05 “術式”
日曜日の朝。それなりの広さのアパートの居間で、鏡花は朝食の準備をしていた。
「朝御飯入らないんならこれだけ飲んで」
「すまんね、きょーちゃん」
寝不足気味の同居人の前に野菜ジュースの入ったコップを置く。
各務教授はコップの中身を少しずつ口にしながら、前日に印刷された数枚の画像を眺めている。写っているのは、革に包まれた水筒に、分解された拳銃、そして、星空を背景に廃墟と化した時計台。
「スマートフォンのカメラ機能を使って“枯渇世界”を撮影、ねえ」
「まあ、信じらんないよね。渥美さんは外部からのクラッキングの痕跡を探すって」
鏡花は別の紙を教授の前に置いた。夕暮れ時の廃墟を写した細長い画像が、縦に二段並んでいる。
「で、こっちがクライアントで観測したパノラマ映像。こっちの方が画質悪いのは、プログラムが古いから仕方ないかな」
「実物では不可能な視点に、模型では有り得ない広さか。本物のシミュレータか偽装したものかはともかく、現実のものではなさそうだね」
そう言いながら、教授は画像の上を指でなぞっていく。
「高層ビルは全滅かな……この一番近くにあるのが時計台だとすると、その先に見えるのが市役所か」
教授の前に置かれていた朝食の皿にラップをかける鏡花に対して、教授は問いかける。
「あとは“陸竜”と“術式”だったかな」
「管理者が“事象改変モジュール”を使って引き起こした自然現象や事件とかが、そういう名前で残ってるのかもなー、とは渥美さんの談なのです」
「ただ観察するだけでも対象に影響を与えてしまうわけだし、干渉によって新たな概念が生まれることも有り得るか」
ふむ、と、教授は印刷物から顔を上げて考え込む。朝食を冷蔵庫に入れた鏡花は、荷物をまとめながら口を開く。
「そんなわけで、今日も引き続き調査しようと思うんだけど、みら兄ィはどうするかい」
「そうだなあ。もう少し休んで、酒が抜けたら様子を見に行くよ」
◇
「お、鍵開いてる。お疲れれーす」
会議用の長机の奥に椅子を並べ、その上で寝ていた渥美が、研究室に入ってきた鏡花に左手を上げて生存を知らせた。
「おはようさん。不正アクセス見つからなかったァ」
「黒須君の銃の方はどうですかい」
「そっちはばっちり。画像になんか余分なデータが付加されてるのが気になるんだけどな。共有にモデルデータ置いてあるから、見とき……」
そこまで言って、渥美の左手は力尽きて垂れ下がった。
「頭すげえ残念ですよ」
「ああ、説明会行くのにセットしてたからなあ。仕方ねえな、まだ眠ぃが一旦帰るか」
長机に肘を乗せて起き上った渥美の横を通り過ぎ、鏡花は共用マシンの前に座ってディスプレイの電源を入れる。マウスを操作し、デスクトップにあったモデルデータを選択した後、並行して“枯渇世界”のクライアントプログラムも起動させる。
最初に表示されたウインドウには、スマートフォンのデータフォルダに保存されていた銃の画像から、渥美が再構築した三次元情報が表示される。
銃の内部にあった細長い棒状の物体は、本体とは別に再現されていて、表面に刻まれている記号も鮮明化されていた。
「この棒が銃弾ってことはないだろうから、やっぱり記号に何かの意味があるのかな」
「それ、トリガー引くと回転するようになってるみたいだぜ」
ハンガーに掛けてあったネクタイを鞄に放り込み、スーツに袖を通しながら話す渥美に対して、鏡花は思いつきを口にした。
「宗教的なものかな。お経とか。マニ車みたいな」
「平面に広げた画像も作ってあっから、先輩の言語認識プログラムに放り込んでみるとか。まあ、使い方は持ち主に直接聞くのが一番早いんじゃね」
そこまで言って、渥美はドアノブに手をかける。
「んじゃ、また後でな」
「いってらっしゃーい」
渥美が研究室から出て行った後、鏡花はクライアントから観測機能を起動し、ディスプレイに貼り付けられたメモを元にカメラの座標を設定する。
「さーて、本日の黒須君はー」
