11 “解析”
火曜日。午前中に家事を済ませた鏡花は、研究室で“複写”実験の結果を聞いた後、私用のノートパソコンで学校の宿題に取り掛かっていた。
夕方近くになって顔を出した渥美は、共用マシンのディスプレイの電源を入れ、首を傾げた。
「あっれ、テント写ってねえな……ってか、移動してんのかこれ」
「なして」
観測情報を切り替え始めた渥美の横で、鏡花は携帯電話を取り出す。呼び出しから十数秒、通話状態になった携帯電話から、少年の声が響く。
『悪い、キョーカ。今は、急いでる』
通話は切れ、赤いスマートフォンの液晶画面には再び地図が映し出された。
上空からの観測画像に切り替わったウインドウの中で、ランタンのわずかな光を頼りに、バイクは走り続けている。
渥美はスマートフォンに表示された地図を見ながら、鏡花に現状を説明した。
「内浦湾を回り込んで国道五号を南東に移動中か。昼間ほどの速度は出てないけど、かなり危ない運転だわ。また熊にでも追われてんのかね」
「んー。電話には出そうもないし、何があったかはログ調べるしかないですか」
鏡花の言葉に、渥美は頷く。
「それは任せた。こっちは観測カメラ追加して、状況を確認してみるぜ」
◇
「高度限界三百メートル、視点は下を向けて……ああ、解像度悪ィ……駄目か」
渥美はぼやきながら、右手で自分の頭を叩いた。暗闇を映すウインドウの中央に、かすかな灯りだけが見える。
鏡花は私物のノートパソコンで、観測画像を過去に遡っていく。
「夕方からずっと走ってるみたい。旧道を抜けて、一度止まった後、うーん」
上からの画像を拡大させながら、鏡花は呟く。
「黒須君が海の方を指してる。走り始めたのはこのすぐ後かな」
「同じ時間、横からのカメラの画像見せてみ」
渥美の言葉に従って、鏡花は指定された画像を開いた。渥美は振り返ってノートパソコンを覗き込む。
「海というより、空を指してねえか」
「今進んでる方向ですよね……追われてるんじゃなくて、追いかけてるのかな」
渥美は共用マシンに向き直り、観測カメラの数値を調整する。
「高さは維持、視点は南東方向、水平に……何ぞこれ」
暗かった画面に、紫色の光が映し出される。所々に積もった雪や、葉を落とした木々が、淡い光に照らされている。
「……山の向こう側、何か明るくないですかい」
渥美の声に振り向いて観測画像を見た鏡花は、左端の一点を指し示す。紫色の光が一際強いその場所は、橙色に染まっていた。
「バイクがもうちょい先に進むまで待つしかねえな」
渥美はカメラの方角を直しながら、更新される画面に集中した。
◇
それは、巨大な蜥蜴だった。
橙色に鈍く輝く鱗に覆われ、背中に黄色い鬣を持ったそれは、山間に建っていた三階建ての建物を薙ぎ倒し、木々を踏み潰している。
映し出された画像を見て、渥美が思わず声を漏らす。
「これ……“ニーズヘッグ”じゃねえか」
「なして北欧神話ですのん」
首を傾げた鏡花に、同じく首を傾げながら渥美は答える。
「初代“ドラゴンズ・ワイルド”のエクストラ級モンスター。全長百メートル、体当たりやプラズマ球で周囲を攻撃する。高速再生持ちで、ネットワークを使った軍団ハントが前提。自分は倒せてねえ」
「……なしてここでゲームの話ですのん」
「知らねえってばよ……」
二人は沈黙する。五秒ごとに更新される観測画像は、バイクの移動と共に離れていく巨大蜥蜴の姿を捉え続けている。
「……黒須君たちは函館に向かってるんですよね」
「五号から逸れてないから、多分な」
「ってか黒須君の言ってた“陸竜”ってアレですよね。進行方向同じですよね。ヤバくないすか」
「このままならな」
再び沈黙。鏡花は丸椅子の上で膝を抱え、膝の上に顎を乗せた。
「どうしましょう」
「まあ、函館滅亡エンドかね」
渥美の背中に右手でパンチを繰り出す。反動で丸椅子が時計回りに回転する。
「黒須君とか、関さんとか、園耶さんとか、困っちゃいますよね」
「“向こう側”の話、だけどな」
もう一度パンチ。回転しながら、左手の携帯電話で新規メール作成。宛先は“黒須流人”。本文を打つ指を止めて、渥美に問いかける。
