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蒼い月夜の邂逅 ~彷徨うレオンの自分探しの旅~

作者: 星乃紅茶

 ぱりん、と足元が鳴った。

 圧倒的かつ凄まじい勢いの炎が、まるで手負いの獣のように荒れ狂い、すべてを焼き尽くし、蹂躙しようとしていた。


 いま、決死の覚悟で炎の壁を突き抜け、破った窓ガラスが少年の足もとに散乱し、その炎の競演を映し出していた。

 自分や、連れ去られてきた同じ境遇の仲間たちを、実験動物同様に扱ってきた科学者たちはもちろん憎かった。だが、それらもすべて炎が呑み込んでしまった。


 研究施設も、逃げ遅れた仲間たちでさえも……。


 地を震わせる振動が大きくなる。轟音を上げているのはエネルギー棟だ。

 もうすぐここは爆発で完全に消し飛ぶ。


 だが、まだ近くに助けを求める声が聞こえている……だが、もう間に合わない。


 鼓膜をつんざく轟音!

 視界が朱に染まる。


 急速に遠のいていく意識……。




「うわあぁぁぁぁぁああッ!」


 自分の声に驚き、目が覚めた。

 レオンは荒く息をつきながら周囲を見回し、昨夜仮眠を取るために座りこんだ木の下であることを認め、やっと体の力を抜いた。


「また、あのときの夢か」


 空を振り仰げば、茂る葉の隙間から、いくぶんか白みはじめた夜明け前の空に、蒼い月が名残惜しげに張りついているのが見えた。


 太陽の下で月は輝けぬ。

 自分はあの月のようだ…。


 寝直す気にもなれず、レオンは立ち上がり、ふたたび歩きはじめた。




 大陸最大規模のアルベルト大森林。これを貫く中央街道の主要な拠点として、商用都市カームは栄えてきた。

 夜でも人のつくりだす灯は消えず、昼間とは違った賑わいを見せる。通りには、人や食物、酒があふれ、喧騒けんそうが絶えない。


 その日の夜遅く街に着いたレオンは、そういう場所が苦手なのか、静かな通りを選んで歩いていた。

 そしていつしか、都市の北地区、高級住宅街に迷い込んでしまった。


「やれやれ、こう一軒一軒が広くては、しるべとなるものもないな。迷子になるのも情けないのだが……おや?」


 レオンは立ち止まり、首をかしげた。四身長はあろうかという高さの外壁に、ほっそりとしたちいさな人影が張りついていたのだ。


 官僚か、もしくは領主の屋敷ではないかと思われるほどの広大な敷地を囲んでいる外壁である。

 その塀に人影とは……。




「何をしているのですか?」


 背後からかけられた、のんびりした声に、両手足を突っ張っていたちいさな人影は、夜目にも分かるほどびくりと反応した。

 そして、筋でも違えたのか姿勢を崩し、ドスンと地面に落ちてきた。


 一瞬、さも痛そうに尻に手をやったが、腰からナイフを引き抜き、レオンに向けて構えてみせたのは、驚いたことに小柄な少女だった。

 おそらく十代前半だろう。


「……あんた、警邏けいらの者か?」


 警戒心そのままのきつい物言いだが、舌足らずな口調を隠しきれていない。

 肩の上で切りそろえられたやわらかそうな淡色の髪が、小刻みに震えている。


「違いますよ。僕はただ、何をしているのかと思っただけですよ」


 拍子抜けするほど朗らかな声に、少女はあっけにとられたように相手を見た。

 さほど背も高くない青年であり、整った顔に澄んだ蒼い瞳が印象に残る、まさに優男という言葉がぴったりの容姿だった。

 旅人のようだが、腰には剣すらびていない。


 だが、次の言葉で度肝を抜かれた。


「その腰の刃物、それに飛び道具。察するにあなた、要人の抹殺が目的ですね」


 ぱくぱくと口を動かしていた少女だが、我に返ると同時に斬りかかってきた。


