セーレージュツって何ですか?
――そう言って神官様は、大きな図面を持ってきて、僕達の前に広げる。
「これが何だか分かるかい? カイト」
神官様はテーブルに広げられた図面を指差す。
「ん? んー……」
「これは、私達が住んでいる。この星の地図だよ、カイト」
悩む僕に、隣のソフィアが説明した。
「そうだね。さすがソフィは勉強熱心だから、よく知っているね」
「ぼ、僕だって、ど忘れしていただけで、知ってたよ!」
「ははは、そうかい、じゃあカイトに次の質問だ」
神官様は僕の方を見る。
「カイト、君は『無垢なる創生』というのを、聞いたことがあるかな?」
「それなら母さんが、いつも僕に寝る前に話すから知ってるよ」
僕は言った。
「200年前に、人間も、家も、何もかもを飲み込んだものなんでしょ?」
「そうだね。その通りだ。それが起きた日は、俗に『ゼロの日』と呼ばれている」
神官様は頷く。
ゼロの日――それは毎年一度、大人も子供も一切の外出を禁じられ、商人は商売を休み、天に祈りを捧げる日だとされている。僕にとっては退屈極まりない日。そしてその日はいつも母さんが『無垢なる創生』についての話をするのだった。
「200年以上前に、我々のご先祖様は、今よりももっとすごい文明を作っていたんだ。鉄の塊を動かしたり、一瞬で火を起こしたり、川に水を汲みに行かなくても、水をその場に呼び出すことも出来たと言われている」
「まさか、神官様、そんなの嘘だって、僕にも分かるよ」
「いや、それは本当なんだよ、カイト」
神官様は少し困った顔をした。
「その力は『カガク』という名のものであったと言われている」
「カガク?」
僕はその言葉を鸚鵡返しした。
「でも――そんな力があったとしたら、何だかちょっと怖いですね」
ソフィアが気弱そうな声で言った。
「そうだね、ソフィ。得体の知れない力というのは、怖いものだ」
神官様がソフィアに優しい笑みを向ける。
「だから当時のご先祖様たちも、お互いの力をつけすぎたために、お互いの事を怖がったり、避けたりするうちに、大きな喧嘩を始めてしまった。当時のご先祖様は、剣も槍も使わずに、そこらの小さな石ころよりもずっと小さな玉で、人を殺すことも出来たらしい。そんな道具を使って、お互いに喧嘩を始めてしまったんだ。だけどそれだけでは喧嘩が終わらなくて、とうとうご先祖様の一人が、この星ごと滅ぼしてしまうような、強力な武器を作ってしまったんだ」
「……」
自分のご先祖様は、何てバカなんだろう、と思う。何でそんなものを作ったのか、そんなものを使ったら、相手も死ぬが自分も死ぬ。子供でも分かる簡単なことが、何故大人には分からないのか。僕には理解できなかった。
「そうしてご先祖様が喧嘩を続けているうちに、ご先祖様の作った武器のすさまじい威力で、この星の自然は壊されて、人が住めない星になる寸前まで行ってしまったんだ」
「……」
「そんなご先祖様達が戦いに明け暮れている時に、空から降り立ったのが、精霊様と言われているんだ」
「あの、この礼拝堂の裏の石像みたいなやつですか?」
ソフィアが訊く。
「そうだね、でも、精霊様はあの裏にある一体だけではない。もっと沢山の精霊様がいたと言われている。精霊様たちは、ご先祖様がいつまでも喧嘩をやめないのに怒って、雷を地上に落とされた。その瞬間に争っていたご先祖様はみんな炎に焼かれ、その後に洪水が荒れた大地を洗い流し、当時の進んだ文明の技術を全て消滅させてしまったと言われている――家も施設も何もかもなくなってしまって、全てがゼロになり、そこから人生の新しい歴史が始まったから『無に帰す創生』と呼ばれているんだ」
「すごいな、精霊様って」
「そうだね。精霊様は、高い技術を持ちすぎた故に、この星を自分達だけのものだと思ってしまった我々人間に、罰を与えたということだね」
神官様は頷いた。
「それからのご先祖様は、自らの罪を受け入れて、この星を滅ぼした罪を深く反省し、この星と共に生きていくことを決めたんだ。『無に帰す創生』の後のこの星は、ほとんどが焼け野原で、花も咲かないような大地になってしまった。そこに種を植えて、星を生き返らせる作業を始めた」
「――それが、私達のお父さん、お母さんがしている畑仕事の元なんですね」
ソフィアが自信なさげに、推論を口にする。
