第4話
彼の仕事が忙しくなって、最近めっきりヒマになってしまったアフターファイブを麻里を巻き込むことでどうにか潰そうと画策していたあたしは、その日も彼女を引き摺るように会社のエントランスを歩いていた。
「ちょっとー。わたしだって毎日毎日暇な訳じゃないんだからね。逆ナンもしなきゃいけないし、ホストにも貢ぎにいったりとか……」
「いいじゃない、付き合ってよ。ほら、この間の危ない話とかも聞かなきゃいけないし」
「余計なお世話じゃ。どうせ遠恋中の女は毎晩缶チューハイで淋しく晩酌して眠りについてますよ! それがどうした!」
「自棄になるな二十六歳独身女。いいから話きくから付き合って!」
「残り少ない独身の夜をエンジョイしたいのは分かるけどさー」
「……あんた、それ嫌味?」
「嫌味には嫌味で返すべきでしょ」
にやりと、いつものように綺麗に唇を歪めて微笑んで見せるその顔が、似合いすぎてて気持ち悪い。
「あんたホント、悪役似合いそうな美人顔だよね」
「ほら、男って危険な香りに誘われるって言うじゃない」
「……自分で言う?」
「だって本当のことでしょ?」
軽く冗談を返してくれる、今はこんなノリが嬉しかった。
もちろん賢しい麻里は、あたしがそれを望んでいることを知っているからこうしてぽんぽんと言い返してくれる訳だし、こんな時あたしはいい友達を持ったな、と実感する。高校・大学とある程度仲のいい友達は結構いたけど、あたしをここまで理解してくれる子はいなかった。だからこそたったの四年間で親友っていう称号がついている訳だ。
――彼女は分かっている。あたしが言葉に出している以上に、今の状況に危機感を持っていること。
今までこんなことは一度もなかった。あたしのどこに惹かれたのか分からないけど、「付き合おっか」と告白とも提案ともとれない問い掛けをしてきたのは彼の方だし、付き合い始めてからは鈍いあたしでも分かるほど甘やかされてきた。女慣れしてる感は否めなかったけど。
だけど――だから、分からない。あたしは彼しか知らないから。
婚約指輪を渡されたのは、付き合い始めて二年が経った頃だった。彼と過ごす時間がごくごく自然になって、もう彼の部屋と自分の部屋の区別が付かないほど、彼の部屋にあたしのものが多くなっていた。
「もうさ、お前この家住んじゃえよ」
フローリングに座っているあたしに向かって、彼はソファに座りながらそれとなく言った。思わず、攣るほど勢いよく首を上に向ければ、彼は少し高い位置でくすくす笑っていた。
「何、そんなにびっくりすること?」
「てか……え?」
「『え?』じゃねぇよ。分かってないと思うけど、これ、一応プロポーズだから」
「え!?」
「お前………」
呆れたように苦笑をすると、着ているジャージのポケットから何かを取り出した。
「ほら」
小さな正方形の箱。中身は見なくても分かった。
「いいの、あたしで」
聞いた声は、もう涙交じりだった。彼は大きな手であたしの頭をくしゃくしゃにしながら言った。
「言ったろ。お前じゃなきゃだめなんだって」
思えばあの頃、彼の表情は一番柔らかかった。