帝都の騎士
黒煙を振り切り、逃げ惑う村の人々と何度となくすれ違いながら、家の前に到着した時、僕は呆然とした。
「あ……」
僕の生家も、概観は石造りなので燃えてはいなかったが、家の中には既に火が放たれていた。入り口から見える僕の家の中は、既に焦熱地獄の只中だった。
「母さん――母さん!」
時間的には、もう家には野良仕事を終えた母さんがいたはずだ。僕は、その炎の中にいたのでは、間違いなく助からないだろうけれど、母さんのことを何度も何度も呼んだ。
母さん――昨日は夜遅くまで働いて、畑仕事にも出て、疲れているはず。もし家に帰って、うとうとと眠ってしまっていたら……
「ヒャッハー!」
その時、大きな地鳴りとともに、嬌声が聞こえた。
黒い馬に乗った大男が3人、こっちにやってくる。手には槍や薙刀のような大きな青銅製の武器を持っていて、それを振り回している。
「奪え奪え! 食料と水をありったけだ!」
一番前で、グレートソードを片手で振り回す大男が、声を上げた。
「……」
あいつら――あいつらがこの街を……
僕は右手に持つ木剣の柄を、ぎゅっと握り締める。
「あ、あぁぁ……」
武者震いをする僕の耳に、うめき声にも似た声が届く。
声の方を振り向くと、僕の家の斜め向かいの家から、中年の女性が飛び出してきたのだ。家から出ると、煙を吸った女性は、その場で四つんばいに崩れ落ちて、大きく咳き込んだ。
「おばさん! 後ろ!」
僕は目の前の女性に叫んで、危険を警告した。
だが。
まだ立ち上がれない女性は、盗賊の一人が馬で駆けると共に、持っていた薙刀のような刀を、女性に向けて突き立てた。
青銅製の武器は、刃がついていても大した切れ味はない。切るというよりは叩き潰す武器だ。だが、突きとなれば話は別――
うずくまった女性はそのまま背中から一突きにされ、ああっという声が僅かに聞こえた。盗賊がぶんと薙刀を振ると、その反動でもう事切れた体は、貫通した武器を一気に引き抜かれたことで、血しぶきを飛ばして吹き飛び、石造りの家の壁に叩きつけられた。
「う……」
さっきまで生きていた人間が、一瞬で死体になって、ぴくりとも動かなくなった。近所に住んでいたおばさんが……
人が目の前で殺されるところなんて初めて見た……
体が震えてくる。
「ヒャハハハハ!」
目の前を走ってくる盗賊達は、人を殺したことなんかなんとも思っていないかのごとく、狂的に笑っていた。
「……」
あいつら――まさか母さんのことも!
僕は手近に落ちていた石を拾い上げて、そのまま前に向かってそれを投擲する。
僕の投げた石は、先頭の頭目らしき男の馬の顔にヒットする。当たった瞬間に、馬は嘶いて走りを乱し、暴れ出した。
「うおっ! うおっ!」
振り落とされそうになる馬を、グレートソードを持つ手とは反対の手で必死に手綱を取ってしがみつくが、馬は目の見えない状態で、火の放たれた家の壁に頭をぶつけ、前足を上げて高く嘶いた時、その手が離れ、頭目は走行中の馬から振り落とされた。
「お頭!」
取り巻きの二人は手綱を操って馬を止める。
その隙に僕はまた石を拾って、残り二人の馬の顔に目掛けて石を投げた。
連続で投げた石は、ひとつはちゃんと顔に命中したが、もうひとつは狙いが外れて、馬の横腹に命中した。ただ、どちらも結果は変わらず――先程同様に馬は走りを乱して痛みに暴れ出し、二人も馬から振り落とされた。
騎手を失った馬は、そのまま暴れ、メチャクチャな走りでどこかへ行ってしまう……
――よし、馬がなくなれば、相手は重量の武器を持っている分、追撃速度が大幅に落ちるはず……母さんが生きていたとしたら、逃げ切れる可能性が高まる。
これで……
僕はそれを確認して、もと来た道へ踵を返して脱兎の如く走った。
「あのガキィ――テメエら! あのガキを絶対逃がすんじゃねぇ」
背中越しに大きな怒鳴り声。
――でも、あんな大きな武器を持って走って、僕に追いつけるわけがない。10歳とは言え、僕の走りは村の子供では一番なんだ。きっと逃げ切れ……
――ぶしゅっ。
「……」
――あれ? 今何か嫌な音が……
それを耳が認識した直後、僕の右肩に強烈な痛みと熱を感じた。
「うっ!」
思わずその右肩を見ると、僕の右肩から、血がゆっくりと、しかし大量に噴出している。