 鋭い斬撃だった。


 レオンは驚くほどの身のこなしで後方に跳んでかわしたが、常人であったなら間違いなく心臓を抉られていただろう。

 忍びの技術は未熟なようだが、殺しの腕は一流である。


「あんた……いったい何者なんだ」


 避けられるはずがないと自信があった一撃だけに、少女の顔には悔しさと、改めての殺意が現れていた。

 目の前の男は、あなどれない男だ。少女の本能が悟った。


「危ないですね。……ここはおおきな自治都市だけに、上層部では何かと物騒な陰謀や策略が渦巻いているようですよ。どの屋敷も、内部の警戒は厳重なはずです」


 そう語るレオンの口調はあくまでのほほんとして、つかみどころがない。


「分かってるわよッ、そんなこと!」


 毒気を抜かれた少女の仕草に歳相応の幼さがのぞいた。すねたようにくちびるをとがらせる。


 そのとき、外壁が続く先から人の気配が近付いてきた。


「……そこで何をしている!」


 警邏けいらの者だ。


 少女は咄嗟とっさに逃げようと駆け出したが、レオンに衣の背中をつかまれ、転びかけた。

「何するんだ、放せ!」と少女は叫んだが、レオンはとりあえず無視しておいた。


 駆け寄ってきたのは、ふたり組の制服を着た男たちだった。

 レオンたちを逃がさぬよう、ひとりがさりげなく距離をとり、腰に吊るした細身の剣の柄に手をかけた。


「ここは領主の館なるぞ。何故ここをうろついている?」


 高圧的な物言いだった。

 引き渡されるのを覚悟してか、少女が動きを止めた。


「いやぁ、すみませんね。家出した妹を連れ戻しに捜し回っていたのです。でも、おかげさまで見つかりました」


 人好きのする笑顔を浮かべたレオンは、少女の頭をポンポンと叩いてみせた。

 きょとんとした少女と、見るからに優男のレオンを見て、警邏けいらの男たちは互いに目を見合わせた。


「事情は分かった。だが、このあたりを徘徊するものではないぞ。賊に間違えられて斬り捨てられても責任は持てぬ」


「ご忠告かたじけない。さ、帰ろうか」


 レオンは少女の手を引いてその場を離れた。少女はおとなしくレオンに従った。




「どうして助けたんだ」


 開口一番、少女はレオンの手を振り払い、きつい眼差しを向けた。


 都市の中心に位置する広場の片隅である。

 昼間は子どもたちや家族連れで賑わうこの場所も、いまは夜、繁華街も遠く、人通りもまったくない。


「どうしてって……あのままじゃ不審人物ですよ、見るからに」


 少女は言葉に詰まった。


 顔を真っ赤にし、こぶしを握り締めて何か言い返してやろうと口を開きかけたが、一呼吸後、まるで風船がしぼむようにみるみる肩を落とし、うなだれてしまった。


「助けてくれたのは分かるよ。でも、どうせあたし、死ななきゃならないんだ」


「何故ですか? 健康そうに見えますけど」


「そうじゃなくってッ……!」


 少女ががばっと顔をあげた。半分怒ったような、いまにも泣き出してしまいそうな瞳で。


「……あなた、名前は?」


 少女は目を瞬き、ゆるゆると首を振って、ちいさく「エア」と答えた。


「いい名前じゃないですか。それに、死ぬにはまだ早すぎますよ」


「あんたは知らないんだ! あたしはミスを犯した。しくじったんだ」


 エアはやけっぱちに怒鳴った。


「きっと殺される……殺されるんだ」


 そのとき、ざわり、と周囲の木々か不自然に揺れた。

 エアが震えだし、目をいっぱいに見開いた。

 闇に紛れ、周囲を大勢が取り囲む気配がした。


「……役立たずには死あるのみ」


 不気味に声が響き、刹那せつな、闇を一筋の光が切り裂いた。


ヂャリィィン!


