私、精霊術士になれました
アルニ村の大人達が、畑仕事を終えると、空には美しい夕焼けがある。そして夕焼けと共に、アルニ村の路地からは、各家庭の夕食の匂いが漂い始め、労働の後の空腹に火を点ける――
それがいつもの、アルニ村の夕方。
だが、この日は違った。
夕暮れ時、村人は全員、礼拝堂にごった返し、これから起こることを、固唾を呑んで見守っていた。
礼拝堂の裏庭にある、アルニ村のお国自慢でもある、天を突くような精霊像――あの盗賊の襲撃にも無傷だった、人造のものとは思えないその像の周りは、村人で埋め尽くされ。
村人達の円の中心には、アルニ村の神官様と僕、そしてソフィアがいた。
「ソフィ、いよいよです。体調は万全ですか?」
精霊像を背に、神官様はソフィアに訊いた。
「――はい、今日はぐっすり眠ってきましたから」
ソフィアは、神官様が書いた召霊陣――五芒星の周りに円状に呪文を書いた方陣の上に立って、そう答えた。
「……」
少し表情が固いな――まあ、無理もないか……体が丈夫になったとは言っても、ソフィアは昔から気の弱いところがあったからな……
「ソフィー、頑張れよー」
「無理しないでいいのよー、村のみんなが応援しているからねー」
ソフィアに村中の声援が飛ぶ。こういう時、田舎っていうのはいい。
いや――村のみんなが顔見知りだからってだけじゃないかな。
昔は体が弱くて、痩せっぽちだったソフィアが、今じゃ出るところも出て、すっかり綺麗になっちゃったからな……昔の僕の時よりも、応援に男の声が多い気がする。
「カイト」
村人達を見回している僕に、神官様が声をかけた。
「どうでしょう。召霊は、あなたが行うというのは」
「え?」
僕は声を上げた。
「神官様。確かに僕は2年前に、印を手にしていますが、召霊なんてのは、やったことないですよ? こんな大事なものを、ぶっつけ本番の僕がやるなんて」
「契約の儀をするくらいの召霊なら、大気を注ぎ込む技術さえあれば、出来ますから――あなたはこの村で唯一の精霊術士ですから、大気の扱いなら、もう村の誰よりも――印を持っていない私よりもはるかに上です。それに――ソフィも一緒に修行をしたあなたが呼んだ精霊様の方が、色々と安心できるのではないでしょうか」
「……」
僕は困惑して、ソフィアの方を見る。
「ソフィ、大丈夫か? 僕が呼んで」
僕は正直不安だが、ソフィアはにっこりと微笑む。
「私は、カイトが呼んでくれた方がいい。一緒に修行してきたカイトが呼んだ精霊様なら、どんな厳しい儀式でも、恨みっこなし……そう思えるから」
「――そうか、分かった」
そう言って、僕はソフィアに背を向けて、精霊像へ、一歩、二歩と歩み寄る。
声援を送っていた村人達が、しんと静まり返る。
「準備はいいか? ソフィ」
僕は振り返らずに、念を押すようにソフィアに問う。
「いつでも大丈夫!」
ソフィは自分を奮い立たせるように、声を上げた。
「よし」
僕は精霊像の前に両手を出し、自分の印から大気を注ぎ込む。
「この大地を見守る精霊達よ。ここにそなたらと契約求めし者現れり。願わくば我が交霊に応え、その神々しき御身を我が前に現せ! はあああああ!」
僕の体が風に包まれ、その風が次第に大きくなり、集まった村人達も、その暴風に悲鳴を上げ始める。まるで台風のように風が強い渦を巻く。
空気が振動し始め、ぴしぴしと、火花のような音が鳴り始める。
『――そなたの願い、聞き届けたり』
その時、地鳴りのような低い声なのに、よく響く声が僕の耳に届いた。
「な、なんだ! この声は?」
どうやら村人達もそれが聞こえたようだ。その得体の知れない響きを残す声の主は誰なのか、村人達は皆往々に辺りを見回していた。
――やった、成功だ……
腕を下ろす僕の息は大きく上がっていて、僕は膝に手を付いた。
そしてそのまま、僕は像を見上げると――
精霊像の目に当たる部分が赤く光を帯びて、その前には普通の人間と大差ない大きさの、肉眼を凝らせばようやくおぼろげに姿が見える程度に半透明の体を持った、人によく似た姿をしたものが、宙に浮いて、ソフィアを見下ろしていた。
『――我と契約を望む者は、そなたか』
