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01 “発掘”

 西暦二〇一五年、七月末。夏休み直前の週末。

 期末考査をなんとか切り抜けた高校二年生の羽村鏡花はむらきょうかは、短い夏期休暇中の活動資金を得るために、午前中から奮闘していた。


 場所は、彼女が通う高校と同じ市内にある情報系大学の研究室。

 窓際には教授の机があり、育ての親である教授本人が椅子に座って資料を眺めている。その手前には、研究生用の机が向かい合わせにふたつずつ。さらに出入口の扉側には会議用の長机があり、その上では新品の雑巾や洗剤が出番を待っていた。

 扉から見て左側の壁面には、研究室用のサーバマシンや周辺機器が積まれたラックがあり、もう一方の壁面には研究資料などが納められた棚が並んでいる。

 研究室の棚卸しの手伝いを命じられていた鏡花は、学校指定の紺色のジャージに身を包み、棚の中身を片っ端からリスト化していた。そして三時間かけてようやく、教授の机のすぐ横にある一番最後の棚まで辿り着いたところだった。


「みら兄ィ、この棚ってば最後に触ってから何年経ってるのかい」


 引き戸を開けた先にあったのは、黄色に焼けた古いソフトのパッケージ、年代物の磁気テープに大小入り混じったフロッピーディスク。そして、書類や封筒が乱雑に詰め込まれた状態で、埃を被ったダンボール箱だった。

 軽く舞い上がった埃を振り払い、眼鏡を外して拭きながら、鏡花は雇い主である教授に問いかけた。


「なんかえらいことになってるよ」

「せめて仕事中くらいは、みら兄ィじゃなく、みよし教授と呼びたまえよ」


 鏡花が打ち込んだ棚卸しの一覧と大学の備品リストを並べて印をつけていた教授──各務美良かがみみよしは、ボールペンを置くと立ち上がり、鏡花の横から棚を覗きこんで、その中身と自身の記憶を照合する。


「十年……いや、ここに来てから開けた覚えが無いから十五年くらいか」

「時効ってことで」


 引き戸を閉めようとする鏡花を遮って、教授は作業を続けるように促す。


「待て、折角の機会だから、やっつけてしまおうじゃないか。面白そうなモノがあったら知らせてくれたまえ」

「りょーかーい。じゃあ、ここまでの分を送っとく」

「うむ」


 自分の携帯電話に打ち込んでいた棚卸しの一覧をメールで送信して、鏡花は棚に向き直った。劣化の酷いメディアは、不燃ゴミの袋に投入された。ケースに入ったメディアやソフトに関しては、タイトルだけメモ帳に打ち込んで、元の位置に戻していく。


「おー、天体シミュレータ発見。動くかな」

「ん。ああ、懐かしいな。後で見てみよう」


 星空を背景にロゴが印刷されたパッケージを教授の机の上に置いて、彼女は作業に戻る。いくつかの物品について教授に判断を仰ぎつつ、順調に片づけていった。


「あとはダンボールだけだけど、やっちゃうかい」

「うむ、任せた」


 鏡花は埃を舞い上げないように気をつけながらダンボール箱を引っ張り出し、床の上に書類を仕分けていく。過去の研究資料や光熱費の明細書、親族からの手紙などを並べながら、教授に疑問を投げかける。


「“高エネルギー素粒子の衝突における余剰次元観測による世界の情報化”──昔は量子論なんか研究してたのかい」

「東北に居た頃はね。加速器を使っていろいろやっていたけど、こっちに来てからは人工知能一本で全く触れてないな」


 書類を仕分けていた鏡花の手が、一通の封筒を手にしたところで停止する。裏返しても何も書かれていないことを確認して、改めて表側の英文に目を向ける。


「未開封のエアメール。宛先は、みら兄ィの前の大学。送り主は、えーと……“Depleted World”」

「ん。どうした、きょーちゃん」


 リストから顔を上げた教授にも見えるように、鏡花はエアメールを持ち上げた。封筒の重さに細い腕が揺れ、それに合わせて教授の視線も左右に動く。


「ふむ、全く覚えが無い。重要な奴はその箱には入れなかったはずだし」

「開けちゃうよ、みら兄ィ」

「うむ」


 立ち上がって教授からハサミを受け取った鏡花は、封筒を開けて、教授の机の上に中身を取り出す。封筒の中には、英文の手紙と書類、ラベルの貼られたディスクが入っていた。

 それらを一通り眺めて、鏡花はぼそりと呟いた。


「全部英語かあ」


 彼女はディスクのケースを手に取ると、部屋の反対側に向かい、サーバラックの片隅に設置されたノートパソコンの蓋を開けた。小さな丸椅子に座ると、スリープ状態から解放されたパソコンで翻訳ツールを起動し、ラベルに記されている単語を打ち込んでいく。


「えーと、“枯渇世界”観測計画のクライアントプログラム、および、観測者用アカウント、それから……イベント、変更、モジュール」

「“事象改変モジュール”かな。思い出してきたぞ」


 手紙を読んでいた教授が顔を上げる。鏡花はケースからディスクを取り出すと、ノートパソコンのドライブに差し込み、ウイルスチェックを起動させてから、椅子を回して教授に向き直る。