 金属音とともに、黒い液体をわずかに散らした矢が、石畳の地面に弾かれ、宙に舞った。

 数瞬前まで矢の軌道にいたエアの痩身は、レオンの腕に倒れかかっていた。レオンがエアを引き寄せ、かばったのだ。


「ずいぶんな礼儀ですね、出てきなさい」


 レオンは冷静に周囲に向かって声を発した。


 闇のなかから、進み出てきた影があった。

 長身の、黒装束だ。容姿といい、自信たっぷりな態度といい、まともな市民でないことは一目瞭然だった。


「あなたたちは、暗殺組織に属する者たちですね」


「面と向かって言われたのは、初めてだな。それより、その娘……われらの仲間だ。お返し願おう」


 両の目に宿る残忍な眼光……。

 レオンは、死の恐怖に震えるエアを抱き寄せた。


「断る、と言えば?」


 その言葉を聞いた男は、パチンと指を鳴らした。

 途端に、十人あまりの闇の刺客がずらりとレオンたちを取り囲んだ。それぞれが、手にナイフやダガーなどの獲物を構えていた。


 そして、風が吹き抜けたのを合図に、一斉に襲いかかってきた。


「……なるほど。これがあなたたちのやり方ですか」


 レオンは乱れもしない静かな口調のまま、驚くべき身のこなしで全ての攻撃をかわしていた。

 エアを腕にかばいながらである。


「すごい……このひと」


 エアは改めて驚いた。

 見かけは優男なのに、複数の攻撃を瞬時に見切り、回避している。……というより、相手の心を見透かしている。


「次に来る攻撃すら予知しているんだ」


 十数人で間髪を容れずに攻撃し続けているにもかかわらず、かすりもしない。

 闇の刺客たちはひどく自尊心を傷つけられたようだ。やっきになって猛攻撃を仕掛けてきた。


 そのとき、予想もしなかった方向から、一振りの剣がうなりをあげて飛来した。


「……なッ?」


 それはレオンの背中を襲った。


 まったくの死角だったため、レオンは完全に避けきることはできなかった。

 ザシュッ、という音とともに、衣服の切れ端が宙に散った。


「だ……大丈夫か?」


 エアは上擦うわずった声をあげた。

 レオンは不自然な体勢を取ったためよろめいたが、すぐに真っ直ぐ立ち直った。


「大丈夫。服を斬られただけです」


「でも、かすっただけでも死に至ってしまう猛毒が塗ってあるんだよ、あの武器には」


 エアはレオンの背中に回り込み、傷を確かめようとした。

 衣服がおおきく一文字に裂かれており、背中が剥き出しになっていた。


 傷はなかった。

 だが、エアは思わず驚きの声をあげた。


 レオンの背には、赤黒いあざがあった。

 自然にできたものではない。それは刻印だった。


「それは、アルヴィースの……なるほど。おい、もういい、止めろ!」


 含み笑いとともに闇の刺客たちを制したのは、目に残忍な光を宿したままの男だった。


 舌打ちしながらも引き下がった刺客たちに代わってずいと進み出た男は、レオンを見つめた。

 何かを探るように視線を彷徨わせたのち、口を開いた。


「いいだろう。その娘のことは見逃してやろう。……話は変わるが、おまえ、俺たちの仲間になる気はないか?」


 男の視線に、レオンは静かな眼差しで応えた。


「……僕はもう人を傷つけません」


「そうかい。そりゃあ残念だ。せっかく幼少の境遇を同じくする者として、優遇してやろうと思っていたんだが……おっと。どうやら時間切れのようだ」


 男とほぼ同時に、レオンも気づいていた。

 騒ぎを聞きつけ、警官隊が駆けつけてきたようだ。


 男が無造作に手を振るうと、刺客たちは現れたときと同様、音もなく闇に消えていった。


 最後に、男は「またな、兄弟」と言い残して、その姿を消した。


「……あんな兄弟は要りませんよ」


 目を細め、レオンは独り言のように呟いた。そして、面倒に巻き込まれないうちにと、何か問いたげなエアの手を引き、その場を後にした。


「ねぇ、その背中の刻印、いったい何なの?」


 駆けながらエアが問い、走る速度を緩めた。


 幸い、警官隊は巻いたようだ。レオンは立ち止まり、答えをはぐらかすように微笑んだ。

 だが、エアは諦めず、言葉を続けた。


「それと同じ刻印が、あの御頭の背中にもあったの、見たことあるんだ。それに、幼少の境遇を同じくするってどういう意味?」


 レオンは後方を確認するように視線をよそに向けたまま、黙っていた。

 ふぅと息をひとつ吐き、腰を屈めてエアと目線を合わせ、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「……エア、あなた、どこか身を寄せる心当たりはあるのですか? もう連中もあなたを追うことはないでしょう。過去に何があったか、僕は詮索しません。これからはひとりの普通の女の子として幸せに暮らしてくださいね」