その声はとても静かで小さな声なのに、そこにいるもの全員によく聞こえる――とても人間の声の響きとは思えない、背筋に寒気さえ覚えるものだった。
「――はい」
神妙な面持ちで、ソフィアが頷いた。
『我と契約するためには、そなたが精霊の力を正しく使える者であるかどうか、確かめなくてはならん。そなたの心に邪な心があれば、最悪そなたの自我は崩壊し、肉体は消滅する――その覚悟あってのものか』
「――はい」
ソフィアは頷いた。
「来るぞ、ソフィ! 心の準備をしろ!」
僕はソフィアが頷いたと同時に、そう叫んだ。
『よろしい、では!』
そう、精霊の声が響いた瞬間。
ソフィアの立っている召霊陣から、白い炎のようなものが立ち上り、それは火柱のように勢いよく立ち上り、ソフィの体を飲み込んだ。
「きゃあああああああああっ!」
あまりの勢いに、体が宙に少し浮くほどのその炎のような噴出物に、ソフィアは声を上げて絶叫した。
「く……苦……」
苦悶の表情で声を上げるソフィアの前に、僕は駆け寄る。
「ソフィ、頑張れ! これは幻だ! お前が今感じている痛みも偽痛だから! 心を強く持って、こらえるんだ!」
「ソフィ、頑張れ!」
「頑張れ!」
僕の声に続いて、村人達も声援を送る。
『我との契約を望む者よ。その炎の中で、苦しいか? 辛いか?』
「う――うああああああああっ!」
ソフィアの絶叫が、静かな声を掻き消すように上がる。
『汝はなぜ、我の力を望む?』
精霊は、強く問いかける。
「くっ……ぐうううううう……」
「ソフィ! 頑張れ! 答えるんだ!」
僕はソフィアに答えを促す。
「――だ、だから……」
ソフィは炎の中、声を絞り出す。
「――もう、誰にも傷付いてほしくない……大切な人が傷付いているのを、ただ見ているだけなのは、嫌だから……」
炎の中で、その小さな声は、近くにいる僕にもやっと聞こえるくらいの声だったけれど、ソフィアは激痛の中で、確かに声を絞り出していた。
「誰かの力になりたい――大切な人のことを守れるだけの力が欲しいから……私は!」
最後は毅然と声に出した。
その瞬間。
ソフィアの周りを渦巻いていた白い炎は、閃光となって激しい白色の光を溢れさせる。
「うわっ!」
その場に集まっていた村人達も、その閃光のあまりの眩しさに目を塞ぐ。僕も自分の腕で、目がおかしくなりそうなほどの光から目を守った。
『そなたの想い、聞き届けたり――』
閃光の中で、確かにそんな声が聞こえ。
その光が次第に、ソフィアを中心に収まっていくと……
しゅうしゅうと、白い煙を放ちながら、ソフィアが召霊陣の上で崩れ落ちていた。精霊像の目は光を失い、半透明の人型の精霊の姿も消えていた。
「ソフィ!」
僕はその場に膝を突いて、ソフィアの細身の体を抱き起こす。神官様も駆け寄ってくる。ソフィアの体は、火傷をしそうなくらいに熱かった。苦しそうに息を漏らして、相当体が弱っているようだ。
「カイト、印は?」
神官様が息を切らせながら訊く。
僕はソフィアの右手を取って、手の甲を見ると。
そこには真っ白な五芒星の跡がくっきりと出ていた。
「おぉ! これは間違いなく祝福の印だ!」
神官様が声を上げる。
その瞬間、集まっていた村人達がわっと声を上げる。
「やったぁ! カイトに続いて、この村二人目の精霊術士の誕生だ!」
「ソフィがやったぁ!」
「ソフィ! ソフィ! 聞こえるか?」
僕は村人達の狂喜乱舞の中、抱きかかえるソフィアの体を小さく揺する。
ソフィアはぐったりと目を閉じていたが、その僕の呼びかけに、うっすらと目を開ける。
「やったんだよソフィ――ソフィの希望通りの、祝福だ。儀式は成功したんだよ」
僕は、涙に声を詰まらせながら、ソフィアにそれを伝える。
それを訊いて、ソフィアは虚ろに開いた目を細めて、にっこりと微笑んだ。
「カイト……私、頑張ったよ。私、出来た……カイトより、2年も遅れちゃったけど……精霊術士に、なれた……」
それだけ言うと、ソフィアはがっくりと体の力を消失させ、気を失った。
――こうして、ソフィアが精霊との契約の試練を達成したのは、アルニ村が盗賊に襲われた日から、丸7年が経った、僕達が17歳になった年――バロン王国暦990年の年の瀬のことだった。