04 “夜警”
崩れた屋根の隙間から見える空は、紅く染まり始めている。数時間前まで空を覆っていた雲は、東の方角に流れていた。
時折、保温のために立てている布の隙間から、冷たい風が入り込んでくる。
焜炉の上に置かれた鍋からは、食欲をそそる匂いが漂ってきている。
『カメラはそんな感じとして、んー。黒須君、キーボードはわかるかい』
「いや、わからない」
クロスは首を振って、何度目かの同じ答えを返した。
『ならメールの説明は追々として、アプリ……もなあ。乗換案内あってもだし、二次元バーコード読めてもだし、ブラウザあっても検索できなきゃだし、渥美さんのはネタアプリばっかりだし』
「……キョーカ、ひとまず“カメラ”だけでいい。これ以上聞いても、理解できそうにない」
『ふむ、確かに。今日のところはここまでにしておきますかね。他に質問がなければ一旦切るよ』
「ああ、大丈夫だ」
『ん。じゃ、またね』
その一言を最後に“代行者の証”は沈黙する。
途中から食事の準備を再開していたセキは、クロスが“証”を耳に当てていた手を下ろしたことに気付いて声をかけた。
「お疲れさん」
「いえ、大丈夫です。しかし、およそ“神託”とは言い難い内容でしたね」
「全部聞こえてたわけじゃねえし、聞こえた部分もほとんどが理解の埒外だったが……“観測者”じゃなくて本物の人間が喋ってんじゃねえのか、って思っちまうよ俺は」
その言葉にクロスも同意する。“証”を脇に置いた右手は側に置いてあった背負い袋に伸び、水筒を繋げていた止め具を外した。
「何にしても、街に戻る予定は変えずに済みそうです」
「そいつぁ良かった。で、今度は何をやっとるんだ」
クロスは水筒を地面に置くと、再び“証”を手に取って操作し始めた。
「裏側の“カメラ”で目標を捉えて“撮影”、と」
クロスが水筒の上に“証”をかざした後、表面に水筒が映っていることを確認し、“撮影”の文字に触れる。
“証”から軽快な音が鳴り響いた。
「で、“データ”から選ぶ、と……」
続けて“証”を操作すると、彼が撮影したばかりの水筒の幻像が、“証”の表面に浮かび上がる。
その様子を横から眺めていたセキが、ほう、と感嘆の声を上げる。
「機械だから寸分違わず、とは思ってたが、飛び出してるように見えるってのはどんな技術なんだろうな」
「“術式”を使うときに出てくる魔法陣と似たような感じなのでは」
クロスの推測に対して、セキは鍋に乾麺を放り込みながら否定する。
「いや、多分違うな。魔法陣は星界に描かれた式が光として認識されるわけだが、こいつは機械が放つ光を上手いこと調整してる感じだな」
セキが手を拭いていた布を“証”を覆うように被せると、幻像は見えなくなる。布を除けると、幻像は再び現れた。
「……なるほど。“術式”なら、遮るものがあっても消えることはありませんね」
セキの話に対してクロスが口を開いたとき、“証”から音が鳴り響いた。
「また呼び出しかよ」
「いえ、違うみたいです。“新着メール”……手紙ですかね」
セキに見せていた“証”を手元に戻すと、クロスは回転する手紙の幻像に触れ、表示された文章を読み上げる。
「“食事終わってからでいいから、水筒以外のものもいろいろ撮影しておいて”だそうです」
セキは杓子で鍋をかき混ぜていた手を止め、廃墟の片隅にまとめて置かれた荷物に視線を向けた。
「ふむ……いいんじゃねえか。調査記録を写真として残せれば、後で報告書を書くのにも使えそうだしな」
◇
食事を終えた後、セキは発掘品の袋の一部を持って建物の外に出て行った。
クロスは食器と鍋を洗い、探索時に持ち運ぶものとは別の麻袋に片付けていた。
「明日は朝から移動だから、探索用の道具袋はもう使わないか。炭はあと半日分出しておいて……」
焜炉の状態を見ながら夜番の準備を始めたクロスは、洋灯の油に火を点け、保温と雪避けのために立ててあった布の位置と高さを調節する。地面の上に布と道具を広げ、抜き身のまま置いてあった片手剣の手入れを始めたところで、セキが戻ってきた。
