『赤龍』と『祝福』
「う……」
ソフィアは目を開ける。
「――気がついたか?」
僕はソフィアに声をかける。
「カイト――ここは?」
「お前の部屋だよ。お前、儀式の後に気を失っちまって――」
「――カイトが運んでくれたの?」
「あぁ」
ベッドに横たわるソフィア。部屋は燭台の火がひとつ、煌々と照らす。窓から月と星の光が優しく入り込んで、何だかぼんやりと明るい。
「あ、ありがとう……」
ソフィアは掛け布団を引き上げて、ベッドの横の椅子に座っている僕から顔を少し隠した。
「儀式で相当体力と精神力が削られているだろう? もう夜も更けているし、しばらくゆっくり休め。僕の治癒術は気休め程度にしかならないけど、もうしばらくかけていてやるから」
そう言って、僕は自分の右手をソフィアの前にかざす。黄色がかった白色の光で、ソフィアの体をぼんやりと包む。
「あったかい……」
ソフィアは目を閉じる。
「そうか?」
「うん……」
沈黙。
「試練合格、おめでとうな」
僕は言った。
「だけど驚いた。あの体の弱かったソフィが、まさかここまでやるなんて」
あの盗賊団の襲撃の後、ソフィアは帝国の治癒術士のポーラからもらった霊薬の効果なのか、病弱だった体はめきめきと体力をつけていき、その1年後には、もう他の人間と大差ないくらいの体力にまで体が回復した。
そうなったことで自信がついたのか、ソフィアは僕が精霊術取得のための修行に挑んでから1年後、自分も精霊術のための修行をしたいと志願したのだった。僕も神官様も、それに反対したのだけれど、ソフィアの意志は変わらなかった。
「どうだった? 試練は」
「――正直言って、もう二度とやりたくないわ。私の人生で、一番苦しかったもの」
「はは、まあ、そうだな。僕もそうだった」
「でも、カイトはあんなのに、たった15歳の時に耐え切ったんだよね」
「……」
僕は自分の右手の甲を見る。
そこには赤い炎のような形をした刻印が刻まれている。
僕は2年前に、ソフィアが今日行った儀式をクリアして、この刻印を得た。
「ちゃんと右腕を見てみろよ。印、まだちゃんと見てないだろ」
僕がそう言うと、ソフィアは目を開けて、自分の右手の甲を空にかざして見た。
「お前、治癒術士希望だったもんな。それには、その祝福の印が一番だ。こればかりは、先天的な才能らしいからな――お前、ラッキーだよ」
『印』というのは、精霊と契約を交わした人間が、その際に精霊から体に刻まれる刻印のこと。
精霊術というのは『大気』と呼ばれる、この星や、人間を含めた動物や植物、あらゆる森羅万象が持つエネルギーを集めて、この印に宿る精霊の力で大気を精製して形や性質を変えて、それを具現化することをいう。
だが、それは宿った精霊の性質なのか、契約した人間の先天的な才能なのかは今のところ不明だが、『印』は精霊術士で全て形が異なり、また、この『印』によって、大気の精製に得手不得手があることも確認されている。
僕の手の甲に浮かぶ赤い刻印は『赤龍』という。主に炎を精製することを得意とした印だ。
ソフィアの手の甲の白い刻印は『祝福』。治癒術に優れ、治癒術士はほぼ全員が、この印の持ち主である。
「カイトの治癒術は、『祝福』の治癒術とどう違うの?」
ソフィアはベッドに横になったまま、僕にそう訊く。
「うーん、そう言われても、僕はポーラさん以外に治癒術をかけてもらったことがないから、ちゃんと体験したわけじゃないんだが……」
僕は一度、治癒術を使う手を止めて、ソフィアによく見えるように、右手を出し、人差し指を立てた。
「ん」
僕が念を込めると、立てた人差し指の先から、マッチを擦った時ほどの火が、チロチロと浮かび上がる。
「例えば僕の赤龍の場合、コツさえ掴めばこうして大気を火の形にすることは、ほぼノータイムで、すぐできるようになるんだ」
そう言って、僕は人差し指の先に起こった炎を息で吹き消すと、もう一度人差し指を立てて、強く念じる。
「ん……んんん……」
10秒ほどの意識の集中を終え、僕の人差し指の先からは、ようやく、しゅるしゅる、という、空気の渦が逆巻く音が聞こえ始める。
