僕は弱い
火事で村中が大きなダメージを受け、それから二日間かけて、アルニ村は子供も老人も総出での、瓦礫の片付けに追われた。騎士団もそれにかなり協力してくれたおかげで、この日数で済んだのだった。
そして、それが終わってようやく、アルニ村の礼拝堂で、死んだ村人の一斉葬儀が行われた。
騎士団の集計によると、200人弱のアルニ村で、死者は13人、重軽傷者は僕を含めて42人だった。これは相当な被害と言っていい。騎士団が来なかったら、この村は恐らく盗賊団に何度も襲われ、これ以上の被害が出ていただろう。
騎士団がこの村に来たのは、偶然が重なった結果――サマルカンドとの国境付近に設けられた関所を監視する騎士団が、四半期の交代時期を迎えたため、関所にいたレックス達が帝都に帰る途中に、アルニ村の火の手を見つけて急行したのだそうだ。
――獣油を撒かれて、頭陀袋に包まれたまま、母さんは他の死んだ村人と共に火にかけられ――その煙が天に昇っていく様を、僕は呆然と見送っていた。
僕の横には、レックスとソフィア、ポーラがずっとついていてくれた。ソフィアは僕の横で、ずっと泣いていた。
ソフィアは、パン屋のおじさんに共に逃げる間に、母さんと会い、そこを馬に乗った盗賊に見つかった。ソフィアは走って逃げたが、体の弱いソフィアはいつもの発作を起こして、転んでしまった。盗賊はそんなソフィアを性欲処理の対象にしようとしたのか、さらおうとしたのを、母さんが決死の体当たりでそれを阻止。だがそれに怒った盗賊に槍で一突きにされてしまった。その直後に、レックス達とは別の騎士団が到着して、ソフィア達は助かった。だが、母さんはその時点でまだ虫の息が残っていたが、今の騎士団で、母さんの重症を回復させるだけの精霊術の使い手はおらず、痛みを和らげる程度の精霊術を受けたまま、事切れてしまったらしい。
ソフィアが自分のせいで母さんが死んだと、自分を責めていることはわかっていた。だが、僕もまだ、気持ちの整理がついておらず、ソフィアになんて声をかけていいのか――いや、声をかけたら、その時点でソフィアに自分の怒りをぶつけてしまいそうで、何も言葉が出てこなかった。
――それから3日間、死者の出た家は家に閉じこもって、喪に服した。
父親のいない僕にとって、唯一の家族である母さんを失って、僕の家には静寂だけが残っていた。
僕は家具もろくになくなった家で、3日間、ほとんど動くことも出来なかった。今までの僕は、『ゼロの日』に一日中外に出られないことにも不満を漏らして、母さんを困らせていたのに。
ポーラがあれから念入りに僕に治癒術をかけてくれたから、体はほぼ完治していたけれど、それでも僕の中には、激しい痛みが離れようとはしなかった。
「……」
無垢なる創生――そして、精霊術。
僕はずっとその間に、精霊のことを考えていた。それによって伴う感情は、怒りや憤り、悲しみ、理不尽さ、色々含まれていたけれど……
――僕もレックス達が来てくれなかったら、盗賊に殺されていた。母さんのことは、僕にはどうしようもできなかった。
そして――今の僕は母さんを守ってくれなかった精霊に対して、文句を言える力もない。
僕は弱い……
――そして、喪に服す3日間が明けて、僕はようやく外に出た。
村は既に、喪に服した村人以外の人間達が、この3日間、汗を流したのだろう。荒れ果てた感じはなくなり、家が無事なせいか、一件あの盗賊の襲撃が嘘のように、普段の平穏を取り戻していた。
この3日間、家の中にいても、僕の耳には、外から聞こえる村人達の働く声が聞こえていた。
「カイト」
そして、家の前には目の周りを赤くしたソフィアが、満面の笑顔で立っていた。
「ソフィ……」
「カイト、おはよう。今日からまた、礼拝堂に一緒に通えるね」