「どうでした」
「周りも車も異常なし。ってなわけで先に寝るぜ」
セキはそう言って毛布を体に巻き付けると、焜炉の近くに座って目を瞑った。そちらには目を向けず、クロスは手入れを続ける。残っていた脂と水気を拭き取り、大きな刃毀れが無いことを確認して鞘に戻す。同じように短刀も手入れした後で、拳銃嚢から“銃”を取り出して布の上に置いた。
クロスが銃身に刻まれた装飾の一部に親指をかけて滑らせると、小さな鍵穴が現れる。道具箱から取り出した鍵を鍵穴に差し込んで捻り、銃身の外装を取り外した。
「そう簡単には壊れないとは言え、傷が入ってたりしたら良くて不発、悪くて暴発。慎重に……と」
銃身の内部に収められていた銀色の細長い棒の表面は、小さな記号が隙間無く刻み込まれている。記号は螺旋を描くように並んでおり、クロスは棒を回転させながら、緑に着色された不凍油を挿していく。
一通りの手入れが終わった後、銃身の外装を戻そうとしたクロスは、その手を途中で止める。
「ああ、これも撮影しておくかな」
止めた手は“証”を掴み、撮影機能を選択していく。“銃”の内部を何度か撮影してから、今度こそ外装を取り付けた。
「後は……折角だから、この廃墟についての資料も残しておきたいな」
クロスは“銃”を右脇に収め、“証”を持って立ち上がる。
瓦礫の隙間を抜けて広間の中央まで歩くと、夕方まで雪を降らせていた雲は完全に消え、月と星の光が周囲を照らしていた。
“証”を操作して、屋根の隙間から見える時計台に焦点を合わせると、肉眼で見るよりも明るい映像が映し出された。クロスはそのまま撮影を行い、結果を確かめる。
「月明かりでもこれだけはっきり再現できるのか……偵察にも使えそうだな」
明日また撮影しておこう、と呟きながら、クロスは空を見上げる。
星が輝く天頂には、赤紫色のオーロラが幽かに揺らめいていた。
◇
「よーし馬鹿弟子よ、そろそろ起きろ。飯食ったら残りの荷物を積み込むぞ」
「了解……す」
夜中に火の番を交代したセキは、夜明け前に食事の準備を終わらせてから、クロスを叩き起こした。二人は食事をしながら、行動予定を話し合う。
「行きと同じ経路で帰るとして。途中でエンヤの宿に寄り道しても、年が変わる前には街に戻れるな」
「予想以上に車輪の調子が良かったですね」
「ああ。正直なところ、ここで正月迎えるつもりでいたからな……そういや、“証”が見当たらねえけど」
「無くしたら洒落にならないんで、紐付けて首から下げて中に入れてますよ」
携帯食糧を食べ終えたクロスが、首元から紐を出して見せた。
「なるほどな」
空が少しずつ白み始める中で野営地の片付けを終えた二人は、荷物を持って廃墟から外に出て、裏手に回り込む。そこには、灰色のシートがかけられた、二人の乗り物が置かれていた。
荷物を地面に置いたセキがシートを除けると、中から年季の入った枯草色の車体が現れる。本体である二輪車の左側には側車が取り付けられており、それぞれに用意された後部収納に荷物が詰め込まれていく。
「帰りもよろしく頼むぜ、相棒」
クロスが地図を持って側車の座席に座ったことを確認して、セキは二輪車に跨って命令の言葉を発した。
「“点火”」
後輪に直結した術式駆動機関が魔法陣の輝きに包まれていく。十数秒の展開時間を待つ間に、クロスは思い出したように“証”を取り出した。地図を広げて撮影した後、彼は運転手に声をかける。
「師匠、時計台を撮っておきたいんで、正面で一回停めて貰えますか」
「おうよ」
防寒具の胸元を留め、風避けの眼鏡をかけたセキが答える。
彼が二輪車の把手を握る右手を動かすと、駆動機関から低い金属音が響き始める。
南東の空から差し込み始めた朝の光を受けながら、二人を乗せた車は少しずつ前進を始めた。