数十秒後、新たに表示されたウインドウの画像を見て、鏡花は自分の鞄から携帯電話を取り出した。着信履歴から一番上の番号を選んで発信し、呼び出し音の鳴る携帯電話を耳に当てる。待つこと十数秒。
『キョーカか』
「エネルギー資源枯渇したって設定はどこ行った」
『いや、だから、意味がわからん』
「黒須君が乗ってるそれについての説明を要求するのです」
画面には、サイドカー付きのバイクに乗って雪原を走る二人の姿が映し出されている。鏡花は肩で携帯電話を支えながら、キーボードを操作して画像を保存した。
『師匠、この車の説明をしてくれって……え、いや俺よく知らないし。って、何でそんなに嫌がるんですか』
「……黒須君、わかる範囲でどうぞー」
並行して銃のデータを表示させながら、説明を促す。
『えー、型番は、五七式側車付自動二輪車。三年前に師匠が手に入れてから、無人地帯の調査用にいろいろ改造してある』
「動力源は油とか電気とか言わないよね」
『油で動く車なんて三千年紀の遺物だろう。電気だって都でしか使われていないじゃないか』
更新された観測画面には、停止したバイクと、その横で点検を行う無精髭の男、そして、サイドカーに乗ったまま携帯電話に向かって話している少年が映っている。
「ふむふむ。じゃあ何で動いてるんですかい」
『そりゃまあ、術式駆動だけど』
「……そこんとこもう少し詳しく」
◇
『大昔に“代行者の証”を持つ者が“資源戦争”中に起こした様々な奇跡、その原理を解析して模倣したものが“術式具”だ』
「資源戦争……あー、資源枯渇のために起こしたイベントがそう呼ばれてるのかな」
クロスの説明を聞きながら、鏡花は“枯渇世界”の資料をチェックし始めた。
『開拓者や狩猟者、特定技術者のような国家資格を持つ連中にだけ与えられ、それを使えることが身分の証明になる道具。けれども、現実には起こり得ない現象を引き起こすための力の源泉、カミオカの世界干渉機については、ほとんど解明されていない。故に、多くの地域では魔法の道具のような扱いをされる場合もある』
「胡ッ散臭いなあ」
肘をつきながら呟いた鏡花に対して、通話の相手は呆れた声で答える。
『俺にとってはこの“証”やキョーカの方が胡散臭いぜ。“術式”について、何でキョーカが知らないんだよ』
「まぁねぇ」
『話を戻すぞ。“術式具”を使うために必要なのは、そこに“術式”があるんだという認識だけで、魔力とか精神力とか、そういった資質や能力が必要なわけじゃない』
「ふむ」
『“術式具”を起動すると、それに刻まれた図式を干渉機が変換して、実際に効果のある魔法陣として展開する工程が始まる。その後、発動命令を意味する“動作”によって、魔法陣は“世界の情報”を書き換え、現象を引き起こす、ってわけだ。しかし、そうやって無理矢理書き換えた“世界の情報”は、長くて十数秒で復元されてしまう』
「んーあー、待って待って。結局のところ、そのバイクも銃も、大昔に代行者が使ってた未知の力を再現したものってことかい」
鏡花は眉間にしわを寄せながら、情報の整理を行い始めた。
「“枯渇世界”側からこっちのシステムに介入して“事象改変”を実行する、とか。各務研カスタムのこともあるし、不可能ではなさそうかな……」
『キョーカ、そろそろ車動かしたいんだが』
「あー、ごめんごめん。移動しながら話すのは無理なのね」
思考の海に沈もうとしたところを呼び止められた鏡花は、一旦推論を棚上げして、会話に戻る。
「で、お二人さんはどこまで行かれるのですかい」
『キムントの温泉宿に寄って街に戻る予定だ。今日中には宿に着けないから、今夜は野宿になる』
「ふむ。ちなみにその街はどこにあるのかな」
『ここから南西、半島の先端にある。半島の奥までは“陸竜”もやってこないからな』
「ふむふむ。渡島半島の先ってことは、函館辺りかい」
『ああ、ハコダテで合ってる。地名は分かるのか』
通話相手の疑問に対して、鏡花は検索エンジンの結果を見ながら答える。
「変わっちゃってるのもあるみたいね、洞爺湖とか。ああ、でもこれは戻ってると言った方がいいのかな……」
