03 “対話”
メールの着信を知らせる音に鏡花は足を止め、鞄から携帯電話を取り出した。
鏡花はアスファルトとコンクリートの照り返しを避けながら、佐々木から送られてきたメールに目を通す。
『生存者発見。渥美君が代行者選択しちゃったのさ』
彼女は買い物を終えた後、市役所の北にある建物の前で衛星測位情報を送ってから、駅へと向かって歩いている途中だった。
「何で戻るまで待っていてくれないかなあ」
眉根を寄せてそう呟いた鏡花の携帯電話から、今度は通話着信のメロディが流れ始める。
未登録のアカウントからのインターネット通話の着信は、古い時代劇のオープニングテーマをそれなりの音量で流しており、周囲の視線を集めつつあった。
普段の鏡花なら応答拒否して終わらせるところだったが、左手に持っていた赤いスマートフォンが勝手に動いて発信しているとなると、それも憚られた。
「選択完了メッセージとか、かな」
鏡花は自分を納得させるように呟くと、一拍置いて通話ボタンを押した。
「もしもし」
『……あれ、えーと……』
スピーカから聴こえてきたノイズ交じりで不明瞭な声は、佐々木よりも若そうな男のものだった。
「もしもし。こちら羽村鏡花です」
『え、あ、はい。こちらは代行者、クロス・リュート』
「リュウは流れる方かい。それとも飛んでる方かな」
『……ちょっと理解不能ですが、どちらかというと流れる方かな』
鏡花はわずかに微笑むと、再び駅に向かって歩き始めた。
「おっけー了解。で、黒須君に置かれましては何の御用でしょうか」
『御用というか、適当に触っていたら、こうなってしまったというか』
「間違い電話でござるか」
『……またもや理解不能ですが、そんな感じかと思われます』
鏡花の微笑みが広がる。
『……ハムラ様とお呼びすればよろしいでしょうか』
「あー、そんなに丁寧に話さなくてもよござんす。同年代っぽいし、鏡花でいいよ」
『はあ。えーと……了解、キョーカ』
「ちょっと今ゆっくり話せる状況じゃないんで、一時間くらい待っててくれるかい。研究室に着いたらこっちから連絡するから」
『え、えっと』
鏡花は返事を待たずに通話を終わらせる。スマートフォンをポケットに入れ、左手で頬を叩いて表情を引き締める。
「なかなか興味深い。誰かの悪戯じゃなければだけど」
未登録だったアカウントに“黒須流人”と名前をつけ、佐々木に対してすぐに研究室に戻る旨のメールを送信する。
送信完了の表示を横目に見ながら、鏡花は改札を通って駅の構内へと入っていった。
◇
「なんで勝手にやっちゃうのかーい」
「いっやーわりーわりー。話聞いてたらえれー面白そうだったンで、つい出来心でなー」
電車で二十分揺られた後、駅からさらに十五分歩いて研究室に戻った鏡花を迎えたのは、大学四年生の渥美だった。スーツ姿に縁無し眼鏡の彼は、共用のマシンの前に座って作業を行っていた。
「あれ、渥美さんだけですか。教授と佐々木さんはどうしました」
「ついさっき、二人とも会議に呼ばれてった。そのまま飲みになるかもな」
「あれまあ」
鏡花は鞄からスマートフォンを取り出し、充電器に戻した。
「あー、そういえば。会社説明会お疲れ様です」
「いやいや。教授の推薦状あったし、入社はまだまだ先だし、半分遊んで来たようなもんだったぜい」
渥美は首を振って、右手の人差指で会議用の長机の方を指し示す。鏡花は机の上に置かれたパンフレットに目を向けた。
パンフレットの表紙には、三人称視点のゲーム画面イメージがいくつか並んでいる。巨大なモンスターや荒廃した都市が描かれた画面イメージの下には、ゲームのタイトルが書かれていた。
「ふむ、“ドラゴンズ・ワイルド”の新作……って、開発会社ここだったんですか」
「初代は別の会社だったんだけどな、そこが潰れて、権利関係を買い取ったとか。知らなかったんね」
「タイトル知ってる程度ですもん。アクション苦手ですもんー」
鏡花は踵を返して部屋の奥に向かいつつ、上着を脱いでハンガーにかける。
「そもそも、いつも研究室に入り浸っててあんまり遊ばんもんね。教授が心配しとったよ」
「それは置いといて。どこまで状況聞いてますん」
話題を変えた鏡花に対して、渥美は拘らずに答えた。
