お前、何なんだよ!
「母さん?」
杖を持つ女性は首を傾げる。
「僕は母さんを探しに来たんです。昨日から働き詰めで、逃げ遅れたかもしれないと思って……」
「……」
「あ、あのすぐそこの家が、僕の家なんです」
そう言って、僕は自分の家を指差す。石造りの僕の家は、外観は無事だけど、入り口の木製ドアは完全に焼け落ちて、開け放しになった入り口からは、炎が溢れていた。
「そう……だからあんな無茶を」
そう女性が言いかけた時。
『レックス! ポーラ! 聞こえるか?』
ふと、何もないところから声がした。僕は辺りを見回すが、周りには女性以外、誰もいない。レックスという騎士は吹き飛んだ二人と、腕を失った盗賊を、縄で拘束しているところだった。
「ちょっと待ってね」
女性は僕にそう断ると、杖を前に掲げた。すると宝玉が、今度は青く光りはじめる。
「はい、こちらポーラ曹長」
『おお、無事か。現状況を簡潔に報告』
間違いなく、光を放つ宝玉から声が聞こえる。
「はい、ポーラ曹長、レックス軍曹、共に無傷です。盗賊団の頭領と思われる男と、その団員二名を拘束。その際に村の少年一名を保護、少年は怪我をしており、治癒術で処置を施していたところです」
ポーラ――それがこの女性の名のようだ.そして、階級を聞く限り、この女性の方がレックスよりも上官のようだ。
『そうか! よし。こちらもいくつかの隊が、村を襲う盗賊団の拘束し、恐らく村で暴れていた団員は全員拘束が完了したと思われる。本作戦のファーストフェイズは終了し、セカンドフェイズ、精霊術による火災の消火作業と、村人の安全確認、捕らえた盗賊団の移送に移行する。村中央の広場には、火災が広がっていない。ポーラ曹長は、レックス軍曹と共に、そこに拘束した盗賊達を連行してくれ。村人達もこの中央広場に避難してきている。治癒術士はそこで怪我をした村人達の治療を命じる』
「了解しました」
彼女の声と共に、宝玉は光を次第に失っていく……
「――今のは?」
僕は女性に訊く。
「あれは『交信』。騎士団同士で連絡を取り合う術なの。と言っても、私達はまだ受信しかできないんだけどね」
「曹長、さっきの『交信』でしたよね」
僕の背後から声がする。振り向くとレックスが3人の拘束を終えて、こちらに戻ってきていた。
「ええ、私達は村の中央広場に、盗賊達を護送。私はそこで、村人の治療を命じられたわ。あなたは護送が終わったら、消火作業か村人の救助のどちらかに回されるでしょうね」
「そうですか。了解」
レックスはそう言ってから、僕の方を見て、安心させるように微笑んだ。
「怖い思いをさせたな」
「い、いえ」
「私はレックス。レックス=レプトールだ。坊やの名前は?」
「――カイト。カイト=エルグリット」
「カイトか……うん、いい目をしているな」
「……」
にこやかに話すレックスの顔は、兜をかぶっていて、顔の全容はよく見えないけれど、その表情は、さっき圧倒的な力で盗賊3人を倒した人間とは思えなかった。
「レックス。その子、お母さんとはぐれてしまったようよ」
ポーラがそう言いながら、僕の家を指差した。
「そこがあの子の家みたい。それでここに来ちゃったらしいけれど……」
「そうですか」
それを訊くと、レックスは立ち上がって、僕の家の前へと歩を進める。
「レックス?」
「念のためです。私の風の術は、水や大地の術と比べて、効率的な消火活動は出来ないけれど、家ひとつくらいなら、何とか……」
「命令を聞いてなかったの? 私達はまだ勝手な行動が出来る身分じゃない。早く広場へ行かないと……」
「カイトは、盗賊がチャクラムを隠し持っていたのを、見ず知らずの私達に教えてくれた。だったら、その情報のお礼くらいはしないとね!」
そう言って、レックスは僕の家の入り口の前――ドアが外れて、そこから家の仲の炎が渦を巻いて飛び出しかけている前に、篭手をつけた両手を出して、ふっと目を閉じて、深く息を吸って。
「不燃風!」
レックスがそう叫ぶと、微風で煽られている炎が家の中へと押し戻され、次第にその勢いを失っていく……
「ぐ、ぐぐぐ……」
レックスは両手を前に出した状態のまま、一歩、二歩と家の中に歩を進めるが、その表情は、さっき『空弾』を放った時には見えなかった、苦しそうな表情をしていた。
「まったく、不燃風はただ風を起こすだけじゃなくて、空気の性質も変える技だから、今のレックスじゃ相当きついでしょうに……」