「“ニーズヘッグ”、倒してみたいとか、思いませんかい」
「あー……それは思わんでもないけどね」
渥美は苦笑を浮かべながら、言葉を続ける。
「そこまでやるってんなら、教授の許可と、“黒須君”の協力が必須だぜ」
◇
メールを送信した後すぐに、鏡花は教授の携帯電話に発信した。呼び出し音は数回目で途切れる。
『何かな、きょーちゃん』
「“陸竜”を倒したいのです」
『……いきなりだね。緊急事態なのかな』
鏡花は頷いて答える。
「黒須君が、というか、函館がピンチです」
『うーん……確証が得られるまで、あまり影響の大きいことはしたく無いんだが』
「シミュレータだからって、放っとけないってば」
歯切れの悪い教授の言葉に、鏡花は声を荒げた。数秒の沈黙。
『ふむ。相手が誰であれ、何であれ、助けたいと』
「ここで何もしないのは寝覚めが悪いってゆーか。まあ、何かできると決まったわけでもないけど」
『……時間はどれくらいあるのかな』
鏡花は渥美に視線を向けた。
「正確には何とも言えない。二日は無いぜ」
「一日とちょっと」
『……仕方ない。僕たちはこれから羽田に移動する。空席があれば今日中に戻れると思う』
「え、いや、そこまでは、」
『“枯渇世界”はシミュレータじゃないかもしれない』
鏡花の言葉を遮って、教授の声が響く。鏡花はもう一度、渥美と目を合わせた。
「みら兄ィ、さすがにそれは……」
『きょーちゃん』
「はい」
鏡花は思わず背筋を伸ばした。
『黒須君も、その周りの人たちも、“枯渇世界”も本物だと考えて。助けたいと思ったなら、全力でやるんだ』
赤いスマートフォンの液晶画面が切り替わり、彼方に見える“陸竜”を捉えた。
「データ保存中……終わった。確認するぜ」
「あ、はい、お願いします」
『じゃあ、また後でね』
“枯渇世界”クライアントのデバッグツールに“陸竜”のオブジェクト情報を読み込ませた渥美は、腕を組んで考え込む。
「“向こう側”が本物なら、こっち側が偽物かよ……って、ねーな」
「みら兄ィは東京で何か調べてたのかな」
鏡花は教授のデスクに置かれている英語の論文に目を向けた。
「考えても仕方ねえし、今できることをやるだけっしょ」
右手をマウスの上に置き、読み込み完了のダイアログを消して、渥美は作業に取り掛かった。
「オブジェクト名は“Nidhogg-E”。後にくっついてるのは本体のプログラムコードか」
「“事象改変モジュール”の産物ってことで、いいのかな」
渥美は頷く。コード部分を分割して保存した後、鏡花のノートパソコンに送信する。
「“事象改変”のコードを読めるのは羽村と先輩だけだから、解析は任せた。自分は“ニーズヘッグ”の攻略法を当たってみる」
「はい」
◇
日付が変わる直前になって、研究室のドアが開き、キャリーバッグを引っ張りながら各務教授と佐々木が入ってきた。
「ただいま」
「状況はどうなのさ」
「“陸竜”がその巨体を維持するために、十秒ごとにサーバと通信している部分を、《自己再生機構/リジェネレータ》と名付けましたー」
「貫通力極振り改造の重火器装備した砲手をローテーションして戦うのが基本っぽいすわ」
「……ちょっと落ち着いて話をしようか」
右手で眉根を揉みながら、各務教授は長机の椅子に座る。荷物を置いた佐々木が隣に座り、鏡花と渥美も移動して対面に座った。
「メールでも伝えた通り、まずは“陸竜”を倒すことが最優先でいいね。僕からの説明は後からするってことで」
教授の言葉に、三人は黙って頷く。
「第一に“陸竜”の解析。コードや性質、行動パターンに脆弱性が無いかどうかを調査する。きょーちゃんがやってるようだけど、どうかな」
「まだ細かい部分は見れてないです。本体は十六の独立した部品をひとつのオブジェクトとして管理していて、行動パターンとかはそれぞれの部品に定義されてる感じ」
「さっき言ってた自己再生機構というのは何かな」
「“事象改変モジュール”を使って生成したオブジェクトは、何もしないと短時間で消えちゃうという前提があります」