「ざっくり一通り。代行者指定した後、観測機能を使おうとしたらドライバの更新を要求されたんで、今その作業中」
「その代行者さんからの電話ですが、渥美さんの仕業じゃないですよね」
「ちゃうねえ。羽村こそ、夏の日差しにどっかやられた、とかじゃないんよねえ」
作業を続けながら尋ねる渥美に対して、鏡花は首を横に振る。
「履歴に残ってますし、発信者のドメインは“枯渇世界”のサーバになっていました」
「羽村と会話が成立したってのが信じ難いのう」
「ですよね」
サーバラックに置かれている私用のノートパソコンの前に座ると、鏡花は上着の袖を捲くった。
「次はこっちからかけてみるんで、通話のログとれるようにお願いします」
「あいよ……あ、そうそう、羽村」
渥美はスマートフォンにケーブルを繋いでから、鏡花を手招きした。丸椅子を引きずって近付いてきた鏡花に対して、ディスプレイを指し示す。
「代行者選択の後、しばらくしてからこんなメッセージが表示された」
「えーと、“即時対話機能を有効にするため、観測機の時間移動演算を終了します”……んー」
「で、調べてみたら時間経過比が百パーセントになっとった」
「対話に問題が出ないように調整された、って感じですか」
鏡花は唸りながら丸椅子と一緒に元の位置に戻っていく。
「一応、現状報告ってことで」
「んー。まあ、状況は把握しました」
◇
通信内容を各務研のサーバに保存する処理を追加した渥美は、ファームウェアの転送を開始してから、鏡花に声をかけた。
「よし、通信ログおっけー」
「あざっす。観測機能の方はどうですか」
「とりあえず、画像情報なら取れるようになったぜ」
「それ、電話かける前に見ておきたいんで、お願いします」
鏡花は自分の携帯電話を操作しながら、渥美の横に移動する。
「んじゃ、観測開始、と」
渥美がマウスでコマンドを選択すると、画面に新しいウインドウが展開される。ウインドウには、携帯用のコンロを挟んで座る二人の人物を見下ろした映像が表示された。
「位置情報からすると時計台の中の筈なんだが、廃墟の中に男が二人か。どっちかが代行者かね」
「カメラさん、もうちょい下からお願いします」
「おうよ。三次元は俺に任せろっての」
渥美はメニューを選択して補助ウインドウを開き、数十個並んでいる設定値を次々と変更していく。
「はい登録。画像の更新は一分ごとだから、しばし待たれよ」
「いやー、三次元マニアの渥美さんが居なかったら大変でしたー」
「はっはっは、そう褒めるな」
「……」
映像が更新される。座っている二人の横顔が、焚き火に照らされている。
「若い男と無精髭のおっさんか。ずいぶん暖かそうな格好だな」
「おっさんの方は食事の準備中ですか」
鏡花はそう言って、地面に置かれた鍋や皿を指差した。その指が焚き火の反対側に動き、少年の手元に差し掛かったところで止まった。
「この赤いの、ウチのコレじゃないですかい」
鏡花の指はディスプレイから離れ、充電器に設置されているモノを示す。
「んんー、解像度低くてよく見えんな。まあ、スマートフォンっぽい、か」
「わざわざ再現するとか……こんな仕掛けが、未来予測システムに存在する意味とかあるんですか」
鏡花の疑問に対して、渥美はこめかみに右手を当てて考え込む。
「正確な予測を得るためには、ある程度のミクロ要素は必要、とか……ってか、そもそも携帯電話をインターネット接続の端末として選ぶこと自体が想定外なんじゃねえの。十五年前のシステムっしょ」
「あー、まあ、そうかもですけど」
「それよりもほれ、電話待ってるみたいだぜ」
更新された映像の中の少年は、頬杖をつきながら手元を眺めている。
鏡花は考え込んだ姿勢のまま、サーバラックに掛かっている丸時計に目を向けた。
「あー、そろそろ時間か……うーん、現実感溢れる振る舞いが、逆に非現実的すよね」
「なんつーか、手の込んだドッキリを仕掛けられてる気分になってきたわ」
「みら兄ィが大成功のプレート持って外で待ってたりですかい」
鏡花の携帯電話から通話発信が行われると、充電中のスマートフォンの表示が着信中に切り替わる。しばらくして更新された観測画面には、慌てた様子で何かを言い合っている二人の姿が写っている。