ポーラは呆れたような顔をする。
「……」
「ぜはあっ!」
ポーラの言葉通り、レックスの『不燃風』は、1分持たずに解除されてしまう。完全に消耗したレックスは息を切らせて膝を突く。
だけどその頃には、僕の家の中を回っていた炎は、その3分の1ほどの規模にまで減り、1階建ての家は、炎がある中でも、何とか中の様子をうかがい知ることが出来た。
「……」
この村の大体の家には、夜、燭代など、明かりを得るために、獣油を甕に貯蔵している。家の中が勢いよく燃え広がったのは、その獣油に引火したせいだろう。家の中にあった木製の家具や、タンスの中の衣類などはほぼ焼け落ちて入るが、家自体はほとんど被害はない。どうやら中の片付けさえすれば、またこの家に住むことは可能だろう。火は家の奥に少し残っているが、既に延焼できるものはほとんど焼け落ちているから、火はこれ以上燃え広がりようがない。放っておいても炎はじきに消えるだろう。
「――どうやら、逃げ遅れて焼死している死体もない。カイトのお母さんは、少なくとも家から逃げたことは間違いないようね」
入り口付近で体力を消耗したレックスに『太陽の加護』をかけながら、ポーラは家の中を見渡し、言った。
「――よかった」
僕は呟いた。とりあえず母さんが逃げたことを確認し、一息つく。
「カイト君、とりあえず、私達と一緒に広場へ行きましょう。あそこで騎士団の治癒術士が、怪我をした村人の治療をしているって言っていたし、もしかしたらあなたのお母さんもいるかもしれない」
「あ、はい」
僕はポーラのその提案を承諾した。
「よろしくお願いします」
そう言って、僕が家の外へ出た瞬間、外からまるでバケツをひっくり返したような大雨が、何の前触れもなく突然降ってきた。その雨は、じゅっと音を立てて、家屋の石壁に当たっては蒸発していったが、やがて村に回っている火は、徐々に沈下されていく……
だが、空にはこんな大雨を降らす雨雲のようなものは一切ない――というか、巨大な水の塊が空に浮いていて、そこから放射状に水が落ちてきているのだ。
僕達は思わず僕の家の中(まだ炎は若干残っているけれど)に入って、雨宿りした。
「げ……消火って、『水戯』かよ……」
レックスが空に浮かぶ水の塊を見上げ、しかめ面をした。
「でも、いくら練習用の術でも、あんな巨大な水を生み出すなんて……広範囲にこんな雨みたいなのを生み出すのも、大気をよっぽど上手く扱わなくちゃ出来ないわ」
「本当だな。上官の精霊術は、ホントとんでもないよな」
「あ、あの」
軒下から空を見上げる二人に、僕はおずおずと声をかけた。二人は僕を見る。
「命を助けてもらって――レックスさんは家の火も消してくれて――ありがとうございました」
僕は二人に頭を下げた。
「はは、いいって、カイト。カイトは私達を援護しようとしてくれた。だったらもう、私達の友達じゃないか」
レックスは、僕の下げた頭をぽんぽんと撫でた。
「私のことも、レックスって呼んでいいんだぞ」
頭を上げると、そこにはにっこりとした笑顔を称えたレックスがいた。
街の広場へと向かっている間に、精霊術で生み出されたらしい雨は止んで、村の火災はかなり落ち着いていた。
レックス、ポーラと歩いていると、反対の道からレックス達と同じような騎士と数人すれ違った。どうやらさっきの雨で、村全体の火を大雑把に消した後、精霊術者が村を回って、家の中に残る火を消火する様だ。
レックスは縄で縛った盗賊3人を連行する。精霊術者の恐ろしさを身をもって体感した盗賊達は、自分達の足できりきり歩いた。
――村の広場は、ほとんど野戦病院状態だった。
盗賊段が全員拘束されたのを知って、村人達が状況の把握のために、続々とここに戻ってきていたのだけれど、そこでは既に、怪我をした村人が沢山いて、無傷の大人達が、治療に使う水を汲んだ桶を運んだり、忙しく動いている。怪我人が礼拝堂の中に運ばれていくのも見えるが、足をくじいたり、軽傷の人間は外で地べたに腰を下ろしての治療が始まっていた。
「随分ひどくやられてしまったわね……」
ポーラはあまりの怪我人の多さに嘆息する。
「カイト!」
聞き覚えのある女の子の声に、僕は振り向く。
「ソフィ!」
そこには服を泥だらけにしたソフィアが立っていた。
「無事だったんだな、ソフィ!」
僕はソフィアの許へ近付くと、レックス達もそちらへ付いてくる。
「う……うわああああああああん……」