「前の大学でやってた研究を元にした論文をいくつか発表していて、そのときの研究の成果を自分のプロジェクトに利用させてくれってメールが来て、許可したことがあった」


 教授は手紙を置いて腕を組み、僅かに首を傾けて天井を見上げる。


「確か、何年か経ってすっかり忘れた頃に、システムが完成したから接続用のプログラムを送るぜ、気が向いたら見てやってくれと返信が届いた」

「面白そうなのに、放置しちゃったん」


 鏡花も首を傾げる。ディスクと一緒に入っていた書類を手に取ったものの、専門用語が盛られた英文の前に、その手は一歩も進めずにいた。


「あの頃は、移籍やら引越しやらで慌ただしかったからなあ」

「ああ、そうなんね」

「きょーちゃんのこともあったしなあ」

「お手数おかけしまして」

「うむ」


 鏡花はノートパソコンの画面に目を向ける。チェック完了のメッセージを見て、結果を報告する。


「感染、警告なし。みら兄ィもデータ見るかい」

「もちろん」

「ではでは、コピーしてる間に残りを片付けてしまいますかね」

「うむ、任せた」


 共有ディレクトリにデータを丸ごと放り込んでから、鏡花は立ち上がってダンボール箱へと向かった。


 ◇


 鏡花と各務教授が棚卸しを終えて、英文読解に着手し始めてから一時間。研究室の扉が開かれ、茶色のビニール袋を両手に提げた体格のいい青年が入ってきた。


「教授ー、弁当買ってきたさー」

「ああ、ありがとう」


 院生の佐々木ささきは教授に声をかけて、会議用の長机の上にビニール袋を置いた。そして、手の付けられていない掃除用具に気付いて、溜息をつく。


「教授は和風ハンバーグでしたよね……って、大掃除も先に始めとくって話だったのさ」


 声をかけられた鏡花と教授は顔を見合わせ、壁の時計を見て揃って苦笑した。


「ありゃ、もうこんな時間」

「少し熱中し過ぎたかな。休憩しようか」


 長机の方から漂う匂いにつられるように、教授は自動翻訳の洗礼を受けた書類のコピーを手に持ったまま、立ち上がって長机に移動する。掃除用具を床に置き、弁当を並べていた佐々木は、後からやってきた鏡花に向って疑念を口にした。


「でもって鏡花君、何があったのさ」

「掘り出し物を見つけちゃって。これなんだけども」


 佐々木は席に着いた鏡花から書類を受け取ると、内容を読み上げ始める。


「エネルギー資源の枯渇による世界情勢への影響を予測するシステムを構築するための、“枯渇世界”観測計画……って、地球シミュレータってことかな」

「みら兄ィと手分けして読んでたんだけど、前半部分には計画の目的とか意義とかがくどくど書かれてた」

「ああ、出資者向けの文章かい」


 佐々木が書類を捲るペースが上がる。半分まで読み進んだところで、教授が口を開いた。


「後半は僕が読んでみた。稼働からのタイムスケジュールには、資源枯渇を引き起こすために発生させる予定のイベントが記されている」

「自然災害に人災事故、テロに内紛、おまけにネットワーク・クライシス、ねえ。まあ、全くあり得ない内容でもないのさ」


 佐々木の言葉に、教授と鏡花も頷く。


「その後には、システムの概要、観測可能な事象の一覧、バージョンアップの予定などが書かれている」

「盛り沢山ですな。しかし、これを実現するなら量子コンピュータが来いって内容だと思うわけなのさ」


 再度、各務教授は頷いた。


「十五年前に、地球規模の観測、それに加えて実時間の百倍の時間経過。せいぜい環境問題啓蒙ゲームとして世に出せる程度の出来ではないか、というのが僕の予想なのだけれど」


 教授はそこで口を閉ざすと、机の上の割り箸を手に取った。


「とりあえず、冷めないうちに昼飯にしようじゃないかね」


 ◇


 昼食の後、一同は大掃除の無期延期を満場一致で決定し、それぞれの作業に取り掛かった。


「それじゃ、クライアントプログラムのインストールとマニュアルの翻訳は、二人に任せたからね」


 教授はそう言って、棚卸しの報告書を事務局に提出するため、研究室から出て行った。佐々木はディスク内にあった説明書を翻訳しながら、鏡花にインストールの手順を指示している。鏡花は自分用のノートパソコンではなく、共用のデスクトップマシンで作業を行っていた。


「インストール完了、最新パッチのダウンロード開始。てことは、まだサーバは生きてるのね」

「ある程度は成果を上げたってことか。えーと、パッチ当たったら初期設定が始まるはずなのさ」

「はいな」


 鏡花は少しずつ進んでいく進捗状況の目盛りを眺めるのを止め、パソコンに接続してある赤い筺体の携帯電話を手に取った。研究用に購入してあったそれは最新式のスマートフォンで、いくつかの改造が加えられている。