 そしてレオンは微笑み、エアの頭にそっと手を乗せた。


「じゃあ、元気で」


「ち、ちょっと待ってよ」


 慌てたのはエアだ。


「これで、はい、さようならってワケ?」


「……この刻印は『化け物』のしるし。僕にあまり関わらないほうがいいのですよ」


「それが何だっていうのよ!」


 エアの言葉に、今度はレオンが目を見開いた。


「あのねぇ、あたしだって、あんたの過去に何があったかなんて訊かないわよ。ただ……言いたかったの。助けてくれて、ありがとう」


 レオンは息をつき、にっこり笑った。

 視線を合わせたまま、「頑張ってくださいね」と優しい声で言うと、背筋をのばし、手を振りながら歩きはじめた。


「あ、あの、あたし、『銀杏亭』でおじさんのやっかいになろうと思うんだ。近くに来たら寄ってね、約束だよっ」


「承知しました」


 穏やかな微笑みでレオンは応えた。

 実際、エアの言葉ひとつひとつが、レオンにとってあたたかい、嬉しいものであったのだ。




 翌日の夕刻、レオンは旅に必要な食料などの物資を買いに、表通りを歩いていた。


 エアがやっかいになると言っていた『銀杏亭』の近くを通りがかったので、エアが無事にいるかどうか気になって、ちらっとだけでも様子を見てみることにした。


 店の近くまで歩いたとき、前方に人だかりができているのに気づいた。

 見れば、人々の視線の先に、『銀杏亭』という看板がかかっている。


 レオンの胸が、嫌な予感に高鳴った。


 人だかりは厚く、とても店の様子が見える位置まで容易に近づけない。

 おまけに、周囲を幾人もの警邏隊けいらたいがうろついているではないか。


「……何かあったのですか?」


 レオンは隣にいた老人に声をかけた。事件現場に偶然通りがかって興奮していたのか、老人は饒舌じょうぜつに語ってくれた。


「いやぁ、何でも、つい半刻ほど前じゃが、この食堂に真っ黒い服着た奴らが何人か押し入り、ここの夫婦を滅多切りにして逃げていったらしいんじゃよ。やれやれ、まだ夕刻だというに、こんなひどい事件が起こるなんて、なんとも嫌な世の中になったものじゃのう」


