第1話
あたしの婚約者は、いつも不機嫌な顔をしている。
彼――新堂俊典に言わせれば、そう見えてしまうのは元々の顔の造りのせいらしい。確かに、表情に乏しい端正な顔立ちほど恐ろしいものは無いし、(本人曰く)ぽけっとしているだけで眉間に皺が寄ってしまうのも考えものである。
でも、彼はそれを仕方ないと言う。
分かってくれる人だけ分かってくれればいいさと、顔には似合わず楽天的な考え方は、彼の数ある中の美点の一つだ。だから、彼の周りには気心知れたいい人間達ばかりが集まってくるし、ともすれば妙に威圧感のある顔も、商談では武器になる。彼が今トップセールスマンとしてぽんぽん契約をとってくるのには、そうした生まれ持った才(?)も関係があるのかもしれないとあたしは冗談交じりに冷やかすこともある。最も彼は、そのたび顔を真っ赤にしてそれを否定するのだが。
だけど最近の彼は、多分本当に不機嫌だ。
婚約者だからといって、完璧にあたしが彼を理解出来ているかと問われれば、答えに苦しむところもある。だけど決して短くはない彼との付き合いの中で、彼のわずかな表情の機微だって見逃さなくなったし、少なくとも会社で彼を見てはキャーキャーと騒ぐ事務の女の子達よりは、断然彼のことを理解している自信もあった。それは別に、彼に愛されている女の自信とか彼を愛している女の自信とか、そういう驕ったものではなくて、一人の人間として彼をちゃんと見ているのたというあたしの自負だった。
――だからこそかもしれない。
中途半端に彼を理解しているつもりになってたから、彼の奥の奥が見えてないと分かって不安になっちゃうんじゃないか。もしかしてあたしは、彼のことをしているつもりで全く理解してないんじゃないか。プロポーズされて浮かれまくっていたあたしを尻目に、彼は本当は違うところへ眼を向けてたんじゃないのか。
一度沸き上がってきた不安たちはなかなか消えない。自問自答という最悪の形であたしに襲ってきては、胸の中に浚いようのない澱を残す。しかも彼もあたしも、その来るべき結婚式や新婚旅行へ向けてせかせかと働いてばかりで、お互いろくに連絡も取れず、気が付けば顔を合わせるのは、ほとんど会社の社食か廊下ばかりになっていた。しかも顔を合わせても、彼は(本物の)不機嫌な顔を隠すことなく手をちらりと上げるだけで、婚約当初に見せた、恥じらいや照れの交じった(分かる人にしか分からない)可愛らしい表情も見せてくれなくなった。
最近は、今までのどんな時より彼が遠く感じる。けれどあたしの倍は忙しい彼を思えば、せっかく渡された合い鍵を使うのも躊躇われるし、仕事終わりにどこかに食事しにいこうとも誘えない。あたしは彼の重荷になりたくて、明確な名前のついた立場を手に入れた訳じゃないから。
愛してる。
だから怖い。