「あぁ」
ソフィアは何だか、今まで僕が見たことがないくらい、テンションが高かった。
街を歩いても、もう盗賊の傷跡はどこにもない。もうあれから1週間が経とうとしているのだ。
「カイト、全然食事、摂ってなかったでしょ。こんなに頬がこけて……」
「あぁ」
「……」
ソフィアは押し黙る。
「そ、そうだ! 礼拝堂に行く前に、私のうちに来ない? まだ食べ物もあるし、少しは何か食べないと」
「……」
「大丈夫だよ、お母さんがいなくても、私、料理とか得意……」
そう言いかけて、ソフィアは言葉を止めた。
「……」
沈黙。
「――ソフィ。もういいよ。僕に遠慮とかしないでさ」
最初から分かっていた。ソフィアが僕の前で、母さんのことを思い出させないように、無理をしていたこと。
その言葉を僕が言った瞬間、ソフィアは今まで明るく振舞っていた顔が崩れて、瞳に涙を一杯に貯め始める。
ソフィアもこの1週間、一生分の涙を使うくらい泣いたのだろう。自分をかばって、僕の母さんが死んだのだと思っているのだから。そんな僕に勇気を出して会いにきたのだ。
「別にソフィのせいじゃない。母さんは最後まで、自分が正しいと思うことをしたんだ。立派じゃないか」
僕はソフィアの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「むしろ、ソフィだけでも無事で、よかったよ」
「カイト……」
ソフィアは涙声を漏らした。
だけどその時、僕の腹の虫が、グーッ、と、かなり大きな音で鳴ってしまった。
「……」「……」
その音に、僕とソフィアは顔を見合わせる。
「あー……その、腹、減ってきたな」
僕は自分の腹をさする。まったく、それなりにいいシーンだったのに、空気が台無しだ。
「ふふふ……」
だけど、それが幸か不幸か、ソフィアを笑顔にする効果があったことは確かのようで……
「悪い、ソフィの家で、何か食わせてくれないか?」
ソフィの家で僕は、餅とビスケットをひたすらにお腹に詰めた。腹が急に減りだしたので、とにかく一心不乱に。
「ごめんね。今は村も物資不足で、貯めてあった保存の効く食料ばかりで、そんなものしかなくて」
「いや、十分だよ。むしろ食わせてもらっているって言うのに……」
がつがつと餅を頬張る僕を、ソフィアは微笑んで見つめていた。
「何だよ」
「ふふ、もしカイトが食べてくれなかったら『今は食べることだけは頑張れ。ゆっくりでもいいから食べろ』って言おうと思ってたのに――少し元気が出たみたいでよかった」
「――それ、いつも僕がソフィに言ってるセリフじゃないか」
それを聞いて、二人とも笑ってしまう。
「あ、そうだ。レックスさんから私、カイト宛の手紙を預かってるの」
そう言ってソフィアは、自分の鞄から、蝋で糊付けされた封筒を取り出した。
「レックス――そうだ、騎士団は、今は?」
「昨日の朝、この村を発ったわ。レックスさんもポーラさんも、村のために働いてくれて――レックスさんは、ずっとカイトのこと、気にしてて、最後までカイトにサヨナラを言えなかったこと、気にしてたわ」
「……」
それを聞いて、僕は封筒を開ける。
『カイト=エルグリット様
君の力になってやれず、本当にすまなかった。
君の目には、私はものすごい力を持っているように見えたかもしれないが、私はまだ騎士団の中では一番下――去年、17の時に精霊術の契約を勝ち取り、ようやく大気の制御を、自分の得意な風の呪文でだけ可能になった程度の腕しかなかった。騎士団という中では、私も君とあまり変わらない。
今回の件でも、私は自分の未熟さを改めて思い知った。その反面、今回の件で私は3名の盗賊団、うち一人は頭目を捕らえることに成功した。私は帝都に戻れば、多少の昇格を期せずして勝ち取ることになると思う。