「着信応答の方法がわかんねーとか、そういう小芝居はいらねー」
画面を眺めていた渥美が力なく呟く。十数秒が経過して、携帯電話の呼出音が途切れた。
『……こ、これでいいのかな』
「はろーはろー。聞こえるかい」
『はいはい、聞こえてる』
渥美は事前に起動していたツールを前面に表示させ、ログの取得状況を見て頷いた。
「ちゃんと取れてるな。俺はちょいと通信経路辿ってみるぜ」
「はいな……さて。改めて自己紹介しましょうかね」
携帯電話のマイク部分を手で押さえて返事をしてから、鏡花は話を続ける。
「えー、私は野幌情報大学各務研究室特別研究員、羽村鏡花。本業は別だけど、今は貴方達について調べてるところ」
『国家公認二級開拓士、クロス・リュート。依頼により、北方無人地域の冬季調査と発掘品の収集任務を遂行中』
鏡花は左手で眉間を揉む。更新された映像では、少年の視線を受けた無精髭の男が両手を広げて肩をすくめている。
「よくわかりません」
『右に同じく』
「……んー、ヘッドセットどこだっけな」
会話の内容を聞き取ろうと静かに横に立っていた渥美は、諦めて机の引き出しを漁り始めた。
「細かいことは後で聞くとして、隣の無精髭な方はどちらさまでしょうか」
『こっちは師匠のセキ。探索に同行してもらってる。って、ああ、こっちが見えてるのか』
「観測するのが目的なんだから、当然なのです」
『そうか』
「んじゃ、次。黒須君たちが今いるのは時計台の中かな」
『多分。塔の中に見えるのが振子時計の機械なら、だけど』
「ちょっと待ってね」
鏡花は携帯電話を離して、ヘッドセットを準備していた渥美の肩を叩く。
「時計台確認できますかね」
「やってみよか」
渥美が座標値を変更している間に、鏡花は話を再開した。
「さっき北方無人地帯って言ってたけど、誰も住んでないのかい」
『いや、全く住んでないってわけじゃないな。半島の先にある開拓民の街とか遊牧民とか』
「何か危険でもあるとかかしらん」
『大昔の戦争の影響で人が住めなくなってる場所も一部にはあるが、一番の原因は“陸竜”だな』
「リクリューって何ぞ」
「ドラゴンポケモンか何かじゃねーの。てか、いちいち一分待たないと更新されねーって結構面倒だな。改造できねーかな……」
観測位置を調整していた渥美が呟く。画面には雪の積もった瓦礫の山が表示されている。
『あれ、説明が必要か……陸の竜と書いて“陸竜”。既知の魔獣の中でも最大級、何百年も前から北方一帯を蹂躙していて、それを止めることも傷つけることも叶わない。こいつのせいで北方は放棄されている、ってとこか』
「……パネェ千年後きたァ……」
『どうした、キョーカ』
「んにゃ、何でもないよ」
一瞬会話が途切れた後、通話の相手が話し始める。
『こっちからも質問していいか』
「どうぞどうぞ」
それもそうだ、と鏡花は頷く。渥美は検索サイトから地図を開いて、座標値の調整を続けている。
『俺は代行者に選ばれた、ってことでいいんだよな』
「うん、まあ、そうすね」
『記録によると、代行者は与えられた役割を果たす代わりに“術式”という世界を変える力を行使できた、ってことになってるんだが、合ってるか』
「どうしてそうなった」
『違うのか』
「世界を変える力、ねえ。そんな大それた……って、何ですか渥美さん」
否定しようとした鏡花の服の袖を、渥美が引っ張り、口を開いた。
「“事象改変モジュール”のことじゃね」
「……ああ。そんなのもありましたね」
「使えるのは管理者だけで、観測者アカウントでは無理っぽいんだがな」
マウスカーソルを動かして、メニュー画面で灰色表示になっている部分を示しながら、渥美は続ける。
「モジュールそのもののデータはクライアントプログラムと一緒に入ってたから、羽村の解析能力に期待するぜ」
「うへえ」
鏡花は首を振ると、通話に戻った。
「その力については、ちょっと何とも言えない状態かな。黒須君にはまたいろいろ聞くかもしれないけど、今のところは特別やってもらいたいことはないよ」
『そうか』
「他には何かあるかな」
『質問というか、ひとつ頼み事があるんだが。この“代行者の証”……あー、この赤い機械というか、装置というか。こいつをどう使えばいいのか、教えてくれないか』