第7話
誰とも目を合わせられない。
まるで自分で立っている感覚はなくて、頭の中は熱を持ったようにぼんやりとして。
取り繕って浮かべる愛想笑いは引きつり、けれど誤魔化しきれていると安心していた矢先、隣に座る先輩に「大丈夫?」と声を掛けられた。
「あ……え、あ、はい」
あたしの要領を得ない応答に彼女は眉間に皺をつくり、ふとキーボードを打つ手を止める。そしてくるりと椅子を回転させてこちらを向くと、あたしの机の上をバンバンと軽く叩いた。
「休んでらっしゃい」
綺麗な指が、ドアのある方向を指す。この先輩は厳しいながらも後輩のことをよく見ていて、だからこそいつも休憩を、ある種無理強いするのだ。
かつて何度となくお世話になった。あたしも、彼も。
けれどそんなありがたい申し出に、あたしは首を横に振った。
「これ、入力し終わってからじゃないと」
「10分前からほとんど進んでないのに? いつものあなたなら今の十倍速でやって、もう8割方終わってる頃でしょ」
「いえ、でも……」
「いいから休んできなさい。どうせ休暇もぎ取るために色々詰めてるんでしょう? こっちが終わったらそれも請け負ってあげるから」
優しさに、瞼がひどく痛んで、重くなる。
――でもその休暇、要らなくなるかもしれないんです。
そう言えてしまえれば楽なのに。余計なことを考えたくないから1人になりたくないんですって、そんな風に素直に言えればこんな風にぐちゃぐちゃにならずに済んだかもしれないのに。
それでも、それ以上迷惑は掛けられないとこくりと頷くと、先輩はあたしの頭をぽんぽんと叩いて元の作業に戻っていった。
あたしはおもむろに席を立った。
周りはちらりとこちらに視線を寄越したけれど、次の瞬間には何事もなかったかのように元の位置に視線を戻す。
ぐらりと、視界が揺れる。
足が地面に着いている感覚はなく、誰かがあたしの名前を呼ぶ声はとても遠く聞こえた。
――ヤバい。
思った次の瞬間には、身体は言うことを聞かなくなっていた。
『珠希?』
ぼんやりとする意識の中、聞き慣れた低い声が耳を打った。
あたしはその声に縋ろうとして手を上げ、はっとそれを戻す。
「……いや」
呟いた言葉は細い。
けれどその言葉を打ち消すように、頬をなぞる手の感覚を捉えた。
『珠希』
声は甘く耳の中に溶けて、あたしは今にも沈み込んでしまいそうな思考を必死に押し止める。
「……行かないでよ」
『どこにも行かない』
「うそつき」
『嘘なんか吐いてない』
「じゃあなんで……!」
――自分の声が、頭の中で響き。
そしてあたしは目を開き、その先に見覚えのない白い天井があり、それを背にして見覚えのある顔が心配そうにあたしを覗き込んでいることに気が付いた。
「俊典……?」
応えるように、彼があたしの髪を撫でた。