だが、私はそれを謹んで辞退するつもりだ。
まだ私に昇格に見合うだけの力はない――そのことを、今回の件で強く思い知らされたからだ。
これから私は、帝都に戻ってより一層の修行に励もうと思う。そしてこれからは、自分の力で満足する戦果を挙げて、騎士としての自分の居場所を作っていこうと思う。
だから偉そうな事を言う権利があるとは思ってはいないが、カイト、君にもこれから、強く生きてほしい。
どんな形でもいい。君も今回の件で思うことがあるはず。あの精霊像の下で流した涙は、自分の弱さに対してのものではなかっただろうか。
あの涙を流せる君は、強い人間になれることを、私は信じている。
君に挨拶もないまま、私はこの村を去るが、君とはもっと強くなった上で、また会いたい。
君がもし帝都に来ることがあれば、いつでも私を訪ねてくれ。歓迎する。
では、お互いの未来に幸あらんことを願って――
バロン帝国騎士団軍曹 レックス=レプトール』
「……」
レックス――ありがとう。僕の母さんのことで、そんなに心を痛めてくれたなんて。
その気持ちだけで、十分だ。
「私も、ポーラさんに随分よくしてもらったの」
そう言って、ソフィアは僕の前に、綺麗な青色に発光する液体の入った瓶を取り出す。
「ん? 何だこれ?」
「これは、霊薬っていうんだって」
「霊薬?」
「うん、これには精霊術が込められていて、普通の薬よりも、ずっと強い治癒力があるって。本当はすごく高価な薬らしいんだけど、ポーラさんが『未熟な私の込めた魔力だから、効果があるかも自信がない。それでもよかったら、使って』って、置いていってくれたの」
「――それ、使って大丈夫なのか?」
「……」
僕の質問に、ソフィアは少し押し黙る。
「――私、思ったの。ミラおばさんが私を助けてくれなかったら、私は今、どうなってたかわからない。だから、私、これからは強く生きていきたいって。ミラおばさんの分も生きなきゃいけないんだ、って。ポーラさんも、私のそういう気持ちを応援して、精一杯の思いでこれをくれたんだと思うから。だから私、ポーラさんを信じてみたいんだ」
「――そうか」
レックスも、ポーラも、そして、ソフィアも――あの事件でもう前に進んでいるんだ。
僕も――前に進まなきゃな。
礼拝堂に着くと、神官様が僕の姿を見て、安心したように微笑んだ。
「おぉ、カイト。今日からカイトが復帰だったね。今日からまた……」
「神官様」
そんな神官様の柔和な出迎えを、僕は遮った。
「神官様、お願いです。僕に精霊術の契約の儀式をさせてください」
「え?」
横にいたソフィアが、声を上げる。
「カイト――本気かい?」
「本気です」
「精霊術を覚えることは、一生の平穏を捨てると言うことだよ。君の人生が大きく変わる――それでもいいのかい?」
「はい、この3日間、家に篭ってずっと考えていました。精霊の事とか、自分の事とか……考えたって分からないことばかりだったけれど、ただ、はっきりしていたのは、自分がまだ、とてつもなく弱いって事と、そんな自分のままでいることが嫌だって事……」
「……」
「それに僕――精霊のことを、もっと知りたいんです。精霊のことを心から信じたわけじゃないけれど――何も知らずに精霊にびくびくして暮らしたり、母さんの時みたいに、自分に出来ないことを精霊に文句言ったりするだけの自分でいたくないから」
「……」
神官様は、ふっと息をつく。
「――いいでしょう。カイト。でもすぐには無理ですよ。あなたにはこれから数年の間、厳しい修行をしてもらいます。心身を鍛えて、精霊様をその心に取り込めるだけの器を作らなくてはならない――苦手な勉強もやってもらいますよ」
「望むところです。どんな厳しい鍛錬にも、耐えてみせます!」