも被害者なのだ。恐らく平和にスライムとして自然発生し、ぷにょんぷにょん身体を揺らしながらしながら生きて、誰かのオヤツとして平和に死んで行くスライム生だったはずなんだ。オレが召喚さえしなければ。
オヤツになるくらいならずっと空間の狭間で一匹で彷徨ってる方がマシ、なんて言えるほどオレは非情じゃない……はず。
何よりこの衆人環視の中で、んな外道なことしたら一部クラスメイトとの関係が完全に破綻する。
今死ななくてもきっと殺される。きっと。うん、やるだろうな絶対。
死角から飛んできた特大の炎弾に丸焼きにされたり、突然変異した植物に拘束放置されたり、寝てるとこに気付いたら部屋に水込められて溺れるとか。
画が浮かんで鳥肌立っちまったじゃねーか。
契約と放棄。脳内にある、二つの選択肢が表示されたダイアログの"契約”の上に、カーソルが合わさる。
頭のどっかで赤いアラートランプがちかちかしてる。
一度選んだら、元に戻ることはできない。
もう出ている選択肢を選ぶ瞬間を少しでも遅らせたくて、竜と今までとこれからの人生に残ってる未練を断ち切れなくてうだうだ色々考えていると、魔方陣を覆う結界が微かに揺らいだ。同時に周りの観客が息を飲む気配が伝わってくる。
中のスライムが耐えるように、ぺたんと地面に張り付く感じで身を薄く広く変化させた。
……どうやら猶予はそうないようだ。
門が閉じようとしている。
そもそも召還術とは、結論から言えば”何処かにある何かを召還陣のある場所に出現させる”という技術だ。
欲しいものを自在に呼び出すという表面現象から、召還術を学ぶ前のオレは、これを瞬間移動の類いだと思っていたのだが、実際に理論を知ってみると事前の認識は大きな勘違いであるのが分かった。
いや、正確に言えば、オレは"召喚術"と、一般に言われる”召還術”とを取り違えていた。
召喚術とはまさに、自世界・異世界の別を問わず、"どこか”から、同時間軸上に存在する無機物・有機物、意思の有る無しも問わない”何か”を持ってくる術である。
これには瞬間移動も含まれる。例えば水が飲みたいから家からコップを召喚する、というのが瞬間移動にあたる。
だが、世間一般に"召還術”といえば、それはすなわち“魔力生物を召し出してそれと契約する術”を指す。
これは瞬間移動ではない。ある意味魔術ですらない。神術だ。
小難しい理論抜きで簡単に並べると。
召還者が「こういうの欲しいです。マジ求めてます。出してくれないとおいら泣いちゃうよ。お願いだからおくれ!」と賄賂(魔力・命など)を差し出しつつ神様に祈る。
→神様がそれに適する存在を便宜上、召喚空間と呼ばれている謎空間に落とす。
→召還者が空間歪めて、その謎空間と自分の世界を繋ぐ門を開く(召還陣上)
→「ボクと契約して一緒に遊ぼうよ!ボクと契約すれば良い事一杯だよ!何も危なくないよ!おいで!ここだよ!」と陣に開いた門から飴(魔力や存在の格)をちらつかせつつ対象生物を門まで誘い出し、契約してリンクを作る。
→自分の存在ををこちら側の世界における楔にして、召還空間から目的物を強制的に引っ張りだす。
という流れだ。
ちなみにこれは、仲間に自分を召還して貰うという非常に頭のよろしい実験を行った方により実証されたものである。
契約の形態にも隷属、従属、対等、逆支配など、様々あるが読んで字の如くであるし今はいいだろう。
問題は門を開けていられる時間だ。強引に空間を歪める訳だから、当然そう長いこと開けっ放しではいられない。自分の残魔力量を把握しながらいかに迅速に門を開き、対象を誘い出し、リンクを作れるかが問われる。
見つけ出すのに時間を喰われて、説得と契約に使う魔力が足りなくなり対等契約が逆支配になったとか笑えない事例もある。
今さっき結界が揺らいだのはオレの魔力が持続するタイムリミットが迫っているからだ。
もう迷ってる時間はない。
纏わりつく複雑な思いを諦めと自棄の力で振り切ると、覚悟を決めて、オレは結界に掌を押し付けた。
そこで、はたと気付く。
ーーーーーそもそも、これ、普通に契約出来るんだろうか?
初めて物語書きました。読んで頂きありがとうございます。