だけどソフィアは、僕が駆け寄った途端に、自分の両手で自分の顔を覆って、そのまま膝から崩れ落ちて慟哭した。
「ソ、ソフィ――どうしたんだよ」
「ミラさんが――ミラおばさんが!」
「!」
その名前に、僕はびくりと反応し、脂汗を掻く。
「母さんが? 母さんがどうした? ソフィ!」
僕は膝を突いて、泣き崩れるソフィアの肩を支えた。
「お、おばさんが――私をかばって盗賊の剣に……」
「何だって!」
そのソフィアの言葉に、僕の目の前はぐるりと歪むような感覚を覚えた。
その言葉を言って、ソフィアはもう一度泣き崩れてしまう。
「カイトの、母さんが……」
後ろで話を聞いていたレックスも、顔を蒼白させる。
「……」
さっき、かなり重症の人間が、礼拝堂に運ばれるのが見えた。
きっと母さんも、そこに……
そう思うと、僕は脱兎の如く、礼拝堂へと駆けていた。
「カイト君! あなたもまだ治療が必要なのよ! そんなに慌てないで!」
ポーラの制止の声が聞こえた。確かに走り出すと、盗賊に殴られた体が多少痛み出してきたが、僕は慌てずにはいられなかった。
礼拝堂の中には、テーブルに体を横たえた、血を流す村人達が続々運ばれてきていた。僕は辺りを見回す。
「カイト……」
ふと、僕を呼ぶ声。神官様だった。
「神官様。母さんは? 母さん、ここに来ているんでしょ?」
「……」
「母さんはどこ?」
「――ついてきなさい」
神官様はいつもの柔和な顔を険しくして、ポツリとそう漏らし、僕を治療室ではない、別の部屋の前へ連れて来た。
その扉を開けると、まずは吐き気をもよおすほどの血の臭いが充満していて、そこには何かに満たされた頭陀袋が沢山置かれていた。
神官様は、その整然と並べられた頭陀袋のひとつの前に、僕を連れて行き、そしてその袋の口を開けた。
「……」
そこには、顔を青白くさせ、穏やかな表情で眠っている、僕の母――ミラの姿があった。
「――母さん?」
僕は母さんの顔に手を伸ばす。
だが――その感触は、もう母さんのそれではない。まるで氷のように冷たくなっていて――
「……」
僕は体を震わせて、そこでようやく涙が溢れた。
「カイト……」
声が聞こえて、僕は振り返ると、僕を追ってきたソフィアとレックスが、入り口の前で立っていた。
「レックス……」
僕はレックスの姿を見て、思わず立ち上がった。
「なあ、レックス。頼むよ、レックスの精霊術で、母さんを助けることは出来ないのか?」
「え……」
「レックスなら出来るだろ? あんなすごい精霊術が使えるんだ。だったら、精霊の力を使えば、母さんも……」
「……」
だけどレックスはそのまま歯を食いしばって拳を握り、ただただ辛そうな表情をするだけだった。
「レックス!」
僕はもう一度、レックスを呼ぶ。
「カイト……」
涙を溢れさせるソフィア。
「――無理なんだ、カイト」
やがて大きく息を吐きながら、レックスは答えた。
「精霊術は、生き物の生命力を基本として働く術――死んでしまった人間には、もう……」
「カイト――認めたくはないだろうが、これは現実なんだ」
背中越しに、神官様もそう言った。
「そんな残酷なことを言って、騎士様を困らせては……」
「くっ!」
だけど、神官様の言葉を待たずに、僕はまた、部屋を飛び出していた。
「カイト!」
誰かが僕を引き止める声。
礼拝堂を出た僕は、そのまま礼拝堂の裏庭に回る。
そこには、あの天を突くような大きさの、精霊を模った石像がある。
僕はその聖像の前に行き、その足元に拳を何度も打ちつけた。
「ちくしょう! ちくしょう! 精霊――お前、冷たいじゃないかよ!」
僕の言葉は、虚しく虚空に響く。
「『無垢なる創生』を起こして、人を沢山殺したのに、人を生き返すことは出来ないなんて――お前、何なんだよ!」
こんなことを言っても、母さんが帰ってこないことも分かっているけれど。
何でこんなことで、母さんが死ななければならないのか――僕を育てるために、昼も夜も母さんは働いて、精霊のことを信じていた母さんを、どうして精霊は守ってくれなかったのか。
僕は悔しくてたまらなかった。
「う――うああああああああああああああっ!」
こんな話を読んでくれて、まさかこんなに評価してもらえるとは…感謝感謝です。
ファンタジー初心者なので、この話は読者様の感想を色々聞かせてもらえると嬉しい作品です。未熟な作者に力を貸していただけると幸いです。