鏡花は“複写”を使った際の観測画像のプリントを長机の上に置いた。
「ふむ」
「マニュアルによると、オブジェクトを“枯渇世界”に定着させるための“安定化ライブラリ”というのがあって、普通はそれをオブジェクトに内包する形で生成すればおっけーなんだけど」
鏡花はそこで言葉を区切って、他の三人の理解を待つ。
「ふむ。先をどうぞ」
「“陸竜”の場合、それだけだと大きすぎて自壊するみたいで、サーバから本体の形状を呼び出し続けて維持してる感じ」
「はー。えらく泥臭いことやってるのさ」
佐々木が呆れた声を出す。
「今のところ、突けそうな穴とか弱点とかは見つかってません」
ふむ、と教授は腕を組む。
「きょーちゃんは佐々木君と一緒に解析を続けてもらうとして、渥美君の方から補足することはあるかな」
「“陸竜”が函館市街地に到達するのは、およそ四十時間後。代行者のお二人さんは、見張り小屋らしき建物で烽火を上げた後、休憩してます。それから──」
渥美が差し出したのは、“陸竜”の観測画像と“ニーズヘッグ”のスクリーンショット。
「外見はほぼ同一。行動パターンも同じだったら、予備動作を元にした回避手順をまとめられるとは思うんですが、ゲームと違ってボタンひとつでローリング回避、って訳にはいかんですからね……」
「その辺りは解析を進めながらだね。渥美君にはちょっと休憩していてもらおうかな」
教授の言葉に、渥美は少し思案した後、右手を軽く挙げる。
「なら、ちょっとクライアントプログラムを調整しててええですか」
「ん、何か気になることでもあったかな」
「熊と遭遇したときも複写実験のときも思ったんですけどね。観測が五秒間隔だと、リアルタイムのやりとりが音声頼りになっちまうんで、その辺をなんとかしないと戦闘は厳しいかなと」
「なるほど。なら、渥美君はそっちの方向で。みんな無理せずに、休憩をとること」
それだけ言って、教授は席を立つ。他の三人も立ち上がると、それぞれのマシンの前へと向かった。
◇
研究室の窓から見える空が白みがかってきた頃、四人は再び長机に移動していた。
「通常モードでは、休眠期間を挟みながら常に直進。水深が一定以上の海や湖があった場合、十五度単位で右に方向転換。で──」
「ん、おかしくね」
立ち上がって報告する鏡花に、渥美が口を挟んだ。地図を印刷した紙の上を指でなぞりながら、言葉を続ける。
「右折するんなら、函館までは来ないんじゃね」
「多分、戦闘モードになったんじゃないかと」
鏡花は手に持っていた紙を、全員が見えるように机の上に置く。
「敵性存在を発見すると、一時的に行動パターンが変化します。各行動の詳細は未確認ですが、ラベルが残ってたんで、そこから推測してチャート化しました」
“方向転換っぽい”“攻撃動作その一”などの単語が記されたいくつもの枠が、矢印で結ばれている。
「あー。んじゃ、攻略動画と比較してみるか」
「ですね」
鏡花が座った後、佐々木が立ち上がる。
「“陸竜”の構造周りでは、弱点らしい部分は無し。硬い外殻の隙間を狙って中身を攻撃すれば、と思ったら、中身が無かったのさ」
「中身が無い、ってゆーと……」
「遠隔操作のハリボテ、といった感じかな」
「じゃあ、やっぱり部位ごとに破壊していくしかないってことですかね」
渥美の言葉に、佐々木は首を横に振る。
「ゲームのようには行かないかな。十六の部品が冗長性を持っていて、一つでも残っていれば自己再生なんとかで全体を復元できるようになってたさ」
そこまで言って、佐々木は椅子に腰かける。
「形状データを自前で持たずに毎回サーバから拾ってくるんで、部品全てを一気に破壊されない限りは無敵ってこと」
「何すかその無理ゲー」
「まあ、その分、移動速度や反応速度については難ありだけどさ」
「……ふむ。存在を確約する“祝福”を与えられた存在といった感じか。まったく見事な“天災”だね」
三人の話を黙って聞いていた教授が感想を述べる。その対面では、鏡花が目を閉じて、思考を続けていた。
「でも、それなら、うーん……」