10 “発見”
エンヤの宿で一晩を過ごしたクロスとセキは、翌朝早くに出発した。
峠を越えて海まで戻り、北西にしばらく進むと、道路は少しずつ山地へと入っていく。道の先、切り立った山肌に隧道の黒い穴が見えてきたところで、セキは速度を落として身を乗り出した。
「おっと、そろそろか」
「ええ。ここからは山道ですね」
クロスは“証”の案内機能を終了させ、手書きの地図を表示させる。
「左側、赤い布を巻き付けた標識が目印です」
そう言った直後に、クロスは右手を対象物に向けた。
「あれです」
「よし」
道路の中央付近を走っていた車が向きを変える。錆びついた防護柵の間を通って、歩道の段差を超えて細い山道に入っていく。
葉を落とした木々の間をある程度進むと、山道は海に面した斜面に沿うように右に曲がる。クロスが側車の左側を窺うと、路肩に積まれた石垣のはるか下方に波飛沫が見えた。
「この道も、きっちり整備、して貰いてえ、なァ」
小石や枝を踏み飛ばしながら進む車に揺られ続け、セキは愚痴をこぼした。
「ま、“陸竜”がどうにかならねえと、いつ潰されるか、わかんねえんだけどよ」
クロスは無言で頷く。“証”を持つ彼の左手に、少しだけ力が込められた。
◇
ふたつ目の隧道を迂回する山道の途中、少し開けた場所で、二人は休憩をとっている。
宿を出る際にエンヤから渡された弁当の包みを開けつつ、クロスは“証”から聞こえる声に耳を傾ける。
『やっぱり、トンネルは塞がっちゃってるのね』
「だから、船を使う方が楽なんだけどな。そうやって誰も通らないと、荒れちまうから」
『なるほど』
霧がかった海を眺めながら、クロスは握り飯を口に運んだ。
『でも、車や船が作れるなら、飛行機も行けそうなんだけど』
「師匠が言うには、出力が足りないんだってさ。“術式”を重ねていけば理論上は行けるはずなのに、ある程度以上に増えると“術式”が起動しなくなるらしい」
『キャパシティの問題かな。並列処理できる数に制限がかかっているとか』
「気になるなら、中央に戻ったときに詳しく聞いてみるよ」
ぜひお願い、という通話相手の言葉を聞きつつ、干し肉をかじる。
『そういえば、“複写”の実験はどんな感じだったかしらん』
話題を変えた通話相手に対して、クロスは前日の夜の記憶を引っ張り出す。
「水を入れた湯呑みで何度か試してみた。水の量を変えると、複写された湯呑みに入っている水の量も変わった」
『つまり、複写した時点の状態は完全に再現される、ってことね』
「あと、複写した短刀で薪に傷をつけてみたが、傷は残り続けたな」
『複写した品物が消えても、与えた影響は残る、と。ふむ──』
通話相手が考え込み始めた気配を感じて、クロスは水筒に伸ばしていた手を止め、口を開いた。
「で、実験の後に師匠と姐さんと相談したんだけどさ」
『──ん、何かな』
「俺たちが中央に戻って直接報告するまで、この“術式”や“証”については秘密にしておきたいんだが、問題ないか」
『あー、うん、そうだね。確かに、大っぴらに話をする前に、きっちり調べた方がいいと思うよ』
◇
山道は長く、日が傾き、空の色が変化し始めた頃になってようやく、二人を乗せた車は山地を抜けて麓へと辿り着いた。
再び舗装道路を走り、南方に前文明の市街地を望む高台まで移動したところで、セキは車を止める。
「毎度のことですけど、やっぱり厳しいですね」
「今日はもうこの辺でいいだろ」
把手から両手を離し、手首を振りながら、疲れた声でセキが言う。“証”で地図を確認していたクロスは、顔を上げて口を開いた。
「このまま行けばあと一日二日で帰れそうですし、無理に下まで降りる必要は無いですね」
「だな」
「でも、また“陸竜”に起こされた熊とか出ませんか。山が近いですけど」
一日を費やして越えてきた山地を振り返り、クロスは呟いた。
「“陸竜”もどこにいるか分からないですし……」
「もうちょっと暗くなれば、オーロラで分かるけどな」
「初耳ですよ」
車から降りたセキが、柔軟運動を始めながら言葉を続ける。
「言ってなかったっけな。奴が通った場所の上空は、丸一日くらい紫色の光が残るんだよ」
それを聞いて、クロスは空を見回し始めた。
「奴に近いほど光は強くなるから、すぐ近くにいるならこの時間でも見えるかもしれねえな、っと」
反らしていた上体を起こしたセキは、南の方角を見つめるクロスに気付いて声をかけた。
「ん、どうしたよ」
クロスは右手を上げ、南東の方角、半島の先を指差した。
「……あれ、夕焼けですか。それとも、オーロラですかね」
◇
側車の前に据え付けられた洋灯が、開拓者の街へと通じる道を照らしている。
クロスの左手に握られた“証”は、案内機能によって周辺地図が表示されている。
「橋を越えたら左折です。そこからはしばらく直進で」
「おう」
青から黒へと変化した空に変わらず浮かぶ紫色の光は、それがただの自然現象ではなく、危機を知らせるものであることを意味していた。
「なんでアレがハコダテに向かってるんだ」
わずかな光を頼りに車を走らせるセキが毒づく。
「今の装備じゃ注意を引くのも無理、街に先回りして避難させるしかねえか」
「そんな。ハコダテが潰されたら、半島の開拓が……」
「待て、何かいる」
言葉を交わす二人の前方、舗装道路の脇に、焚き火の光が現れた。焚き火の側には座り込んでいる人影がひとつと、四輪の車が見えてきた。
セキは焚き火の近くで車を止め、うずくまっている人影に声をかける。
「おい。生きてるな」
「……ああ」
中年の男が顔を上げ、憔悴した声で答える。
「“陸竜”が街に向かってるってのに、何で知らせに戻らねえんだよ」
「車が動かねえんだ。若いのともはぐれちまったし、街に戻ったってどうせ……」
呆れたように首を振ると、セキは質問を続けた。
「大体想像つくが、何やらかしたよ」
男は黙り込む。セキが問い詰めようと腰を上げたとき、四輪車の陰から雪狼の毛皮を被った青年が現れた。
「お前、雇われた案内人か」
「はい……魔獣狩りの新人が、“陸竜”の後ろで“火炎砲”撃っちまって」
セキは空を見上げ、右手で顔を押さえる。
「で、このザマってか。その新人はどうした」
「向きを変えた“陸竜”に跳ね飛ばされて、行方不明ですわ」
「“火炎砲”も一緒にか……しゃあねえ。なんとか見張小屋まで走って、街に知らせる」
セキの言葉に、青年は頭を下げる。
「お願いします。こいつは俺が連れて戻るんで」
車は再び暗闇を走り始める。側車に座ったままのクロスは、唇を噛み締めた。