 黒い服、殺人。レオンは硬直した。


「それで……この店に女の子がいませんでしたか?」


「そうそう、その子なら、犯人たちに連れ去られたそうじゃ可哀相じゃが……もう生きてはいまいて」


 レオンは目を見開いた。

 一瞬、すさまじい怒りが鋭い眼光となって眼光となって現れ、老人をぎくりとさせたが、レオンは頓着しなかった。


 血の匂いの残る現場に背を向け、レオンは歩きはじめた。




 いままでに、数えきれぬほどの血を流してきたのだろう。

 血の匂いの染み付いた連中のアジトを探し出すのに苦労はいらなかった。そこは、スラム街の端にある賭博場の地下だった。


 賭博場に入り浸っていた客たちは、自分の賭けに興じているのか、余所者にもまるで注意を払わなかった。

 レオンは五台ほどあるテーブルの間を奥へ向かって真っ直ぐ歩き、しなだれかかってきた商売女たちを視線だけで退けた。


 一番奥のひときわ薄暗い場所に、木の扉があった。

 扉の前には、ふたりの男が陣取っていた。屈強ではないが、不気味な眼光の番人である。

 だが、あらかじめレオンの訪いを予想していたかのように、すんなりと扉を開き、地下へ通じる階段をあごで示してみせた。


 これが罠だということは分かっている。

 だが、エアを人質に取られている以上、レオンに選択の余地はなかった。


 土を掘って刻み付けただけの狭い階段を降りると、そこには驚くべき空間が広がっていた。

 天井こそ低いが、広さはたっぷりとあり、正面奥に豪奢なテーブルと布張りの椅子が複数置かれていた。まるで、金持ちの屋敷の広間である。


 レオンは朱色の絨毯を惜しげもなく踏みしめ、真っ直ぐに奥の椅子に身を沈めている人物の前に立った。


「よぅ、兄弟。予想よりちいっとばかり早かったな」


 そう言って赤い酒の入ったグラスを掲げてみせたのは、長身の男である。口元に笑みを浮かべていてさえ、残忍な眼光は隠しきれていない。


 灯りの下で見るその男の顔に、レオンは確かに見覚えがあった。


「……ギース、やはりあなたなのですね」


 尋ねるというよりはむしろ、確定に近い口調で口調でレオンは目の前の男の名を呼んだ。

 ギースはにやにや笑いながら、レオンに酒と椅子をすすめた。


「どうだ、この俺と手を組まないか? 俺とお前、アルヴィースの最高傑作が組めば、この大陸はもちろん、世界を手に入れることだって夢じゃねえぜ」


 ギースは身を乗り出した。


 だが、レオンは顔色ひとつ変えず、淡々と言った。


「……そうして、また大勢の命を奪うつもりですか?」


 部屋の空気が、突如、ピンと張りつめたものになった。

 一触即発の気配。


 数呼吸ほどの間、ふたりは睨み合った。


 レオンがわずかに目を細め、ギースが歯をギジリと噛みあわせた。


「……なるほど。てめぇは殺すことをやめたわけだ。がっかりだぜ、兄弟」


「あの悪夢に巻き込まれてより六年……あなたは何ひとつつかめなかったようですね」


「つかめなかった……だと?」

 ギースの眉がぴくりと動いた。


「……これを見ろ!」


 ギースは椅子を蹴って立ち上がった。

 それを合図に、広場に数十人もの暗殺者たちがなだれ込んできた。


 自分と同じ人間であろうと、身内であろうと、逡巡する事無く斬り捨てる忠実な修羅たち…この権力と金が力という商業都市カームに流れついたギースがまとめあげた殺人請負組織だ。


「俺の組織は、国家からも暗殺を依頼される。黙認されているんだ。……人間なんて汚ねぇ生き物さ。それは俺たちが一番よく知っているはずじゃねぇのか?」


 レオンは口を引き結んだままだ。


 ギースは苛立ちながら言葉を続けた。


「俺はこの組織を手に入れ、金も手に入れた。政府のお偉方の連中も、俺のやることにはおいそれと口出しできねぇ。どうだ、これでも何もつかめなかったと言うのか」


「……多くの命を奪ってきた……それがあなたの誉れですか?」


 レオンは低く問うた。


 脳裏によみがえるのは、燃え盛る炎、そして掻き消えていく、自分たちと同じ境遇の仲間たちの断末魔だんまつまの叫び声。

 自分たちを『化け物』へと変えた狂科学者たちの巣窟であったアルヴィース研究施設が、原因不明の爆発でこの世から消え去ったのは、六年前……。


「あのとき生き延びたのは、僕たち数人のみだった。それぞれが自分の生き方を見つけよう、幸せに暮らしたいと散々になり……。ですが、どうやら自分の能力に溺れた者がいたようですね」


 蒼い瞳がかすかに揺れた。レオンの握り締めたこぶしは震えていた。


「おまえと俺は、相容れぬところまで来てしまったようだな。……ならば消えろ、レオン!」


 ギースは叫んだ。

 彼の手下たちが、一斉にレオンに突っ込んだ。


 生きた闇の波に、レオンが呑み込まれる刹那。


「……退けぇぇぇぇッ!」


 レオンが凄まじい力を放った。


 剣ではない。こぶしではない。

 それは気合いとも呼べるものだった。


 ズン、という鈍い、だか重い衝撃音とともに、レオンの足元が円状に陥没し、天井はまるでドーム屋根のようにへこんだ。

 手下たちは皆踏み止まれず、衝撃波に吹っ飛ばされた。レオンの立つ場所だけが、ぽっかりと異様な空白になった。


 手下たちが倒れたおかげで、壁に近い位置に、エアがたたずんでいるのが目に映った。

 声をかけようとしたレオンは、エアの奇妙な姿勢に思わず言葉を呑んだ。


 エアは両腕を差し伸べるように体から遠ざけ、ガクガクと震えていたのだ。

 両手につかんだ何やら黒い物体を取り落としそうになりながらも、震える指に必死で力を込めて支えようとしている。


 エアがレオンを見た。何かを訴えるような視線。


「……エア?」


「……来ないで……来ちゃ駄目」


 レオンはエアから視線を外し、声無き笑いに身を震わせていたギースをにらみつけた。


「なぁに、ちょっと面白いものを与えただけさ。……力のない一般人でも、簡単に扱える兵器、俺が開発してみたのさ。あいつに持ってもらっているのは、その試作品ってところかね」