『キョーカ』
「あっと。質問は以上で御座います。雪道気をつけてね」
『了解』
通話終了のボタンを押した後、鏡花は携帯電話を置いて、両手を上げて体を伸ばした。
「んー。銃の解析を先にするか、“事象改変モジュール”を見るのが先か……」
両手を伸ばしたまま左右に揺れ始めたところで、研究室のドアが開く。
室内に入ってきた佐々木は、右手を上げて鏡花に挨拶した。
「おや、渥美君かと思ったら、鏡花君か。今日は早いのさー」
「んあー、おはようございます。佐々木さんこそ、日曜日ですよ」
彼は自分の席に鞄を置き、マシンの電源を入れる。
「明日から教授と東京だからさ。発表の最終確認」
「なるほどー」
「あと、昨日の奴がどうなったのか気になってね。どんな状況なのさ」
「いろいろあり過ぎてどこから話せばいいやら。とりあえず、観測機能は動作しました。千年後の時計台は廃墟でした。なんか竜とか術とかあるみたいです。動力源不明のバイクが走ってます」
「むむむ」
唸りながら共用マシンの方に歩いてきた佐々木に対して、鏡花は教授に見せたものと同じ画像と、雪道を絶賛走行中のバイクの現状を見せる。その後、別のウインドウを開きながら、鏡花は言葉を続ける。
「でもって、佐々木さんにぜひ解析して頂きたいのがこちら。“枯渇世界”の内部からサーバに介入して“事象改変モジュール”を動かすという、謎の未来文字でございます」
ウインドウには、銃の内部に刻まれた記号の平面画像が表示されている。
「あー。中の人的には、自我を持った人工知能の反乱という方向で話を展開したいのかな。もしくは、解けた人にはご褒美にネタばらし、いや腹筋とか」
「まあまあ、そう疑ってかからずとも」
「この年になると疑り深くなるのさ。それ、メールで送って」
そう言って自分の机に戻った佐々木は、デスクトップのショートカットから言語認識プログラムを起動し、受信メールから保存した画像を読み込む。画像の傾きを調整すると、個々の記号を分割する青い升目が表示され、記号をなぞるように赤い線が引かれていく。
そして、認識を完了した記号が、類似する形状ごとに次々と分類されていく。
「文字種多いかと思ったら、これ、二文字の組み合わせでひとつの記号なのさ」
経過を眺めていた佐々木が、分類された記号を手で並べ替えていく。
「文字の数は十六。組み合わせは最大二百五十六。でも、半分しか使われてなさそう、だな」
誤認識された記号を修正して、単語のパターン抽出のプロセスに移行する。番号に置き換えられた記号の列が色分けされると同時に、順序が同一となっている部分が抜き出される。
佐々木は過去の研究で解析した文章を別のウインドウで表示し、パターンを比較していく。
「自然言語じゃないな。経文のパターンとも違う」
小声で呟きながら作業を行う佐々木の横で画面を眺めていた鏡花が、いくつかの記号を指差していく。
「デリミタ、コーテーション、サブスティテューション」
「……ああ、なるほど、プログラムコードか。ハッキングのためのものだから当然そうなるか」
佐々木は鏡花が示した記号に対応する文字を入力した上で、作業を止める。
「となると、今度は“事象改変モジュール”の方を調べてみて……」
「実装されているコマンドを把握しないと、解読の仕様が無い、と」
「その通りなのさ」
◇
「ただいまさん……って、何か二人とも煮詰まってんなァ」
正午を過ぎた頃、私服に着替えて研究室に戻った渥美が見たのは、机を挟んで揃って頭を抱える鏡花と佐々木だった。
「ドキュメント全部英語だし」
「翻訳頼まれたけど用語が難しすぎるし」
「テストコード書いても観測者アカウントじゃ動かせないし」
ディスプレイを睨みながら呟く二人に対して、渥美は肩をすくめて首を振る。
「先輩も羽村も、プログラムの改造は専門外だっけね……よし」
佐々木の隣の席に座った渥美は、電源が入ったままの自分のマシンでディスアセンブラを起動した。
「ちょいとクライアントプログラムを弄ってみるから、気分転換に外でも行ってなさい」