ふるさとの思い出
200年前に、この星は滅亡した。
無垢なる創生――後に『ゼロ・エターナル』と呼ばれる謎の天変地異。
それがかつてこの星で栄華を誇った文明を、一瞬にして焼き尽くしたとされる。
文明だけでなく、家も、緑も、そして多くの人間が、その地獄の業火、地割れ、竜巻や津波に飲み込まれ。
そして、その文明を作り上げた高度な技術も、未曾有の災厄である『無垢なる創生)の正体も、業火の中に消え去り、その正体を知ることは、永遠に叶わなくなってしまった――
「カイト! もう起きて、神官様のところへ行く準備をしなさい」
下の階から、母さんの声がして、僕は目を覚ます。
「母さん、もう畑に行くからね」
僕がだらだらと支度をしている間に、母さんは畑仕事に出かけてしまった。下の階に、母さんの準備してくれた、まだ湯気の立つ、挽肉と豆と野菜を煮込んだ料理とパンをお腹に入れて、僕は鞄と木剣を持って、家を出る。
外は太陽が眩しく、舗装もされていない道は、どこか埃っぽい。石を削って穴を開けただけのような、似たようなつくりの家が何軒も連なって、村というよりは、長屋のような感じ。きっと初めてこの村に来た人間は、この家のつくりでどうやって村人は自分の家を認識しているのか、理解できないだろう。
「あら、カイト。おはよう」
道行くおばさんが、すれ違い様、僕に声をかけてくれた。
「今日はソフィは一緒じゃないのかい?」
「うん、これからあいつの家に、迎えに行くところ」
「そう――いつも仲がいいわねぇ」
「そ、そんなんじゃないよ。あいつ、体が弱いから、面倒を見てやれって、神官様が言うから……」
「はいはい」
おばさんは可愛いものを見るように、微笑を浮かべていた。
「ところでカイト。ミラさんはもう出たのかい?」
「うん、昨日は依頼されていた織物の納期だったから、夜遅かったみたいだけど」
ミラ――これは僕の母さんの名前だ。
母さんはこのアルニ村で、ほとんどの大人が従事している畑仕事にも従事しているが、村一番の織物の職人でもある。昼は土いじりに励み、夜は村中から依頼のある繕い物をこなしたり、草を結って糸を作ったり、大雑把な僕が同じ仕事をやれと言われたら、10秒で叫びそうな仕事を毎日やっている。
父親は僕が生まれた頃にはもういなかった。死んだのかどうかも訊いたことはない。僕を育てるために、朝から晩まで働いている母さんの姿を見て、何となく訊く気にはなれないでいた。
「あらそう――ミラさん、畑仕事の方はあまり出てこなくていいって言ってるんだけどねぇ」
「畑仕事は人間がセイレイ様に対して行う当然のこと――母さん、いつもそう言ってるよ」
「働き者のミラさんらしいわ。まあ、体には気をつけるよう、ミラさんにはカイトからも言ってあげてね」
「うん、分かった。おばさんもこれから畑でしょ? がんばってね!」
僕は去っていくおばさんに手を振った。
「……」
どうしてこの村の大人は、みんな揃いも揃って、土いじりばかりするんだろう。
村の外れには、畑があって、大人達は、僕が生まれた頃から村の周りを開拓――開墾している。『ふろんてぃあすぴりっつ』とかいうやつとは違う。ただただ、自分でもわけが分からずにそうやって生きている大人もいるんじゃないかと、僕は思っている。
まあ、そんなこと、今に始まったことじゃないか……
――村の一本道を歩いていると、家の前に、小さな鞄を持った、色白の少女が立っている。
「カイト」
僕の姿を確認するなり、少女は背伸びをするように、華奢な体をいっぱいに大きく広げ、手を振った。
「おはよう、ソフィ」
僕は少女に近付く。
彼女の名前は、ソフィア=ハーキュリー。僕の幼馴染。このアルニ村で唯一、僕と同い年の10歳の子供だ。村の住人は、みんなソフィと呼んでいる。
「うっ、ケホッ、ケホッ……」
だけど僕が近付くと、ソフィアは少し力を入れて手を振りすぎたのか、咳き込んでしまう。
「いいよそんな手なんか振らなくて。お前体弱いんだから」
僕はソフィにそんな言葉をかける。