 ギースは得意げに語った。

 小型の爆弾だが威力は絶大。ピンを引き抜いて放り投げるだけで大爆発を起こす。


「だが、娘がその安全装置を抑えている限り爆発はしない。万一、指がゆるめば……この都市の南地区は消え去るってことだ。何の罪もない市民、そして、おまえたちを含めてな」


「丁寧な説明いたみいる。しかし、あなたも爆発からは逃れられないでしょう?」


「……試してみるか?」


 言葉と同時に、ギースが床を蹴って跳躍した。腰の長剣を抜き、その勢いでレオンの胴を薙ぎ払った。

 常人の目には映りえないほどの斬撃の鋭さである。


 かろうじて避けたレオンの衣服の胸元が、すっぱりと裂けた。


「何故に剣を使うのですか。アルヴィースで与えられた能力を使えば、邪魔になる人間を排除するのは簡単でしょう」


 次々と繰り出される剣の攻撃を、どれも紙一重で避けながら、レオンは疑問を投げかけた。


 剣は殺しの道具である。使えば証拠が残る。それを敢えて使うのは何故なのか。


「これでバッサリやりゃあ、血がしぶいていかにも殺してやったという気がするじゃねえか。……それにな」


 ギースは振り回していた剣をいったん引き戻し、慎重に間合いをはかった。


「あの悪夢の施設で無理矢理組み込まれた能力なんぞ、反吐へどが出るわッ!」


ドガァァァァンッ!


 ギースの次の攻撃は床に振り下ろされ、木板を粉砕した。

 同時に、凄まじい衝撃波が渦を巻いた。


 レオンは身体を低くして耐えたが、エアが悲鳴をあげた。


「エア!」


「……手が……震えて、もう駄目……かも」


「エア、もうすこし待ってください。僕が、必ず助けます」


 エアの震えがわずかにおさまった。少女の瞳に浮かんだのは、信頼の光。


「……うん、待ってる」


「無駄だぜ、レオン。あいつのもとに行くには、この俺を倒すしかない。だが、おまえのような甘い戯言ざれごとをほざく奴には、一生かかっても俺は倒せねえぜ」


 レオンは口の端を笑みの形にしてみせた。


「……試してみますか?」


 言葉と同時に、ドン、とふたりの力が真っ向からぶつかった。

 形のない、純粋な気合いのせめぎ合いのようなものだ。


 目には見えない衝撃波が稲妻のように周囲を渦巻いて疾走はしる。


「能力は互角か。だが、これはどうかな?」


 ギースが不適な笑みを浮かべた。残忍ともいうべき眼光が、ぎらりと鋭さを増した。


ザシュッ!