「ふぅ」
僕が気を抜いた瞬間、その風の渦は雲散霧消して、部屋の空気と混ざって消えてしまった。
「見ただろ。赤龍の僕が、火以外の属性――たとえば今みたいに風を生み出そうとすると、錬成に時間がかかる上に、その威力も大したことない……風ならまだいいが、炎と対極にある水や氷を生み出す術は、まだ一度も成功したことないんだ」
印の基本は5種類。炎の赤龍、水の青蛇、地の黄獣、風の緑精、そして治癒の祝福である。
人間が精霊との契約をすると、ほとんどの人間はこの5つのうちのどれかを体に刻まれることになる。ごく稀に、はじめの契約の時か、精霊術の制御の力量が達人のレベルに達すると、上記のどれでもない、新しい印が浮かび上がることもあるらしいけれど……
「基本的に炎と水、地と風は互いに反発するんだ。炎は風と、水は地と比較的相性がいい。精霊術の覚えやすさも、その関係になっているんだ。例えば僕の赤龍の場合、炎の術の威力を10とすると、風の術は6か7くらいの強さで使える。地の術は3か4、そして、水の術はまったく使えない――これはどんなに大気の錬成に慣れても、力の比率は変わらないんだそうだ」
「じゃあ――カイト達の治癒術はどうなの?」
ソフィアが次の質問をする。
「僕達祝福以外の印を持つ人間も、治癒術を使えないわけじゃないんだが――大気を癒しの力に変える錬成は、祝福の精霊術士じゃないと、上手くできないんだ。祝福をもっていれば、怪我をした人を数人、上級の治癒術士なら数十人をいっぺんに治療するくらいのことも可能だが、僕達地水火風に長けた精霊術士は、この手で触れた人間くらいしか癒せないし、その癒しの力も大した力は出せない――」
そう言って、僕は部屋の窓から差し込む明かりに目をやる。
「僕がさっきソフィに使った治癒術は『星々の加護』って呪文なんだ。これと『太陽の加護』って呪文は、太陽や星から得られる大きな大気の力を、治癒用に錬成する術なんだけど、太陽と星は元々大気に満ち溢れているものだから、エネルギーを錬成しやすいんだ。だから僕でも、太陽や星が出ている時なら、そのおかげで治癒術を使うことができるんだけれど――僕達が使える治癒術は、この2つだけ――太陽や星みたいな媒体なしに、空気中の大気だけで治癒力のある術を扱えるのは、祝福の力を持つ治癒術士だけなんだ」
他にも祝福の持ち主は、その癒しの力で結界を作ったり、大地に祝福を与えて、痩せた土地を生き返らせたりすることも出来る。地水火風は、どの属性も、治癒術の40%ほどの精度しか出ないから、基本的に四属性を持つ精霊術士のサポートにつくのが効果的だ。
7年前に村にやってきたレックスとポーラもそうだった。レックスは恐らく緑精の精霊術士で、ポーラは祝福の治癒術士。恐らく騎士団は、レベルの低い団員には、基本的にこうした数人一組の小隊で行動させているのだと思われる。
「一度に何十人も治療が出来る治癒術か……」
ソフィアは呆然と天井を見上げる。
「でも、カイトもまだ修行中なんだもんね。この村の自衛団長をしながら」
そう、今の僕は精霊術の向上の修行をしながら、村を盗賊や夜盗などから守るために、自衛団を作って、その団長を務めている。
勿論こののどかなアルニ村に、そんな過激なものが来ることは滅多にないが、毎年豊作で、食料の豊かなこのアルニ村の畑を荒らす野生動物や、泥棒をする他の村の住人による軽微な被害は毎年アルニ村住民を悩ませていた。そんな被害を未然に防ぐべく、パトロールや見張りをするのが僕の仕事である。
「あぁ、これからソフィも新しい修行だな。まずは大気の錬成だ」
「大気の――錬成……」
「どの属性にも、その練習用の術がある。炎の術は、さっき僕が見せただろ? 『炎戯』って術なんだが」
そう言って、僕は指先にもう一度火を起こして見せる。
「治癒術の場合、一番初歩的な呪文が、『太陽の加護』だからな。まずはこれが使えるように、修行することになるんじゃないかな」
「そうかぁ――6年も修行したのに、まだまだ先は長いなぁ」
ソフィアがベッドの中で、小さく伸びをした。