13 “消失”
共有マシンの観測画像にノイズが入り、次々に暗転していく。
「ちょ、渥美さん、これ!」
「ああもう、サーバに負荷かけ過ぎだっつーの」
渥美は複数開いていた観測カメラのウインドウを閉じ、上空視点のみを残す。
続けて画像の更新間隔を一秒から五秒へと変更した。
「まだ安定しねえのかよ」
ノイズ交じりの画像には、赤い携帯電話を片手に構えながら拳銃を撃つ少年が写っている。
“Nidhogg-Z”という名前の黒い竜は、度重なる銃撃に痺れを切らしたように振り返りつつあった。
「でも、これなら倒せるんじゃねーか……」
「黒須君、もしもし!」
鏡花の携帯電話との通話が切断される。“枯渇世界”クライアントの情報画面に、赤文字の警告が表示される。
「佐々木さん、翻訳」
鏡花の横から画面を覗き込んだ佐々木が、英語の文章を読み上げる。
「“事象改変許容量を超えました。該当区画の全処理を強制終了します”」
共用マシンの横に置かれているスマートフォンの液晶画面から“術式”が消滅し、メニュー画面に切り替わる。
観測画像はそれ以上更新されることなく、暗転した。
「全処理を終了って、“枯渇世界”が止まっちゃったってこと?」
「ちょ、鏡花君、顔近いさ」
鏡花に詰め寄られた佐々木は、慌てて一歩下がる。
「とりあえず、“向こう側”の世界が消えてなくなるってことは無いから安心するのさ」
佐々木の言葉を、教授が補足する。
「“枯渇世界”は、並行宇宙の観測機だ。たとえ完全に停止したとしても、観測ができなくなるだけで、黒須君たちは消滅しない」
「……並行宇宙?」
教授は首を縦に振る。
「地球の歳差運動も考慮した天体情報、緻密な自然環境、それに独自の理論に基づいて復興しつつある文明。それらをシミュレータで再現しているのではなく、実際に存在する“別世界”を観測しているんだ」
◇
「あかんね、代行者とのリンクが切れてて、観測機能が使えねえ。再接続ってどうやるんだ」
渥美の言葉を聞いて、佐々木は自分のマシンに戻って操作説明のドキュメントを検索し始めた。
「“リンク”“再接続”……これか。インタフェースの座標情報を代行者の座標と合わせることで、自動的に再接続処理が行われる」
「座標を合わせるっつーと、“各務研カスタム”を函館に持ってけってことですかい」
「まあ、意味としてはそんなとこだろうさ、でも──」
「佐々木さん、またメッセージが出てます」
鏡花に言葉を遮られた佐々木は、困惑した顔で席を立つ。
「渥美君でも翻訳できるだろうにさ……えーと。“即時対話機能が無効になったため、観測機の時間移動演算を再開します”」
「えーと、つまり」
左右から画面を見ながら首を傾げる鏡花と佐々木に対して、渥美は黙ってウインドウ上の一点を指し示す。
時間経過比一万パーセント。鏡花が暗算結果を口にする。
「こっちの一分が百分、一時間が約四日、一日が三カ月ちょっと」
「……んー。ちょっとまずいんじゃねーの、それ」
渥美の言葉を聞いて、鏡花は彼の両肩を掴んで前後に揺らす。
「まずいじゃん、はやく函館に行ってリンクを復活させないと」
「は、羽村ァ、お前さ、そこまで、何時間かかるか、わかっとるん、かよッ」
手を止めた鏡花は、自分のデスクで状況を聞いていた教授に顔を向ける。
「みら兄ィー」
「寝不足で車運転するのはちょっとなあ」
「俺も今からバイクでってのは遠慮ッ、羽村、揺らすな」
再び渥美の上半身を揺らし始めた鏡花の頭に、佐々木の右手が乗せられる。
「いや、だからさ、ファームウェアいじればいいだけじゃないのさ」
◇
自分の席に強制移動させられた渥美がファームウェアの改造を始めた後、鏡花は丸椅子に座り、教授の言葉を待っていた。
「さて、今のうちにいろいろ説明しておこうと思うんだが、どうしたものかな」
「……とりあえず、“枯渇世界”に“ニーズヘッグ”がいる理由を」
各務教授は頷き、腕を組んで話し始める。
「五年前、経過観測を終えて解散した“枯渇世界”プロジェクトから、とある会社がサーバの管理を引き継いだ。“枯渇世界”の再現度の高さに目を付けたその会社は、残念ながらその正体には気付かなかった。そして、“事象改変モジュール”を利用して、想像上の怪物が現実世界にどれだけの被害を与えるかというシミュレーションを行ったんだ。で、そのために北海道に出現させた怪物が──」
「“ニーズヘッグ”と」
「あー。今の話からすると、その管理会社イコール、初代“ドラゴンズ・ワイルド”の開発会社てことすか」
渥美が視線を上げて言葉を挟む。
「うむ。今はもう潰れてしまっているけどね。つまるところ、諸悪の根源は既に存在していないのだ」
「今もサーバが動いてるってことは、誰かが管理してるんすよね……おっと」
鏡花の視線に気付いて、渥美は慌てて作業に戻る。
「もちろんその通りだが……渥美君も気になってしまうようだし、後は全部終わってからの方がよさそうだね」
◇ ◇ ◇
新年を迎えた開拓者の街は、例年以上の活気に満ちていた。
“陸竜”撃破の知らせは数日で国中に知れ渡り、街に運び込まれた残骸を一目見るために、本土から海を渡ってきた旅人の姿も増えてきた。
星形の砦の見張り台から街を見下ろしながら、クロスは何日か前のあの夜のことを考える。
◇
セキからの指示を受け、クロスは移動しながら“黒竜”の首に攻撃を集中させた。
百回を超える銃撃の繰り返しが“黒竜”の鱗を弾き飛ばし、肉を削ぎ始めたとき、“黒竜”は攻撃目標をクロスに変え、その直後にすべてが終わったのだ。
背中から放電を始めていた“黒竜”は跡形もなく消滅し、“代行者の証”やセキが街から運んできたクロスの父親の“大型盾”、そして、“銃”やセキの車も起動しなくなった。
移動もままならず、廃墟の中で一晩を過ごした二人は、ようやく動くようになった車で街へと帰還した。
クロスの上着の中には、まだ沈黙したままの“証”がある。
どんなに呼びかけても何の反応も無いということは、無茶な使い方をして壊してしまったのだろう、と彼は考えている。
◇
どこからか漂ってきた炊事の匂いに、クロスは意識を引き戻される。
昼飯をどこで食べようかと考えながら、カミオカにあるという世界干渉機に向かって、彼は一言、呟いた。
「キョーカのおかげで、ハコダテは助かったぜ」