「……な……」


 レオンはガクリと膝をついた。脇腹がカッと燃えるように熱くなり、ゴフリと口もとから血があふれる。

 レオンの真後ろから、一振りの剣が襲いかかってきたのだ。宙に浮いた長剣は支えるものもないのに、レオンの胴を薙ぎ払ったのである。


「その剣は……あのときと同じ……」


「慎重派のおまえにしては珍しい失態だな。俺の能力は念動。反吐へどが出るほど嫌いな能力といえど利用できるものは利用する。当然じゃねぇか」


 ギースは勝ち誇ったように笑った。


「ずいぶんな余裕ですね、ギース」


 冷静な口調を保ちながらも、レオンの顔から血の気が引いていた。


 毒だ。神経を麻痺させ、呼吸はおろか鼓動さえ止めてしまう猛毒。

 周囲の者から『化け物』と恐れられる能力を持ってしても、レオンの身体は悲鳴をあげていた。


 すぐには立ち上がれない。


「安心しな、すぐラクにしてやる」


「……ギース。あの阿鼻叫喚さながらの爆発事故……生き残った僕たちで約束したあの言葉、まさか忘れたわけではないでしょう」


 苦しげな息のなか、レオンが口にした言葉の意味に、ギースはぴくりと反応した。


「……我々はもはや人間ではないのかもしれない。だが、この解放によって道は再び開かれた。これからは、人として生きよう……だったか。もちろん忘れてなどいねぇさ」


 ギースの瞳に、一瞬、哀しみともいえる光がかすめた。


「だがな、レオン。おまえも身に染みて分かっているはずだ。世間が俺たちを受けいれてくれるほど甘いものじゃねぇとな。さんざん、地獄を見てきたはずさ……俺もおまえも」


「だから、殺したのですか?」


「俺だって殺したくて殺してきたんじゃねえ。自分では手を汚したくねぇ腐ったお偉方の頼みでやってきたんじゃねぇか」


 ギースは宙に浮かせていた剣を手のなかに戻し、レオンに向けた。


 レオンはゆらりと立ち上がった。


「たとえその意思がなかったとしても、命を奪うことに変わりはありません。そのひとの夢も、未来も、それからの人生すべてを奪ってしまうのですから」


「偉そうなことを言うな。レオン、おまえも多くの血を流してきただろうが。おまえと俺と、どこが違うんだアァァァァッ!」


 ギースが吠えた。剣に魂を込めた一撃を放ってくる。

 咆哮に大地が揺れ、負の想いに空間が歪んだ。


 レオンは真っ向からその渾身の一撃を受け止めた。

 傷つくのも構わず、素手で剣を挟みこむように止めたのだ。驚愕に、ギースの両目がいっぱいに見開かれる。


「……それでも僕は現在を生きているのです。生きる答えを見つけるために」


 気合い一閃、レオンは剣をひねり折った。


バキィィィンッ!


 凄まじい金属音が鳴り響いた。

 レオンの放った気が、ギースのものを散々に吹き飛ばし、掻き消した。


 ギースの身体は衝撃で背後の壁に叩きつけられ、動かなくなった。


「ど……どうなったの?」


 問うエアから黒い物体を受け取り、ピンを戻しながらレオンは微笑んだ。


「大丈夫。命に別状はありません。……ただ、純粋な能力の競り合いに負けたのですから、彼の能力は失われました。これからの人生をどう生きていくのかは、目覚めた彼自身が決めるでしょう」


 レオンが降りてきた階段の上のほうから、大勢の人間の足音が聞こえてきた。

 あまりの騒ぎに、警官隊が駆けつけたのだろう。


 レオンは一度だけ、倒れたままのギースに視線を投げ、エアを抱えて部屋の奥にあったもうひとつの扉から外に出た。

 万が一の避難用の隠し扉だったようだが、衝撃波によってあらわになっていたのだ。




 地上に出たところは、街を囲む外壁の外であった。


 森のなかを進み、すこし開けたところで、レオンは抱えていたエアをそっと地面に降ろした。


「あなたはもう自由です」


 レオンは励ますように、優しい笑顔をエアに向けて言った。

 蒼い瞳が、夜空に在る月の同じ蒼なかで、柔らかに光を反射していた。


「これからでは難しいかもしれません。でも、どうか、幸せな人生を見つけてくださいね」


 その言葉に、エアは唇を引き結んでうつむいた。


「……そんな資格、ないよ。あたし、いままでたくさんの幸せを奪ってきたから……。いまさら、幸せになんてなれないよ」


 レオンは傷ついた自分の手のひらを見ながら、肩を震わせる少女に静かに言った。


「傷が痛むのは生きている証拠。こころが痛むのも、そのこころが生きている証拠です。だから、まだやり直せるはずです」


 エアは顔を上げた。

 目の前で微笑むレオンを、眩しそうに見る。


「……ほんとう?」


 レオンは穏やかな表情のまま、頷いた。


「ええ。だから、どんなに辛くても痛くても、生きて生きて、これからあなたがめぐり逢う人々のためにも幸せになってくださいね」


「また……行ってしまうの?」


 レオンは空を振り仰いだ。

 その視線を追い、エアもまた空を見上げた。


「僕は旅の途中です。その旅に戻るだけのことですよ」


 ふたりが静かに見つめる夜明け前の空には、蒼い月が輝いている。

 やわらかな月の周囲は、夜明けの赤い色に少しずつ染まりつつあった。


「じゃあ、元気で」


 優しい口調で少女に告げ、再び旅路に戻るレオンの姿は小さくなり、やがて夜明けを知らせる白くまばゆい光に溶け込むようにして見えなくなった……。





(蒼い月夜の邂逅・完)


数ある作品の中から、目に留めてくださってありがとうございます。

ご指摘ご感想お寄せいただけると嬉しいです。

どうぞ、よろしくお願いします。

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