「あ、またファームウェア変わってる」

「渥美君がモーションセンサー周りを改善するとか言ってたのさ」


 液晶に表示されている“各務研カスタム”の文字をなぞると、画面がアイコンによるメニュー表示に切り替わり、一瞬の間を置いてそれらが立体的に浮かび上がった。鏡花の人差し指がアイコンを押そうとすると、指の動きに合わせてアイコンが逃げるように移動した。


「いや、これメニュー選べなくないかい」

「終了ボタンでちゃんとしたメニューに戻るって」

「はいはい、どう見てもネタアプリです」


 メニュー表示に偽装したアプリケーションを終了してから、スマートフォンを充電器に戻す。鏡花はディスプレイを見て、バージョンアップの状況を確認する。


「パッチ終わり。メールアドレスとかは、実験用のサブで行きますですよ」

「ほいさ」


 佐々木の指示に従って、各務教授のために用意されていたアカウントの基本情報を登録していく。


「対話用アカウントはどうすればいいのかい」

「マニュアルに書いてない。確か、バージョンアップでネット通話に対応するとか書いてあったから、そのアカウント入れてみるとか」

「じゃ、私ので……次、対話用インタフェース装置」

「それはあったはず……えーと、観測代行者とのコミュニケーションに用いる装置の指定、って曖昧なのさ」

「物理アドレスと、画像か三次元情報があればいいみたいだから、これにしておきますかい」


 鏡花は、充電器に戻したばかりのスマートフォンを指し示す。


「ああ、それだったらモデルデータもあるな」


 スマートフォンの情報を指定された形式に変換し、引き続き設定を行っていく。


「観測基準座標。初期値は……岩手県南部って、みら兄ィの前の職場ですのう」

「GPS情報送れば、後で変更できるっぽいのさ」

「なら、とりあえずこれで」


 鏡花が設定完了のボタンを押すと、画面が切り替わる。白いウインドウには、数行のメッセージだけが表示されている。


「観測時差プラス三六一七二五日。時間経過比一万パーセント。接続中観測者一名」

「他には誰も繋いでないってか。ぼっちなのさ」

「メニューは“代行者選択”だけ選べるみたい」


 グレー表示のメニューの中でひとつだけ選択可能なメニューを横から覗いて、佐々木はマニュアルを検索する。


「代行者選択。観測基準の周辺、半径およそ一千フィート以内の人物を、観測代行者として指定する。代行者には対話、観測用インタフェースが与えられる。選択完了後、観測基準はインタフェースに固定される……とか何とか」

「いいからやってみろってことですね」


 鏡花がメニューを選択すると、画面に検索中の文字列が点滅し始める。


「時差がプラス三十六万日ってのは、年に直すとどれくらいなのさ」

「九百九十年と四ヶ月、くらい」


 計算を済ませていた鏡花は、結果を佐々木に伝える。


「ふむ。十五年前にエネルギー資源枯渇イベントが起きた、という設定で始めてから、およそ千年後の世界を予測しようって話だと……」


 画面上のメッセージが切り替わる。鏡花は文章を翻訳ツールに打ち込んで、結果を読み上げた。


「……範囲内に選択可能な代行者が存在しません」

「人類滅亡、って落ちも否定できないのさー」

「ぐぬぬ……」


 鏡花は肩を落として俯くが、すぐに顔を上げてスマートフォンを手に取った。


「内地の人たちは衰退しました」

「ああ、うん。観測基準の変更方法か。調べてみるのさ」


 ◇


 事務局から戻ってきた教授が、佐々木から結果を聞いて腕を組む。


「残念、北海道も無人の地ということかね」

「いや教授ー、三百メートル以内に人が居なかっただけ、という可能性もまだ否定できないのさ」


 教授が戻ってくるまでの間に、スマートフォンを持って大学の敷地内を一周してきた佐々木が、汗を拭きながら反論する。


「なるほど。それできょーちゃんに携帯を持たせたわけか」

「政令指定都市でも駄目ならひとまず諦めようってことで」

「どうせ大掃除終わったら外に出る予定だったし、ついでに千年後の世界に人類が生き残ってるかを確認してくるのですよ」


 ジャージ姿から私服に着替えた鏡花は、赤い携帯電話を持った手で敬礼する。彼女は教授からバイト代を受け取った後、電車で二十分の距離にある街に買い物に行く予定だった。


「そんなわけで、調査任務に行ってきますよ」

「ってか、おい。登録名、ミラになってるぞコラ」

「げえっ、もうバレた」


 鏡花は携帯電話を鞄に仕舞うと、研究室から飛び出した。階段で転ばないように気をつけながら、鞄からカードキーを取り出す。

 廊下を速足で歩き、出入口の扉まで辿り着いた彼女は、認証機械で退館記録を行ってから扉を開ける。

 夏の日差しに熱せられた外気が隙間から入り込み、鏡花の体にまとわりついた。


「……あっつ。熱暴走するっての」

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