「そのとおりだよソフィ。それは我々のご先祖様から今まで200年、ずっと続いている。アルニ村が花や草木が豊かなのも、ご先祖様のそんな地道な畑仕事のお陰というわけだ」
「……」
ソフィアはこの話にある程度納得したようだったけれど、僕はいまだに釈然としなかった。
「どうしたの? カイト」
ソフィアがそんな憮然とした表情の僕を見た。
「何か納得できないんだよ。『無に帰す創生』ってのがものすごい力で俺達の文明を滅ぼしたのだとしたら、それを起こした精霊っていうのは、一体何が目的でそんなことをしたんだろうって。それに、僕達の母さん達が畑をして、緑を増やしたって、その間に精霊っていうのは何をしているんだ、って。一方的に人間が精霊にいうこと聞かされているような気がするんだ」
「ははは、まあこれまでの話なら、そうだろうね」
神官様は僕の意見を笑った。
「この村にいると『精霊術』なんて見る機会は、そうないからなぁ」
「セーレージュツ?」
僕とソフィアは首を傾げる。
「そうだね、精霊術を説明する前に、精霊様のことを説明した方がいいかな」
神官様はひとつ咳払いをする。
「精霊様というのは、この星そのもの――星の生命力が満ちていれば、それだけ元気になる。逆にこの星が荒れ果てて、水が澱み、草木も枯れるような星になれば、精霊様は死んでしまう――『無に帰す創生』は、ご先祖様の戦争によって星の命が尽きかけ、絶滅の危機に瀕した精霊様が、自身を守るために起こした力だとされているんだ」
「……」
「その『無に帰す創生』の直後に、精霊様は人間にこんな約束をしたんだ。この星を、我々が住める、生命力の満ち溢れる星にしてくれ。それをしてくれれば、今度は我々が人間に力を貸そう、とね。それが精霊術なんだ」
「……」
「精霊術というのは、精霊様と契約した人間は、星の生命力を精霊様の力を借りて、その力を具現化することなんだ。それには色々な効果がある。例えば怪我を治したり、炎や水を呼び出したり――」
「そんな力が本当にあるんですか?」
ソフィアが驚いた顔で、声を上げる。
「あぁ。本当にあるとも。現にこの村も、年に1回か2回、精霊術によって大地に活を入れてもらっている。おかげで毎年土は豊かで、この村は一度も不作になったことがない――カイトやソフィが毎日美味しくご飯を食べられているのも、精霊術のおかげなんだよ」
「……」
僕は今もソフィアの前に並べられている食器――その上にまだ残っているパンとシチューに目をやる。
確かにこの村は、畑と少しの家畜だけで、村人全員を毎日飢えさせないだけの食料が手に入る。いくら大人達が熱心に畑を耕しても、単純に自然に任せるだけでは、凶作の年だってあるだろう。
毎年畑を豊かに実らせる――その秘密が、精霊術。
「すげぇ……」
僕は俄然ワクワクしてきた。
「ねぇねぇ神官様! 精霊術って、どうやったら使えるようになるの? 僕にも使えるのかなぁ?」
僕はそれが訊きたくて、テーブルから体を乗り出し、まくし立てるように神官様に質問した。
「……」
しかし、その質問を訊くと、神官様は急に表情を曇らせた。
「神官様?」
「――精霊術は、このアルニ村にもあるだろう? 大きな精霊様の像が」
神官様は重い口を開いた。
「その精霊様の像と、神官を通じて、契約の儀を交わすんだ。そうすれば、頭の中に、精霊様の声が流れ込んでくるから、契約者は精霊様に、自分の心の強さ、強い意思を伝えるんだ。それを精霊様がお認めになれば、精霊様が契約者の体に印を刻み入れ、精霊様の力を体に宿すことが出来る」
「そうなの?」
僕は目を丸くした。
「すげぇ! あの石像に、そんな力があったなんて!」
「だけど、もしその契約の儀で、精霊様に悪しき思いを見破られた者は、心を壊され、人としての自我を失い――最悪の場合は殺されて体は炎に焼かれ、体は跡形もなく消滅してしまうこともあるんだ」
「え……」
僕もソフィアも、その神官様の言葉に、一瞬息を呑んだ。
神官様は、そんな僕達の表情を見て、ふっと微笑んだ。
「――それにカイト、君がもし、精霊様との契約を乗り越え、精霊術を使えるようになったとしたら、君はこの村にはいられなくなるだろう」
「え?」
ソフィアが声を上げた。
「精霊術を使えるというのは、特別なことだ。それは同時に、平凡な暮らしを捨てることと同じ――精霊術を使える人間は、ほとんどが帝都に行って、国に雇われることになる」
「帝都……」