第2話
とてつもなく綺麗な女の子。とてつもなく生意気な新人。
十月期の異動で、うちの課に配属される人間の情報を何とはなしに集めてみると、大体その二つに集約されていた。
噂好きな女の子たちの情報網は本当に凄まじい。遠慮無く利用させていただいてはいるが、自分はその網には掛かりたく無いとつくづく思う。
「お前、ホント嫌な奴だなぁ」
すっかり嫌煙家に押されて肩身もスペースも狭くなった本社八階の喫煙室で、そんな俺の話を聞いていた同僚の豊川は、笑いと煙を同時に吐き出した。天井の超強力換気扇に吸い込まれていく紫煙がゆらゆらと揺れて、俺はそれをボケっと見つめながら答えた。
「いや、考えても見ろよ。自分の噂話がキャッチされて、あっという間に網全体に広がっていくのなんて想像しただけでぞっとしねぇか?」
「するけどね? それにしてもお前だってその情報網の端っこにいるじゃんか」
「自分が組み込まれてるなら構わないだろ。問題は自分が糸じゃなくて、獲物になることだよ」
「だから嫌な奴だって言ってんの」
奴は人好きのする笑顔で、ケタケタと笑った。
いつも口元を歪めてしか笑みを表現出来ない自分にとっては、その満面の笑みはひどく羨ましいものだ。入社してから、同期のこいつとは気の置けない付き合いはしているが、いつ見てもこんな豪快な笑い方は真似出来ないと思う。
それで取引先に気に入られている、これがこいつの武器な訳だ。
とぼんやりしていれば、指の間に挟んだ煙草の先端が、だいぶ自分に近付いていた。
ヤバいと内心焦りながら灰皿に灰を落とすと、俺はそういえば、とかねてから疑問だったことを奴に尋ねた。
「なあ、うちの課から移動したのって葉山ひとりだよな? どうして二人も補充されるんだ?」
何か大きなプロジェクトを控えている訳でもあるまいに、営業区分の割り振りが為されているうちの課に、定員以上の人数が入ってきてどうするのか。しかも片方は扱いにくい生意気な新人だと言うし。
そんな愚痴を込めた言葉を横にいる人間は正確に理解したようで、奴は顔に苦笑いを張り付けながら、さあと首を傾げた。
「とりあえず、その綺麗な女の子の世話係ならお引き受けしてもいいけど、新人君はねぇ。お前の情報網は正確な訳だし、まあ来てからのお楽しみ、かな」
「いや、女の方だって分かんねぇよ。ピーチクパーチクうるさいのなら面倒くさい」
「ひゃー。お前って相変わらず、喰いまくってるくせに評価は厳しいね、女の子に」
「プライベートと仕事は別物だろ。それに喰いまくってる訳じゃない」
「えっと、半年前は受付の美久ちゃん、三か月前はA社の某キャリアウーマン、二か月前は秘書課の怜佳さん、そして今は絶賛フリー……」
「否定はしないが、二股掛けてた期間は全くないぞ」
「いやでも、よくそこまでとっかえひっかえ出来るよね、羨ましい」
「寄ってくるんだ、しょうがねぇだろ」
そう言い捨てて、俺は手の中に在った煙草を捻り潰して立ち上がった。奴も、いやー羨ましいとか何とか尚のこと言い募りながら、俺の後をついてくる。
喫煙室を出た目の前にある社食は、あと十分ほどで昼の休憩時間が終わるためにどこか慌ただしさを持っていて、俺たちはその中を、するりと慣れたように抜け出そうとした。
――眼に捉えたのは、ほんの一瞬。
女の子には珍しくひとり隅で座っていた美人が、トレーを持って足早に返却口へ向かう。その動作に揺れる長いポニーテールは、結んでいるにもかかわらず、そのしなやかさがありありと伝わっていた。
けれど、眼を奪われたのはその容姿にでも、髪にでも無く……その、何かに我慢したように口を真一文字に結んだその表情。
呆然と立ち尽くした俺は、豊川に「どうした?」と声を掛けられて初めて、自分が呆然と立ち尽くしていたことに気が付くほどだった。
「何? なんかあった?」
「いや、なんでもない」
「とりあえず、行くよ」
「ああ」
そして前を行く奴を追い掛け、俺はエレベーターに乗り込んだ。
実は超絶美人と生意気な新人が同一人物で、それがその食堂で見かけた彼女だったというのは、また別の話だ。