「ご、ごめんなさい……」
ソフィアはそんな一言で、泣きそうな顔になってしまう。
しまった、と僕は思う。さっきおばさんに、僕とソフィアの仲を邪推されたことで、口調が少し怒っているようだったかもしれない。
ソフィアは生まれつき、体が弱い。そのせいで気も弱く、ちょっとのことですぐにおどおどしてしまう癖がある
「悪かったよ。ほら、別に怒ってないから。行こうぜ。礼拝堂に」
僕はソフィアの頭をぽんぽんと撫でた。
まだ僕もソフィアも10歳で、歩幅にほとんど違いはなかったけれど、ソフィアに合わせて僕はいつもゆっくり歩く癖がついた。手を取って、僕がゆっくり歩かないと、ソフィアは僕を追いかけようと、無理にペースを上げて、発作が起こりかねない。
そんな僕の姿を見ると、このアルニ村の子供達は、僕がソフィアのことを好きだとか、いろいろと揶揄する。はじめはそれが少し嫌だったけれど、今ではもう慣れてしまって、からかい甲斐がなくなったからか、最近ではそうして僕達のことをからかう者もいなくなってしまった。
僕の故郷のこのアルニ村は、人口が200人程度の本当に小さな村だ。村人は、ここに住む人間の顔と名前を全員が知っていて、大人達のほとんどがここで野良仕事をして土地を肥やしているような、牧歌的な村。木材と石を切り出して、つなぎ合わせた家が並ぶ小さな集落だ。
小さい頃、僕はこの村が嫌いだった。平凡で、退屈で、毎日が同じことの繰り返しで――自分が大きくなって、この村の野良仕事を一生やるのかと思うと、少しぞっとする。
「あーあ、なんかつまんないよなぁ」
村を歩きながら、僕はつい愚痴をこぼす。
「そう? 私はこの村、好きだけどな。花がいっぱい咲いていて、緑がいっぱいあって、綺麗じゃない。私達のお父さんやお母さん達が、一生懸命土を肥やしたおかげね」
「でもさ、そうしてこの村が緑でいっぱいになっても、その先に何があるんだろう」
「ん……」
ソフィアが空を見上げて考える。
「でも、人間は星をこれからは大切にしないとって、神官様も言ってるし」
「ええ? ソフィはそのおとぎ話、信じてるのかよ。僕なんか昨日も母さんからその話を聞かされて、もううんざりだぜ」
僕はしかめ面をする。
村の中心の広場には、一際目立つ大きな石像がある。高さ10メートルは誇るその巨大な石像は、この平和なアルニ村では、唯一のお国自慢というやつだ。
それはどう見ても人間とも動物ともいえない姿で、なんとも不気味な姿だった。人間の足のようなものはあるのだけれど、そこから上はまるで動物のようにも見える。
しかし、僕が生まれる前からこの石像はここにあり、どんなに雨や風に打たれても、この像だけは決して少しも削り取られることがなく、ただの石像ではないということは、僕も薄々感じていた。この村の唯一の名物で、この像を見るために、こんな田舎の村にわざわざ遠くの街から訪れる人も跡を絶たない。
「何なんだろうなぁ、これ」
僕はソフィアの歩幅に合わせて歩きながら、その像を見上げて呟いた。
「カイト、神官様のお話、聞いてないの? これは、精霊様って言うんだよ」
「セイレイ? これが? 母さんの言ってる、あの?」
「うん、なんか、この世界を作った、偉いもので、私達は精霊様と一緒にこの世界で暮らしているんだって」
「これと? こんなの、俺、実際に見たことないけどなぁ」
「大丈夫。私もないから」
そう言いながら、ソフィアはにこっと笑った。
「――何だよ、それ。結局ソフィも何にも知らないってことじゃないか」
僕は苦笑いを浮かべる。
「本が好きで、僕から見たら何でも知ってるソフィが分からないんじゃ、俺が分からないのも当然だな」
「だったら神官様に訊いてみようよ。私も、この像のこと、もっと知りたいし」
そんな話をしながら、僕達はその石像の足元(?)にある建物に入る。
ここは村の礼拝堂で、村の子供達はここで神官様から、読み書きや数の数え方、畑の耕し方や、農具の使い方、剣術や体術などの簡単な護身術なんかを教わる。年代関係無しの一斉授業だ。