その痛みに、僕は思わず体をよろけさせ、転んでしまった。
「――はぁ、はぁ……」
息を切らして、痛みで脂汗を掻く僕の視界の先に、それが目に入る。
地面に落ちている青銅の輪――チャクラムだった。
そうか――後ろからこれを投げつけられて……
「へっへっへ」
だが、そんな思考は、耳に届いた嘲笑により、恐怖へと染められた。
「う」
僕の体は、盗賊のその太い腕に、空にかざすように持ち上げられる。
「鬼ごっこの相手にしちゃあ退屈だが――貴重な馬を台無しにされ、俺達に土を舐めさせた悪ガキに、躾をしてやらなきゃなぁ」
そう言った盗賊は、空いているもう一方の腕で、僕の腹に目掛けて拳を叩き込んだ。
「うっ!」
声が上がった瞬間、体の骨がバラバラになったのが分かった。僕はそのまま胃液を吐いた。吐いた胃液は僕を持ち上げた盗賊の顔にかかる。
「うわっ! このガキ!」
胃液をかぶった盗賊は目をつぶって手を振り払う。その表紙に掴んでいた僕の衣服が僅かに破けて、僕はどさりと道に落ちた。
「はぁ……はぁ……」
に、逃げなきゃ……このままじゃ……だが、体の骨がイカれて、体が動かない……
「おい、そのガキを俺の前に連れて来い」
頭目の声がすると、僕の体は再び持ち上げられて、道の真ん中に立つ頭目の前に引きずり出された。
「……」
「お頭、どうするんで?」
「ふん、決まってらぁ」
そう言って頭目は、さっき馬上で持っていたグレートソードを手に取った。
「この剣を思い切り一対一で使える機会はそうねぇからな――大上段で振り下ろせる試し斬りが出来る相手が欲しかったのよ」
「!」
その言葉を聞いて、僕の頭に母さんとソフィアの顔が――今までの人生で経験した二人の思い出のシーンが断片的に、次々と浮かび上がってきた。
し、死ぬ――殺される……
僕は、何も出来ないで殺されるのか? もう僕に、こいつらを倒す力はないのか……
「せ……」
「あ? 何言ってるんだ? このガキ」
僕から声にならない声が漏れる。
精霊――精霊。お前がもし、世の中の悪を倒すために、『無に帰す創生』を起こしたのなら、今だけでいい――その力を、僕に貸してくれ……
「――さて、坊主、神頼みは終わったか?」
しかしそんな僕の祈りも空しく、地面に仰向けにされた僕の頭上――眼前には、村を焼く炎のせいで、オレンジ色に染まって見える空――そしてグレートソードを両手に持った盗賊がいた。
「……」
――クソ……ソフィア……母さん……
僕の視界は涙で滲んだ。
「おいおい、このガキ、泣いてやがるぜ」
脇にいる盗賊の子分が、そんな僕を見て、滑稽そうにへらへら笑っている。
「ふん、今頃反省したか。よかったなぁ、強い者には逆らわないって、冥土の土産によく覚えておけや」
そう言って、眼前の盗賊は僕の前に立って、グレートソードを大上段に構えた。
「やっちゃってください! お頭!」
「……」
ぱちぱち、という、街に放たれた炎がはじける音。
た、助けて……誰か……
「あばよ」
頭目はその言葉を残して、グレートソードを勢いよく僕の首に振り下ろしてきた。
「!」
や、殺られる!
僕は恐怖で目を閉じた。
そして――何も聞こえなくなった。
「……」
僕は――死んだのか?
「ぎゃあああああああああああ!」
しかし、そんな思考が、耳に届く大絶叫と共にかき消され、我に返る。
その後、どさっという音がした。
そこで数秒遅れて僕が目を開けると……
僕を殺そうと、大上段からグレートソードを振り下ろしてきた頭目の両腕が、肘の先からなくなっていて、剣を握ったままの両手が、僕の体のすぐ横に転がっていた。
「な、何だ! 何だこれは!」
頭目は、なくなってしまった両腕と、傷口からほとんど血も出ていないその異様な光景に、我を忘れたように絶叫した。
「お頭!」
取り巻きの二人もそんな頭目に近付いていく。
「大人しく縛に付け!」
そんな盗賊達に、涼やかな声で叫ぶ者がいた。
僕は倒れたまま、首だけを倒して、虚ろな視界で声の方向を見る。
白銀の軽鎧とすね当て、紋章つきのバックラーとクレイモア、羽飾りの付いた、顔の部分の開いた兜を被った若騎士と、宝玉の付いた杖を持った、白のローブの女性が立っていた。
「あ、あの盾に書かれた紋章は!」
盗賊の子分の一人が途端色めき立つ。
「お頭! あいつら、帝都の騎士団だ! 精霊術使いだ!」