第10話(完)
「あ、ちょっとね、不機嫌王子をけしかけてみたのよ」
あたしがぶっ倒れてから、二週間。
親友は以前ここへ来た時と同じようにティーカップを傾けながら、飄々と言ってのけた。
「や、彼が宮部とのツーショットを見てむかっ腹を立ててるのには気付いたからさ、ちょっと同じことして反応見てみましょーって」
「だからって……」
「だって、あんた絶対言われただけじゃ理解出来ないわよ、恋人があの状況を見てどうとるかなんて。百聞は一見にしかず、なんてよく言うでしょ」
「うっ、」
「とにかく、円満解決したのはなにはなくとも私のお陰だから、そこんとこよろしくね」
そして更ににやりと笑って、「元に戻ったのはあたしの功績なんだし、ご祝儀出さなくてもいいよねぇ?」なんて言ってくるところはさすがは麻里だった。
そんな、アフターファイブのティータイムが終わって。
けれどあたしを待っているのは前のような憂鬱ではなかった。
自覚もなしに顔を綻ばせながら、下り電車ではなく上り電車のホームへ向かうあたしの頬を、麻里がこれでもかというくらいに強くつつく。
「幸せボケめ」
「羨ましいでしょ?」
「いや、そうでもない」
そう言う彼女も、遠恋中の彼と何かあったのか。
凛とした背中を向けて、一方下り電車のホームへ向かう彼女を見送って、あたしは階段を上る。
◇
「お帰り」
ソファの上で胡坐を掻き、こちらに首だけ寄こして出迎えたのは、スーツを着替えて随分とラフな格好になった彼だった。
もう見慣れた、楽な姿。
でもそうかと思えば気難しい顔をして経済紙を読む彼は、普通に見ればどう見たって不機嫌なようにしか見えない。
「また眉間に皺寄せてる」
そう言うと、彼はふっと顔を上げあたしを見た。
その表情は柔らかさを取り戻して、和らいでいる。
「癖なんだよ」
「せっかくのお顔が更に不機嫌そうに見えるのに」
「別に、」
「だから受付の女の子達に『怖い』って言われるのよ」
「だから別に構わないって」
拗ねる。だけど不機嫌じゃない。
「でも好きだよ」
あれから、自然と出てくるようになった言葉。それでも照れくささは未だに燻っていて、それを取り繕うようにあたしは自分のクローゼットまでパタパタと逃げた。
あたしもラフな格好に着替えて彼の隣に座ると、抱き寄せられて頭のてっぺんにキスを落とされる。
「恥ずかしがり屋」
「うるさい」
「でも好きだよ」
「うるさい!」
真似されて、怒った。
この雰囲気が、この空間が、今もこれからもみんなあたしのものだって約束されているみたいに、じゃれて。
今は名実ともに、帰ってこれる場所はここにしかない。
彼は一週間であたしの引越しの準備を進め、それを成し遂げた(といっても、彼の家に元々置き過ぎていたから、運ぶ荷物はほとんどなかったのだけど)。
色んなことへのカウントダウンが始まって、けれど心には何故か前よりもずっと余裕がある。
幸せだよ。
言葉にせずとも伝わる気持ちを乗せて、少し上にある彼の顔を見上げると、彼はいつも不機嫌そうな顔をとろけさせて、あたしにしか見せない最高の笑顔で微笑んだ。
fin.