アルニ村はそんなに大きな村ではない。村人が村人全員の名前を知っているくらいの村だ。15歳になれば大体子供は働き始めるし、それ程ここに来る子供も多くはない。年によって違うけれど、今ここに通う子供は、僕を含めて10人程度だ。
僕はその中でも、勉強はからきしだけど、剣術や農耕の授業では、常にトップ。逆にソフィアは体が弱いから、護身術の授業はほとんど見学か自習だけれど、本が好きで、難しい書物でもすぐに理解してしまうくらい、勉強熱心だった。
――礼拝堂の奥には、ステンドガラスがある大部屋がある。石造りの家は、大体燭台に獣油を貯めた皿があり、そこに浸した糸に火を灯して明かりにしている。僕達もその明かりで照らされるその部屋で、朝は読み書きの授業が行われ、昼には外に出て、体を動かす。それが終われば聖餐とかいう儀式の一環らしいけれど、パンとスープ、果物と牛乳という食事が出る。そして子供達はみんな苦くて嫌いだけれど、葡萄酒を一口だけ、毎回飲まされる。それを食べ終えたら、ようやく家に帰れるというわけだ。
「ほら、お前、もっと食えって。そんなんじゃ体もよくならないだろ」
今日のスープはシチューだった。僕は隣の席でちっとも食の進まないソフィアに声をかける。
「うん……でも」
「でもじゃない。食べ過ぎで人間死ぬことはないんだ。他のことで無理することはないけど、食うことだけは頑張れ。ゆっくりでもいいから食え」
僕がこうしてソフィアの世話を焼いているのも、同い年ということもあって、神官様に面倒を見るように言われているからだ。さすがにこの礼拝堂でも、そうしてなくてはいけない。
「ふふ……」
ソフィアはそんな僕のことを見て、スープを掬う匙を手に持ったまま、笑った。
「何だよ」
「カイトって、優しいね」
「は?」
「言い方は乱暴だけど、ちゃんと私のことを考えてくれてる……みんなはカイトのこと、ガキ大将とか、悪ガキとか言うけど、私はカイトが優しいの、よく知ってるよ」
「な……」
僕は急に照れくさくなって、ソフィアから目を背け、背を向ける。
「は、早く食えって……お前が食べないと、僕も帰れないから」
意地を張った声が出る。
その時、ふと僕の後ろで拍手が聞こえる。振り向くと、そこには白のローブを身に纏った、優しそうな目をした、細身の男性が立っていた。
「感心ですね。カイト=エルグリット君。ちゃんとソフィの面倒を見てあげているようで」
「神官様」
僕は何となく会釈をする。神官様はそのまま僕達のいるテーブルの向かいに座った。
「ソフィ、カイトの言う通りですよ。あなたは大地の恵みに感謝し、それでしっかり栄養をつけるのが仕事です。勉強をするのは、その後でもいい」
「は、はい、神官様」
そう言って、ソフィアは目の前のパンを少しちぎって、口に入れた。少し苦しそうだけど、ちゃんと咀嚼して、パンを飲み込む。
「……」
僕と神官様は、そんなソフィの食べっぷりに、お互い顔を見合わせた。
「しかしカイト、君は今日の授業では、ずっと上の空でしたね」
神官様が僕の顔を見据えたまま、言った。
「最近の君は、ここでの授業への集中がまるでない。得意の剣術の授業でも、君は珍しく一本を取られた……何か悩みでもあるのですか?」
「……」
僕はふうと息をつく。
「――神官様、何でこの村の大人達は、みんな畑仕事をあんなに熱心にやっているんですか? こんな村の周りを耕したって、生活が豊かになるわけじゃないし、観光客だって来ないのに」
「ふむ……」
「みんな、セイレイ様、セイレイ様って言って、畑を耕してばかりで――みんなにそこまでさせる、セイレイ様ってのは、一体何なんですか?」
「なるほど……カイト、君も10歳にもなれば、そういうことに強い疑問を感じるようになりますか」
神官様はそれを訊いて、嬉しそうに頷いた。
「よし、それでは二人のために、ちょっとの間、特別授業をしてあげましょう。ソフィは食べながらでいいから、訊いているといい」